感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

山形県を訪ねた、初めての東北の旅。

2023-10-15 | 日々思うこと

藤沢周平先生の作品の世界に触れたい、それが東北への旅へと私を向かわせたのです。

病気のおかげで6年ぶりの帰国となった今回の日本訪問の重要な目的の一つでもあります。果たせなかった4年前の計画を、実行するためにこの歳での一人旅を決心したわけです。

9月15日から2泊3日で向かった鶴岡市。私の故郷の九州の大分から新幹線に乗るためには、福岡県の小倉か博多に出らねばならず、朝家を出たのでは1日では東北まで行きつかない為、博多で友人に会ったついでに博多駅前のホテルで1泊。翌朝の博多駅を8時台に出る新幹線に乗って、東北は、山形県の鶴岡市を目指します。

日本寄港前に、アメリカでJRパスを購入しているので、交通手段は新幹線の一択で飛行機を使う選択はなし。時刻表を調べて鶴岡に今日中につくための乗り継ぎを探し、指定席を確保したのは、日本帰国後すぐの事。

9月15日金曜日、

山陽新幹線・8時23分博多発、さくら542号で新大阪へ向かい、

東海道新幹線・11時18分新大阪発、ひかり648号で東京へ出て、

上越新幹線・14時40分東京発、とき325号で新潟へ向かい、

羽越本線・17時58分新潟発、特急いなほ9号で鶴岡へ着いたのが19時49分です。

金曜日の朝8時に博多駅前のホテルを出て、夜8時前に鶴岡に着くと言う、1日に列車を4本乗り換えて、まるまる12時間の旅になりました。朝食はホテルでとり、昼食は駅弁で済ませ、夕食も更に駅弁で済ませました。

金曜日の行程の途中で、東京発で上越新幹線に乗車した時、東京の空は真っ黒な雲が覆い、新幹線が走り出す時は雨の中でした。その雨が結構な集中豪雨だったらしく、東京ではその後、夕方まで新幹線も止まり、大変だったんですよと言うニュースをホテルのチェックインをする時に聞かされ、「ラッキーでしたね。」と言われた次第。

この鶴岡のホテルは、駅のすぐそばで便利なロケーションでホテルの方々も大変親切、満足です。翌日の土曜日は、午前中鶴岡を観光し、藤沢周平記念館を訪れ、初めての東北の旅を楽しむ予定、胸が弾みます。

翌朝、ゆっくりとホテルで朝食を済ませて、チェックアウト後、大きな荷物を駅のコインロッカーに預けて身軽にしてから、駅前から出ている市内を回る循環バスに乗り込む。1回あたりの乗車賃は300円、1日乗り放題は500円との事。ICカードを持っていない私は、1回ごとに300円で利用する事に。A、B、Cコースと3通りのルートに右回り、左回りがあって、地方にあっては、思ったよりも便数も多く、ちょっと感動した事を記憶する。バスの運転手さんも、大変丁寧で親切、さすが日本と心の中で思う。

 

駅から向かった先は城跡にある公園で、時間にして15分もかからなかったと思う。

その鶴岡城跡にある鶴岡公園周辺に集中する名所を歩いて観光する。

①庄内藩校致道館…入場料無料だったので、入場料のつもりで帰り際に庄内論語読本を300円で購入した。

 

②大寶館…鶴岡城のお堀の内側に立っている白い洋館は1915年に大正天皇ご即位を記念して創建された建物だそうで、現在は鶴岡ゆかりの人物資料館として一般公開されているとの事。入場料無料。

③藤沢周平記念館…大寶館の裏に回ると庄内神社と藤沢周平記念館が向かい合って位置している。記念館に入るには入場料320円を払うのだけど、私は、鶴岡城下町めぐり共通券を1300円で購入して、以下の致道博物館、旧風間家住宅丙申堂と別邸釈迦堂の3施設も併せて見学する事にする。

藤沢周平先生の記念館では、時間をずいぶんと使いました。先生についての様々なエピソードを読み、作品についてや時系列での出来事など、充実した時間でした。帰りにはショップで数冊の小冊子や本を購入して、惜しむ気持ちを抑えながら、館を後にしました。

④城跡のお堀の外に隣接するようにある致道博物館は、なかなかの広さにいくつかの建物があり、農機具、漁師が使った船や釣り具など様々な展示品がある民具の蔵、旧鶴岡警察署庁舎や1864年に11代藩主酒井忠発と言う方が建てたと言う隠居所に、酒井氏の庭園など、見所がけっこうたくさん。

⑤旧風間家住宅丙申堂と⑥別邸釈迦堂までは、バスに乗るまでもないので歩いて向かう。雨がパラパラしてきた。今日は、午後鶴岡発16時22分のいなほ12号に乗って新潟で1泊する予定なので、午後の出発の時間を考えながら。

旧風間家の住宅と別邸では、地元の係の女性が丁寧な館内案内をしてくださった。もちろん私一人でしたが、訛りのある語りで熱く語って下さった。説明を聞く事で、この住宅の価値がよくわかり、訪ねてよかったと更に思わされる。特に、国指定の重要文化財になっている丙申堂は、珍しい杉皮葺きの石置屋根と言う造りが見どころ。屋根の上に杉皮を敷き、その上に石を置くと言う技術で、約4万個の石が置かれているらしい。珍しいこの屋根は、現存する家屋としてはここと酒田の旧鎧屋だけと言う。

元々は武士であり、後に商人となって呉服屋などを営んだと言う風間家の祖、現在では地方の銀行家となっているらしく、鶴岡一の豪商であったと言うのが、この家の造りの立派さから伺えしれる。

   

別邸の方は、来客用の建物という事で、接待の為にのみ使われたと言う説明だった。その事は、部屋の中から見渡せる庭の見事さに現れていて、四季折々の木々に埋め尽くされた庭園は見事だった。

藤沢周平先生原作を映画したいくつかの作品の撮影シーンにも使われたと言う家屋でもあり、その事が写真を使って小さく説明されてもいた。

藤沢周平ファンであり、映画も見たし、小説も読みました、先生の故郷を訪ねたくて九州から来ましたと、私も熱く語り、ガイドの方としばし熱い交流をした次第です。

 

観光を早めに終えて循環バスの乗って鶴岡駅前まで戻ってきて、昼食を取り、新潟まで向かい1泊して、それから九州まで戻ります。新潟までの羽越本線特急いなほ12号は海沿いの席ですから、日本海に沈む夕日を眺めながらの旅。その昔、藤沢周平先生が故郷の美しさを再確認したと言う日本海に沈む夕日です。

新潟に着いたのは土曜日の午後6時10分で、これまた駅前のホテルにチェックイン後、駅前の集合施設の中にあったモスバーガーをテイクアウトしてホテルで夕食とします。部屋の窓からは新潟駅前のロータリーが眼下に見えて、静かな東北の小都市の夜を眺めながらのひと時です。

翌日の日曜日は、朝7時24分新潟発の新幹線とき306号で東京に行き、東京発9時40分のひかり507号で新神戸でさくら557号に乗り換え、小倉駅に着いたのが15時42分、そこから日豊本線の特急ソニックで帰宅です。

  

 


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