感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

アメリカでも始まったコロナパニック

2020-03-03 | 日々思うこと

先週、西海岸のワシントン州でコロナの国内初の死者が出た。亡くなった方が入っていた施設内では、他にもコロナ感染が疑われる人が何人もいて、老人介護施設での院内感染が疑われると言うニュースが流れた。昔なら、新聞、テレビ、ラジオを通して、確実な情報が確かな筋からある程度の時間をかけて、整理されたうえで伝えられた。ところが今は、世界中のニュースが、起承転結のない、説明不十分の状態で、一部分だけが切り取られて、秒刻みで瞬時に伝わる。その情報に私達は翻弄される。

今朝のニュースでは、週末にアメリカ各地のスーパーが、常備食や生活必需品の大量買いをする人たちで溢れかえったとのニュースが流れていた。ワシントン州では死者が6人に増えていた。その中の5人までが同じ老人介護施設におられたお年寄りたちであると言っている。

ニューヨークのマンハッタンでもNY初めての感染確定者が確認されたとの事だ。

 

日系スーパーでは、なぜか売り切れるはずのないお米が、今日はきれいに売り切れていた!

お店の方では、こんな事は初めてだとのこと、ネット時代の風評と言うものに、ある意味脅威を感じる。

こんな状況下で、ネットのニュースだけを追いかけるのは危険だ。訪問数、回覧数を競い、そこに金銭が付いて回るネットの世界、いかに、多くの人達にサイトを訪ねてもらうかの世界だ。少しでも人の関心を引く記事を、目にとまるタイトルを、刺激的な内容を、時のニュースをと競う結果、必然的に、サイトの中はコロナのニュースで溢れる。オーバーに表現された感情を掻き立てるような記事に、私達は少しづつ知らない間に洗脳されていく。

新聞なら、政治から、教育から、生活の事から、様々な情報をその重要性に合わせて紙面を割き、確かな筋からの数字や報告をあげて説明してくれる。そのバランスがサイトの世界では崩壊してしまってるし…。コロナの情報の比率がすごく大きくて、まるで、この世界がコロナの為にひっくり返りでもするかのような騒動で平常心を忘れたネットの世界、私達は賢くならねばならない。

私達が育った子供のころと、今とでは、全く違うんだと言う事、こんな時に、しみじみと思う。

こんな過程を通過しながら、その時の状況や変化に合わせて、私達も変化し対応してきたわけだから、順応する過程では、混乱や困難があるのはわかっている事だけど、ホントに、賢くならなければと、思う。

とにかく、コロナの感染がパンデミックとなるのではなく、終息の方向に少しでも早く向かいますように。

私個人としては、4月のワシントン州へのトリップも控えているし、どうなるんだろう。行けるのか少し心配になってくる。


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