LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

旅最後のビッグイベント。イグアスの滝(ブラジル側)

2011年03月08日 | 南米日記
08Mar2011 Foz de Iguacu BRAZIL

リオデジャネイロから23時間のバス旅。うち約21時間は眠ってたであろう。お陰で体力完全回復。ほとんど何の記憶もなく午前10時過ぎフォスドイグアス到着。相棒は冷蔵庫のように冷えた車内にほとんど眠れなかった様子。

長距離バスターミナルから近距離バスターミナルへローカルバスで移動し、そこから歩いて10分ほどのところの宿にチェックイン。2日ぶりのシャワーを浴び早速イグアスの滝へ出発。

120番のバスで国立公園のゲートに行き公園内の2階建てバスに乗り換え公園内にあるホテルHotel das Cataratasで降り遊歩道を数分歩いていくと・・・ついにイグアスの滝とご対面。



すごい!けど感動できない。。正直、感動するために越えなきゃいけないハードルは滅茶苦茶高くなっている。。でもナイアガラよりはすごいと言える。




遊歩道にはいくつかビューポイントがあり滝と滝の間ににせり出す形で造られているものは上からほとんど雨のように飛沫が飛んできてびしょ濡れ。豪快。1枚写真を撮るごとにレンズを拭き拭き。











5時半過ぎまで滞在してフォスドイグアスまで戻る。晩御飯はブラジルにきたら食べてみたいとずっと思っていたジモッチー用シュハスカリヤへ。肉の塊に岩塩を振りかけて焼き上げるバーベキューが食べられる専門店がシュハスカリヤ。サイドメニューはビュッフェスタイルで次から次へと肉を持ったお兄さんがテーブルまで運んできてくれる。こっちは南極の船で知合った由佐夫妻に「ピッカーニャはうまい」とだけ聞いていたので肉が来るたび「ピッカーニャ?」とだけ聞くが、違うと言われてもうまそうなのでついつい全部いただいてしまう。



肉にタレをつけることに慣れすぎてしまっている日本人には塩味だけの肉にちょっと物足りないもののそれでもおいしかった。特に豚肉。例のピッカーニャもおいしかった。限界まで腹に詰め込んだ。なんかお肉久しぶり。マクドのハンバーガーを除いて。

午後8時半、宿に戻り旅最後かもしれない洗濯。


2011リオの宴が終わった。。。

2011年03月07日 | 南米日記
07Mar2011 Nifght Bus (Rio de Janeiro-Foz de Iguacu) BRAZIL

6日夜の続き・・



夜中12時を回ってももちろんパレードは始まったばかり。でも1つのチームの持ち時間が長い、音楽も同じということもあって少々だるくなってきたのも事実。エスペシャルはサンバというよりウケル趣向に凝ったところがあって確かにお金かかってて衣装も山車もモノスゴイのだけれど肝心のサンバの足捌きがあまり見られず正直ちょっと物足りない。。泣くことを忘れた美しい鳥のよう。。







さて何度入口に見に行っても来ていなかったナベは夜中3時半にようやく合流。これで初めて南米をそれぞれ彷徨っていた5人が始めて集合した。素晴らしい。


【バギオご一行様】


【親戚ご一行様】

5時を過ぎると空もすこしずつ明るくなってきて最後の6チーム目のパレードが終わったのはすっかり夜が明けた6時過ぎであった。




【キリスト像もカーニバル観戦】

途中から降りだした雨も上がる。6時半会場を後にして皆で朝マックしようとセントラル駅へ向かうが開いてなかったのでこれからサンパウロに向かうという皆とお別れ。

我々は主任さん家に預けていた貴重品を取りに行く。そこで味噌汁をご馳走になる。昨日の夕方から何にも食べていなかったのであまりのうまさがハラワタに沁みた・・。主任さんにはほんとお世話になった。またリオにくることがあったら是非再度お世話になりたい(笑)

宿に戻り荷物を引き取りタクシーでバスターミナルへ。カーニバル会場で一緒だった何人かの日本人がフードコートの椅子の上で死んだように眠っていた。我々も限界を超えていて椅子に座ってちょっと気を抜くと瞬間的に落ちるのである。2人して眠ってしまえばもう起きることは不可能で1時間後のバス乗り過ごし間違いなしなのでじゃんけん張り手ゲームでがんばる。

11時半バス発車。まもなく夢の中へ。3回もパレード見ることが出来てよかった・・よかった・・おやすみなさい。。


そしてリオのカーニバルは大本番のエスペシャルに突入~

2011年03月06日 | 南米日記
06Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL

5日夜の続き・・















12チーム中9番目まで見て宿に戻ったのは朝7時前。ずっと雨だったこともあって随分疲れた。



8時から2時間ほど寝て12時過ぎチェックアウト。

ちょっとはリオ観光もしとかないと、と向かったのはコルコバードの丘。チケット売り場で渡されたのは2時間後の15:40発の登山電車だったので空き時間を利用してコパカバーナ海岸へ行くことにしバス停へ戻る。その時後ろから「コージさん!」と呼ぶ声が聞こえたので振り返るとトミーがそこに。ベリーズのキーカーカー、ウシュアイアに続きストーカー並の確立で再会する。

さて時間もないのに乗ってたバスが後ろから車に追突されバスの乗り換えをさせられたり、降りる場所が分からなかったりしながらもコパカバーナのビーチに到着。



曇っていたことと、カーニバル期間中にこんなところで日中起きてる奴らがいるわけないだろ、というわけでそんなに人出もなく写真を数枚撮っただけですぐコスメ・ベーリョに戻る。

15:40登山電車出発。20分ほどで最終駅に到着。126段の階段を上がると海抜709mの頂にはデデーンとテレビや雑誌でやたら目にしたあのキリスト像が目の前に!



丘からはリオの街と海が見渡せ絶景かな。秒単位で霧が出たり引いたりで観光客も写真を取るタイミングにてんやわんやの様子であった。



コルコバードの丘からセントラルまでバスで戻りカーニバル会場へ。セトール11の会場に入るとトミー、モヒはもちろんその隣には、急遽11にしたという相棒のイトコ夫婦の姿があり再会を喜ぶ。しかしどうやって同じ場所に集まったのか他に日本人バックパッカーが10人ほどが陣取っていて1大集団になっていた。(正直ちょっと引いてしまった。リオのカーニバルまできて前も後ろも日本人なんて・・)その後も数名加わる。その中には知ってる顔も。

一昨日、昨日は生憎の雨。今夜は人々の祈りが通じたのか、晴れてはないものの雨が降る様子はなく観戦日和。午後9時花火と共に1つ目のパレードが発進!昨夜のグルーポAとは違うエスペシャルの凄さを見せてもらおう!!












2011リオのカーニバル・グルーポA

2011年03月05日 | 南米日記
05Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL

午前10時電話で目が覚める。主任さんからの電話でお宅にお邪魔することに。主任さん宅は宿から歩いて10分ほどのところにあるマンションで何度もメールでやりとりをさせてもらってたもののお会いするのは今日が初めて。ブラジル人のご主人と温かく出迎えてもらう。そこにはさゆりさんという東京でサンバスクールの先生をしている女性もカーニバルを見に来ていて今夜一緒に見に行きましょうということになった。



夜は長い、体力温存ということで宿に戻り昼寝。

午後8時主任さんのマンションへ行き、9時過ぎさゆりさんと一緒に会場のセトール3へ。この場所はパレードの入口近くということもあってスタート直前の気合がビンビン伝わってくることが感じられるいい場所。リオのカーニバル7度目というプロ(出場したこともあり!)、さゆりさんの詳しい解説付で観戦できる幸運。





天候は生憎の雨にもかかわらず皆カッパ(ブラジルでもカッパと呼ばれてた)を羽織り皆この日を1年待ち続けたかのように楽しんでいた。明日からのエスペシャルはチケット代も高いだろうからもしかしたら地元の人は今日を楽しみにしてる人だって沢山いるんじゃないかと思う。





豪華絢爛キンキラ衣装の人々が大きな山車の後ろに連なる様はホント圧巻でドラムの激しい音に揺れる姿に何度も鳥肌が立った。ああこれが噂に聞くリオのカーニバル。。来て良かった、生きてて良かった。。。


2011年リオのカーニバルに参上!!

2011年03月04日 | 南米日記
04Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL



予定より2時間遅れの午後2時半、結局42時間かけてリオデジャネイロ到着。思ったよりあっというまだったけどこの2日間ほとんど何も食べてないので空腹で疲れた。。

人でごった返すバスターミナル。7日午前のイグアス行きチケット(これも23時間バス・・つい昨日いたのに。。)を取りタクシーで予約しておいたセントロの宿へ。この時期にもかかわらず格安で取った宿であったがチェックインしてちょっとびっくり、ラブホテル(たぶん)であった。でも宿があるだけ幸運。なんとカーニバル会場にも600mの近さである!周りの治安はいまいちっぽいけど。早速2日ぶりのシャワーを浴びてさっぱり。

この時、丁度昨日リオデジャネイロに入った世界一周を夫婦でしている相棒のいとこから「今夜一緒にごはんしましょう」とメールがありメトロでCariocaカリオカ駅へ。地上に出るとカーニバルの雰囲気ムンムンである。

午後7時半、相棒のイトコにあたるコージ君と奥さんのリサちゃんと初めてお会いする。世界一周の旅に出ているのは知っていて世界のどこかで交わるかな・・と話していたがとうとうリオで衝突!!

最初に入ったレストランは値段が高くて退席、そそくさとSUBWAYへ。どんな状況でもバックパッカーはバックパッカーなのである。しかしこのブラジルの物価は一体何・・。はっきりいって日本より全然高い!!

今夜は子供パレードで入場無料ということでカーニバル会場にいってみた。





本番さながらに子供達が一生懸命踊りそれを親戚一同が観客席から応援してるという感じ。







今夜は残念なことに雨。夜12時過ぎ、びしょぬれで宿に帰ってきた。

もういきなりブラジルの熱気を全身に浴び明日からの2日間、夜寝ずに体力が持つのか今からもう不安である。。


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65カ国目ブラジル入国

2011年03月03日 | 南米日記
03Mar2011 Night bus(Buenos Aires-Rio de Janeiro)

13:30 プエルトイグアス到着。また数日後ここに戻って来なくちゃいけないと思うとホントもったいない。。すぐそこにはイグアスの滝があるというのに通過だなんて・・。。

アルゼンチン側は自分で並んで国境を越え、ブラジル側はバスの係がパスポート集めてどっかいってスタンプ押して帰ってきた。簡単。ブラジルに入ると広大な赤土の大地が流れる。



夢遊病者のようにただただ座席に座って時が過ぎるのを待つのみ。。


ブエノスアイレスからリオデジャネイロ行きバス出発

2011年03月02日 | 南米日記
02Mar2011 Night bus(Buenos Aires-Rio de Janeiro)

午前中、世界で2番目に美しいといわれる本屋がここブエノスアイレスにあるというので見に行く。本の陳列の仕方がすごいのか、働いている人が美しいのか、一体何がそんなにすごいのか分からないが相棒が見たいというのでとにかく行ってみた。入ってみて納得。そこはなんと立派な劇場をそのまま本屋にしていて舞台は喫茶店になっていた。当然売ってる本に日本語の本はなく謎が解ければ用はないということでとっとと退散。。

最後にフロリダ通りを散歩し荷物を取りに宿に戻る。このブエノスアイレス上野山荘別館には長期の沈没者が存在しすえた臭いを発している。そいつらは旅人の間ではかなり悪名高く、雰囲気が悪いので泊まるのをやめた、すぐチェックアウトした、という声を何度か聞いた。確かに雰囲気の良くない宿ではあったが、宿を切り盛りしてるおばさんは僕たちに大変良くしてくれ1階の入口まで出て見送ってくれた。

歩いてバスターミナルに行く。午後8時半、長時間乗車記録を更新するブエノスアイレスからリオデジャネイロ行きバス出発。


【バスで出された食事。とてもじゃないが食べられる代物ではない・・】

船でウルグアイの世界遺産の街コロニア・デル・サクラメントへ

2011年03月01日 | 南米日記
01Mar2011 Buenos Aires ARGENTINA

預けた荷物を引き取るためとはいえ、この宿に戻ってきたことをかなり後悔した。朝4時までアホな連中がうるさく、また部屋の酒の臭い匂いとくたびれたマットレスが眠りを妨げる。

結局ほとんど寝付けず7時にシャワーを浴びて外出し午前8時には港のブケブスに到着。チケットを購入しパスポートコントロールの一つのカウンターで出入国手続きを同時に終えて出発を待つ。

09:30発のスローボートでブエノスアイレスを出発。



このボート南極の時のボートより全然立派で快適。ウルグアイの唯一の世界遺産の町であるコロニア・デル・サクラメントに13:50(時差1時間)到着。64カ国目。



茶色いラ・プラタ川沿いのサンサンと光降り注ぐ明るく時間のゆっくり流れる町。ただ町自体はとても小さく2時間も歩けば最早何もすることがなくなってしまう。







帰りは19:01発のスピードボート。1時間ちょっとでブエノスアイレス到着。

南極ツアーではほとんど野菜にありつけず塩辛い味付けばかりでここんところくに食べていなかったので、晩御飯はブエノスアイレス初日に来たそんなにおいしくない中華系ブッフェでお腹いっぱいいただく。