感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

感動する事、涙する事。

2020-03-01 | 日々思うこと

心が満たされる…

そんな感動はどんな時に起こるのか、

人は普通の出来事には感動を覚えない。普通でない事、に感動する。

簡単には真似することのできない、スポーツに感動する。どれ程の練習を重ねてきたことかと感動する。羽生選手のスケートに感動し、大谷選手のバッティングに感動する。

素晴らしい歌に感動する。素晴らしい演奏に感動する。素晴らしい絵画に感動する。どれも普通ではない事だから感動する。私にはできない事をやってのけてる人たちの努力と健闘に感動するように人はできている。テレビの前で拍手をし、立ち上がり声援を送る。良かったね、頑張ったねと喜ぶ気持ちだ。

別の感動がある。

想像を超えた善行、利害を超えた行いを見聞きして、感動する。

その感動には、ほとんどの場合、涙が伴う。心が癒されて感動の涙を流す。

自分が日頃ぼんやりとしか生きていないことを悟らされる。もっと、有意義に生きなければと、生きる事に意味を探さねばと叱咤される。

ネットの世界で注目される話題は、興味をそそる内容が先行しがちだ。たくさんの人に閲覧してもらう事が、ビジネスにつながるからなのか。お金で成り立たなければ意味がないからなのか。そんな、内容が先行する検索サイトや動画のサイトばかりがあふれるネットをチェックしながら、時々、自分がすごく薄っぺらな人間に成り下がってしまったように感じて、ハッとする。

興味をそそられるものを見る時、興味本位な関心と、さらには優越感と、相手の不幸を喜ぶ気持ちと、蔑みと、怒りと、危ない好奇心と、みだらな刺激とで自分の心は溢れている。そこに、感動するという気持ちは共存しない。

ニュースで聞く、人の不幸に何の感情も覚えず、むしろそれをただの好奇心で楽しむ気持ちがありはしないか。

責任のない情報ばかりが溢れ、それに踊らされている私ではないか。何が正しいかを見極める努力を怠ってはいけない。と自分に言い聞かせる。

交通事故の人だかりに出くわしたら、そこを避けて通りなさい。人の不幸を楽しむ気持ちが少しでも自分の中にあるのなら、その気持ちを楽しませてはいけないと、言った人がいる。その言葉の持っている意味を思う。

毎日を感謝して、喜んで、生きよう。


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