2017-09-29 | Fairy tale
*大好きな安房直子さんの『鳥』というお話をそのままカイスホに置き換えてみました。
耳のお医者さんはベッキョンかな。チャニョルでもいいな。


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「先生!
大変です!
僕の耳にとんでもないものが入り込んでしまったんです、すぐに取り出してください!」


土曜の午前の診察が長引いて、遅めの昼食を取りうつらうつらしていた僕の腕を揺すって叫んでいるのは初めて見る少年だった。

あれ?…今日はもう診察が終わりだから診療所の扉には鍵をかけるはずなんだが…看護師がうっかりそのまま帰ってしまったのかな…

必死な眼差しで僕を見つめるのは、とても大人びて整った顔をした少年だった。
少年は、片手で僕の腕を掴み、もう片方の手で自分の左耳を押さえている。

僕はその少年を診察室の椅子へ座るよう促した。

「落ち着いて、ほんとは診療時間ではないけど…今回は特別だよ」
と僕が言うと、
「ありがとうございます。こちらがとても腕の良いお医者さまだと評判を聞いたものですから…海辺の町から走って来たんです。」
と、うっすら額に汗を滲ませ、すがるような目で僕を見つめる。
白い肌が少し紅潮してる。
「おや、そんなに評判が?有り難いね。」
と、僕はお世辞に気を良くして手を消毒し手袋をはめた。
「ええ、そうです。だから、どうしても、夕陽が沈む前に、僕の耳から大変なものを取り出してください。」

何に焦っているかわからないけれど、暗くなる前に家に帰り着きたいのだろうと僕は解釈した。海辺の町までは少し距離があるから。
僕はちらりと時計をみやった。4時を少し回ったところだった。
秋の陽が落ちるのは早い。だが、まだ余裕だな、と思い、少年にまずカルテを書かなくてはならないと説明すると「後ではだめですか?先に中のものを取り出してもらってから…」
と、必死に言う。
虫か何かだろうが、ここまで本人がパニックのように慌てているし、急を要するということで、僕は診察を優先した。
名前だけ教えて、と言うと「スホ、です」と小さな声で答えた。

彼が左耳にあてていた手を外させ、耳の中ににライトをあてる。
たいてい、虫なら勝手にライト目指して出てくるはずだった。
が、それらしい物体はどうやら見当たらない。

「ちなみに訊くけど、一体何が入ったの?」
僕が尋ねると、少年は小さな声で「…あのね、秘密、なんです。」と答えた。
はあ??
僕はすっとんきょうな声を出してしまった。
バカにされたのかな、と少し腹が立った。
すると少年は「秘密が、僕の耳に入ってしまったんです。」と、真剣な目と声で繰り返す。

…そこで僕は「どういうこと?」と質問を変えてみた。

「僕の友だちが本当は『鳥』だっていう秘密…」

少年の話はこうだ。

自分は聞いてはいけない秘密を聞いてしまった。だからそれを早く取り出して欲しい。夕陽が沈む前にそれを取り出せないと、大切な友人が『鳥』になってしまう。

…やはり、バカにされてるのだろうか。
秘密?
鳥に変えられる?
バカバカしい。
僕がどうしたものかと腕組みをしていると、さっきまで紅潮してた白い肌を今は青白くさせた少年は、話を続けた。

「僕は海辺の町で貸しボート屋の手伝いをして暮らしています。親も兄弟もいない。気付いた時から一人きりだったんです。それがある日、夏の初めの頃…友だちができたんです。
僕はその日、返却時刻を過ぎても戻らないボートを待っていました。1日の終わりに12艘全部ロープに繋げるまでが僕の仕事だったから。待ちくたびれてうとうとし出した僕の耳に『すみません』という明るい声が飛び込んできました。僕は『時間を守ってくれなくちゃ』と文句を言いながら彼を見上げました。
するとそいつはまるで夏の化身のような日に焼けた肌と眩しい笑顔で『ごめんなさい、ちょっと遠くへ行き過ぎた』と、ボートを繋ぐのを手伝ってくれたのです。
『遠くってどれくらい?』と僕は聞きました。
『ずっと向こう。カミナリ島のもっと向こう。鯨が潮を吹いていた。』
『こんな小さいボートで?!あんな遠くまで?無理に決まってる。』
『無理じゃない。僕の腕はとても強くてどんな遠くまでだって行けるよ』と彼は笑って答えました。」

「そいつは浜辺の小屋に住む海女の息子でカイと言いました。それを聞いて僕は本当に驚いた。だって、海女はとても年を取っていたし…、カイとは似ても似つかなかったから。それでも翌日その海女が僕の所へやってきて『昨日は息子がすまなかったね。でもね、もうあの子をボートに乗せないでおくれ。あれは大事な大事な私の息子だから』と言ったので、ああやはり本当に息子なのかな、と思ったのです。」

「なぜか、カイには昔の記憶がないのです。まるで忘れ薬を飲まされた王子のように。…まぁ、僕も同じようなものでしたが。そんなことも相まって、僕らが仲良くなるのに時間はかかりませんでした。
カイは普段は無愛想だけど、ひとたび仲良くなってしまうと、とろけそうな笑顔を惜し気もなくくれました。海女のお婆さんにきつく止められていたからもうボートを貸すことはできなかったけれど、僕らは波打ち際に繋がれたボートに乗って、よく夢を語り合いました。ここから世界へ飛び立ちたい、自由になりたい、いつか一緒にここを出ようって。…
だけどカイは、いえ、僕も、海女の目をいつも気にしていました。皺の中に埋まったような瞳で睨まれると、僕もカイも動けなくなる…比喩ではなく、本当に足がすくむんです。カイは冗談のように『あのひとは悪い魔女だよ、』と言ったりもしました。夕方、お客さんたちが下りたボートを桟橋の杭に繋ぐ作業をカイが手伝ってくれることも海女は快く思っていなかったようで、僕をいつも鬱陶しそうに睨むんです。」

「気にしないで、とカイは言うけれど、そう言うカイもお婆さんのあの目が怖くて仕方ない様子でした。それでもカイが、何艘ものボートをまるで飛ぶように渡り歩き、鮮やかな手つきでロープを繋いでいく様子は軽やかでとても美しかった。」

「そして今朝、、カイが泣きそうな顔をして僕の所へやってきました。『もう本当に逃げ出したい。だって母さんが海へ潜れって言うんだもの。明日から海へ潜って貝を獲ってこいって。あれは嫌なんだ、とても苦しいから。だからスホ、ボートを一艘隠しておいて。あの岩影に。夕方、一緒に逃げよう。』
僕はカイに言われたようにボートを一艘隠しました。そして夕方になるのを桟橋で待っていると、海女がやって来ました。足がすくんでその場に立ちすくしていると、『あの子を待っているのかい?』と、嗄れた声で言いました。僕は声さえ出ずに頷くだけでした。『もうあの子はここには来ないよ』そう言って蛙の鳴くような声で笑いました。どこへ行ったの?と僕がやっとの思いで訊くと、お婆さんは『さあねぇ?何処へでも好きなところへ行くのじゃないかね。今は小屋に閉じ込めているけれど、窓を少し開けてきたから…』と言うのです。そして僕の耳に唇を寄せて、『だって、あの子は本当は鳥なんだから』と言いました。」

「僕は思わず身を引きました。お婆さんは皺くちゃの顔をもっと皺くちゃにして笑いながら言いました。

『あの子は元々カモメだったのさ。翼を怪我をしているところを私が助けてやったのさ。世話をしているうちにどうしても本当の息子のように思えてきて、ずっと傍に置きたいと考えるようになったけれど、仲間が…カモメの仲間が毎日窓の外へやって来て煩く鳴くのさ。まるで「行こう、行こう、あの海の上の大空へ」と言っているように…。
私は何度も追い払った。だんだんとカモメたちは数を減らしていったけれど、何度追い払っても、石を投げても決して離れないしつこいやつがいたね。そいつが近くへ来ると、私の助けたあの子はまだ怪我が治っていない翼をバタつかせて飛ぼうとするんだ。そこで私はずいぶんと昔に海底で見つけた赤い実を二粒、箪笥の奥から取り出して、息を三度吹き掛けた。それをカモメに食べさせたら、人間の男の子になったのさ。嬉しかったねぇ。嬉しくて嬉しくて、もう一粒どこかに落としたのを忘れたくらいさ。私ももう歳で、仕事を代わりにやってくれる子どもが欲しかったからね。
けれどどうだい、私はこの1ヶ月、あの子に海へ潜ることを教えたけれど、全く身につかなかった。おまけに今度は人間のあんたが現れて私の息子とどこか他所へ行こうとするじゃないか。もうほとほと疲れたよ。そこで私は、あの子を解放してやることにしたのさ。』

どうやって…?と僕は聞きました。

『それは簡単だよ。この秘密を誰か他の者が知ったら、日が沈むと同時に魔法はとけてしまうんだ。あの子は鳥に戻るのさ』

ひどい、と僕は泣きました。
だって、カイは、僕の大切な友人だから。
するとお婆さんは『まぁ、あんたが私から聞いた話をすっかり忘れてしまうか、腕の良いお医者にこの秘密を取り出してもらうかするればあの子は人間のままさ。』と言ったんです。それがついさっきのこと…それで僕は浜の人たちが腕の良いお医者さんだと言っていたからここまで走って来たんです。
ああ、もう時間がない!どうかお願いです、僕の聞いてしまった『秘密』を取り出してください!早く!」

僕はにわかに信じられはしなかったけれど、あまりのスホの剣幕と真剣さに「わかったわかった、ではもう一度診てみよう」と答えてしまった。
『秘密』を取り出すなんて、まるっきり自信がなかったけれど。

スホの貝殻のようなうっすらと桃色がかった耳に近づき、もう一度その中を覗いてみると、真っ白な花のようなものが見えた。
ああ、あれだな、あれが『秘密』なんだ、と思った瞬間、「先生!急いでください!早く、取り出して!」というスホの声が雷のように頭の上から聞こえ、僕は思わず目を閉じ──
次の瞬間、目を開けると、なんと僕は白い砂浜のような場所にいるのだった。
え、え?と戸惑う僕におかまいなく、スホの声が僕を急かす。
「早く捕まえて!逃げてしまう!」
視線を転じると、さっき白い花のように見えたのは白い鳥。
ああ、カモメだ。あれがカイだな、と僕は思って、そろりそろりと近づき、あと一歩で手が届く、そう思った時、鳥はサッと飛び立って、僕の手のひらに残ったのは白い羽根だけだった。

くらん、と目眩がして目を開けるとそこは診察室で、
「先生、どうでしたか?」
と、スホが僕の顔を覗き込む。
僕はとてもすまない気持ちになって、彼に謝るしかなかった。

「…そうですか、先生、ありがとうございました…もうじき日が沈む…きっともうカイは飛んで行ってしまった…」
スホは力なくそう呟いて診察室を後にした。

僕はとても疲れて、椅子に座り込んだ。
するとふと、今までスホが座っていた椅子の上に、白い花びらが落ちていた。
…いや、違う。
僕がそれを手にとって眺めると、花びらだと思ったのは白い羽根だった。

ああ!
そうか!

僕はその羽を握りしめて診療所の扉を勢いよく開けて外へ飛び出した。

あの子は知らないんだ。
自分も魔法にかかったカモメなんだ、って。
怪我した仲間を心配して小屋を離れなかったカモメだったんだって!
そして、きっとあの海女が落とした赤い実を食べて人間になったんだ。

僕は、彼の耳に『秘密』を落とすために、夕暮れの街をスホの名前を呼びながら駆け出した。





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