LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

フンザ到着

1998年01月24日 | パキスタン・インド日記
1月24日 (土) ギルギット-フンザ (HAIDER INN)

はっきりしない記憶の中でだんだん明るくなってきて素晴らしい景色が目に飛び込んでくるようになった。夜中、想像しか出来なかった景色が現実のものとなって目の前に現れてきたのだ。インダスの源流であろう緑の河、名も分からぬ高峰がそそり立っている。朝7時山から日が昇ってくると同時にようやくギルギットに到着。疲れた。疲れ果てた。また戻る時このバスに乗らなければならないのかと思うと本当ぞっとする。

一緒にPOPULAR INNから来ているパキ人の1人はギルギット、マディーナホテルのオーナーで休憩する部屋を提供してくれた。私たち3人は氷のように冷たく、重く湿った布団に包まれ震えながら眠りに落ちた。あの布団でも寝れるほど疲れきっていたのだ。

2時間ほど寝て9:30AMフンザ行きのバス停へ。人に聞きながら10分ほど歩いて車の停まっている所を探し出した。小さなワゴン車の一番後ろの列にぎゅうぎゅう詰めにされる。(他にイギリス人観光客1人)10:30AM発。

1:30PM頃着。ほとんどの時間を気絶していたのでこの3時間ほどの時間の感想は無し。おー、ようやくフンザについた。インド、バラナシ、クミコハウスでこの場所を聞いてまさか本当にこの地を訪れる事になろうとは。ガイドブックにのっているフンザの写真は桃源郷と言う言葉がぴったり当てはまる美しいものだった。風の谷のナウシカのモデルになった場所だと言うのもうなずける。

が、しかし、こんなにツライめをしてここまでやってきたというのに期待は無惨に打ち砕かれた。白く濁った空、茶色の土地、寒さも手伝って、抱いていた希望が大きかっただけにこの天気による落胆は大きかった。ここは夏に来ないと駄目な感じだ。観光客もまったくと言っていいほどいない。宿に荷物を置き散歩してみるが特に興味をひくものはなかった。かつてのフンザ王国の砦、バルチック・フォートはオフシーズンだからか、閉じられていた。

ここの住民はラマダンだというのに物を口にしていた。いいの?と聞くとそれがどーした?という返事を表情で返してくれた。フンザの人間は明らかに顔が違う。中央アジアの顔で女の人もヨーロッパ系に見えなくも無い人がいた。

6PMハイダーじいさん手作りの夕食、豆、ポテト、マカロニ、チップス。食ってすぐ眠りに落ちた。ここの宿HAIDER INNは親切なハイダーじいさんの名前からとったものだ。

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