LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

生クリントン大統領

1998年05月25日 | アメリカ日記
5月25日(月) 晴れ(NY曇)  WASHINGON – NEW YORK

昨夜の雨はすっかりあがり快晴。9:00AM前、シャワーを浴びてチェックアウト。9:15AM、Y.Hのツアーに参加し、皆でMetroでArlington Centerへ。少し重くなった荷物をひきずり丘を登り、会場へ。どうにかいい席をとる。クリントンかゴアがくるとのことだったのだが、さてどちらがくるのか。(昨日の夕方ホワイトハウスでクリントンを見たという人がいた。うらやましかった)で、ついに11時すぎにクリントンPresident of The United States登場。

まさか今回クリントンをみれるなんで全く思っていなかったので、感動。10分ぐらい彼のスピーチをきいた。声もやっぱりクリントンだった。ヒラリーはきていなかった。軍人の軍服姿はとてもかっこよかった。アメリカ国歌も皆で歌い「強いアメリカ」という感じがした。日本の国歌は何といっても短調で暗すぎる。

J.F.Kの墓をみて、他の日本人ともバイバイし、グレイハウンドへ向かう。かなりの人が並んでいて、12:01PMとかかれたTKTで本当に乗れるのか不安だったが、どうにか無事に2:00PMのバスにのれた。6:20PM、NY着。土曜からロングアイランどのサマーアウスへ泊まりに行っていたMclennan Familyと再会。タイカレーを食べさせてもらう。もう自分の家のような気がしてここはやたらおちつく。フロに入り、たまった日記を一気にかいている。手紙が2通。(大塚さん、村上さん)E-mailを皆に送った。エミリアが4日しかたっていないにもかかわらず、もう私のことをわすれているようだった。

ワシントン観光2

1998年05月24日 | アメリカ日記
5月24日(日) 晴れ

8:30AMゆっくり起床。シャワーを浴びる。まず、Natural History Museumへ。ここは宝石のコレクションがすばらしかった。Star of Bombay, Star of India。極めつけは、Hope Diamond。ここの宝石をみれば、皆がつけている宝石などとるにたらないすごいものであった。

次はとなりのNational Art Gallery,メトロポリタンに比べればたいしたことはなくあっというまにでてきた。「本を読む少女」は何かの本で見たことがあった。外へでると、道はハーレー軍団でパレードされていた。たぶん明日のメモリアルデー用か何かのパレードだろうが、すごくアメリカ的なものを感じさせ、とても良かった。ハイタッチの連続だった。

明日はMemorial Day。Y.Hの催しで、Arlington Centerで開かれる会に参加するツアーに行くため、昨日とったNYのTKTIZAMを2:00PMにするためグレイハウンドへわざわざ行ったのに、いつ乗ってもいい、TKTを変更する必要はなし、とのこと。アホらしー。

地下鉄でまたSmithonianへ戻り、Holocaust Museumへ。かんじんな所はTKT制ですでになく、入れずじまい。そのあとワシントン記念塔。ここも事前にTKTがないと上へ上がれない。疲れた体をひきずって次はLincoln Memorialへ。どかっ、とすわったリンカーンが議事堂方面を見つめている、というような感じの所。すぐ目の前はフォレストガンプの映画のロケで使われたReflecting Poolがある。リンカーンより、プールの方が良かった。ここには昼のハーレー軍団がたむろしていて、店ではバッジや服などを売り戦争のスピーチなどをしていた。

ここから少し離れたワシントン大学近くのFO994 Botton G.W.U StaまでいきY.Hへ戻る。(夕食マクド)Y.Hについた時、ヘトヘトであった。今日はすごく歩いた。夜は4人で大富豪。また勝った。一度やめたあと再度3人で大富豪。また勝った。ベッドに虫がいるのか、数ヶ所はれあがっている。話によると、私の前はいびきのうるさいインド人だったらしい。奴の虫か・・・?夜、雨がふってきた。(雷雨)傘もっていないので明日までにやんでほしい。

ワシントン観光

1998年05月23日 | アメリカ日記
5月23日(土) 晴れ

夜2:00AMすぎベッドに入るやいなやすぐ眠りにつく。

6:30AM起床。ホワイトハウス入場券をGETすべくInformation Centerへ出向く。7:30AM着。昨日ここについた時、あまりに街が閑散としていて驚きこの分だと楽にTKTをとれると思っていた。一説では5500人/1日ということで並ばなくても楽勝だと思っていた。・・・が7:30AMからの配布なのだがすでに行列が建物をぐるりととりかこみ、列の最後にたどりつくまでの長いこと・・・。係りのおっさんがここは確率10%以下といっていた。それでもせっかくここまで朝早くきたので並ぶことに。

9:00AM前、結局とれずに終わる。疲れだけを残して、Y.Hに戻り延泊の手続。2泊延長。宿がとれたところでようやく一息。地下鉄でスミソニアンまで行き、The MallのNational Air&Space Museumへ。一通りまわり特別展示のStar Warsのコーナーへ。ここはStar Warsで使った衣裳や模型を展示していた。

Imax Theater($5)では「The Fly」というのを見た。朝早く起きたので疲れがとれていなかったのか、体のだるく途中いすに体をおろしたら、少しうとうとした。久々に立ちっぱなしなので体がついてこない。つい5ヶ月前はNepalで無敵の体力を誇っていたというのに・・・。

5時間ほど見学したあとは、国会議事堂U.S Capitolまで芝生の上を歩いていく。中には入らず、写真をとっただけ。宿がとれ、NYに戻る日も決まったのでグレイハウンドへTKTをとりに行き、5月25日12:00PMを予約($30)。

Union Stationから地下鉄でMetro Centerまで戻りリンカーンが暗殺されたFord Theaterの前を通り、Y.Hへ戻る。夕食、マクド。メトロセンターへ戻る途中、ペンタゴンへ行く、がSatでTourもなく店もしまりひっそりしていた。(ここはVA州)Potomac Riverを越えた。近くのグロサリーストアへ行き、パン、チーズ、ハム、ソーセージ、カップヌードルを買ってきた。

夜、日本人5人集まり、ついにアメリカでもやってしまった「大富豪」で、また勝ってしまった。アジア各国も含め負けなし。12:00AMすぎ、ベッドへ行くと誰かねているではないか!フロントへ行きこのことを告げると、「自分で起こせ。ベッドが欲しいなら。」という。ここのフロントの奴らは、仕事ができない。とにかく何でも時間がかかる。ムカつく奴らだ。で、彼を起こしレシートを確認。Bed No.11だった。ベッドを交換することにし、眠りにつく。(なかなかねつけず。12人部屋)いびきのうるさいやつがいなくて助かった。

ワシントンへ。これがホワイトハウス

1998年05月22日 | アメリカ日記
5月22日(金) 晴れ

朝EDへTEL。話がつき、来週の水か木に訪ねることに。この件が決着したので私は4日間Freeに。

で急遽ワシントンに行くことにした。T/C400ドルCITI BANKで交換。カメラのバッテリーを買い、荷物をまとめ(バックはモニカにかりた)地下鉄、バスをのりつぎ、42th st. & 8th Aveのポートオーソリティバスターミナルへ。

1:00PMのTKTがとれたのでBURGER KINGで昼食。1:00PMのバスにのり、初めてのマンハッタンを離れる。NJからはNYの高層ビルが美しく見えた。事故で渋滞し、1時間以上遅れてD.C到着。

昼前、Y.HにTELしたら「12時以降にTELしてくれ」といわれたので、BUSターミナルから電話したら今日の分だけとれた。(Pre-Paid Tel Cardをかった$5)D.CのグレイハウンドからUnion Sta.まで歩き、地下鉄RED線でMETRO CENTERへ。そこから歩いて10分程のY.Hへ。チェックインしようとすると、ポスポート等のIDが必要だと言われYWCAのIDをみせるがダメ。すぐモニカにTELしFAXしてもらうことに。

時間がかかるかも、というのでマクドで夕食。その後歩いてホワイトハウスへ。おっ、これが映画とかで何度もみたWHITE HOUSE。そのまんまだった。

そろそろFAXしてくれているだろうとY.Hに戻るとまだ、とのこと。おかしいなーと思いつつ、モニカにTEL。送ったとのこと。フロントに戻りおかしーなーと話していると裏から私のパスポートコピーをもった親父登場。モニカがもう一度送ってくれ、Y.HにTELをしてくれた。実は7:30にすでに送られていだのだが、引継ぎがうまくいかなかったらしい。夜Y.Hのベッドがとれなかった人と2:00AMまで久々に日本語を思う存分話した。(4人部屋だった。)

紀伊国屋書店

1998年05月21日 | アメリカ日記
5月21日(木) 晴れ

CLASSが終わった後2年半前にモニカと行ったロックフェラーセンター近くの紀伊国屋書店に行き文法の本を買った。「STAPLES」でYWCAのLDをCOPYして79thに戻ってきた。

朝77stの駅で何度やってもメトロカードを機械が読み取らず、どうしようかと思っていたところ他の人も同じらしくバーをとびこえたり、くぐっていたりしていたので同じようにした。$1.50得をした。昼前には戻ってきたが、何となく頭が重く薬をのんだ。今、黒いお兄さんがブラインドをつけている最中である。

夕食は昨夜のカレー。VIDEO 「BAD BOYS」を3人で見ながら食べた。

*昼、H.Rのところに居候していた姉ちゃんの友人の所へTELし、レンタルの話をした。1Month$750とのこと。高いが選択の余地なし。モニカが予算は$500ぐらいなので・・・とねばってくれた。夕方そのEDからTEL。1ヶ月$605+ユーティリティーでどうか、とのこと。

夕食はS&Bカレー

1998年05月20日 | アメリカ日記
5月20日(水) 晴れ

授業が終わったあと、SUBWAYでCITI HALLまで行きバーガーキング経由CENTURY21へ。モニカと一緒に朝のJOGGINGをしようと思い靴をみにいったが、アメリカでは私の足のサイズは小さすぎるのだろう。欲しいと思ったシューズはそのサイズがなかった。350ドルのコート、よほど買おうかと思ったが、かろうじて耐えた。夕食はS&Bカレーをつくる。なかなかのでき、おいしく3人でいただいた。

ブロックバスタービデオ

1998年05月19日 | アメリカ日記
5月19日(火) 晴れ

途中でコーヒー(カフェモカ4ドル以上もした)を買ったり、タバコを買ったりしていたら15分も授業に遅れてしまった。地下鉄でいけば良かった。Classは人数が3人しかいないためにCXLになるかもしれないとのことであったが、多分他のクラスを吸収したのであろう。スペイン女性、エクアドル男性が新たに参加していた。

生徒の1人とYOKOさんが明日から日曜日まで日本に帰るというので文法の本とスポーツ新聞を頼んだ。昼、洗濯。インターナショナルハウスの件をH.Rに頼んでいるが、まだ連絡がないのでモニカがI.HにTELしたところもう6月からの空きはないとのこと。ショックである。夕方下のブロックバスタービデオへ。「BAD BOYS」「3NINJA KICK BACK」をかりてきた。

W116st COLUMBIA UNIへ

1998年05月18日 | アメリカ日記
5月18日(月) 晴れ

YWCAの授業が終わったあと、バス(初めて)にのり地下鉄にのりかえW50stからW116st COLUMBIA UNIへ行く。STUDENT COLLEGEの申し込みをしようと何度かTELしたが、つながらず行ったほうが話は早いと思ったからだ。すぐに場所はみつかりチラシをもらったらMAY.28の10:00AMにこいとのこと。

地下鉄でTimes Squareまで戻り、そこから歩いて帰ってきた。ちょっと疲れていて休もうかなと思ったがモニカがZOOに行こうというのでベビーシッターとしてはいかないわけにはいかない。かくしてまた奇妙な3人がマンハッタンをねり歩いた。C.Pの動物園で少し遊んだあとモニカが今日から写真の学校(NYU)があるというので早く帰ってきた。

さて今度は本当のベビーシッターである。すぐ前の部屋にベビーシッティングにきているアデルとその息子キャメロン、前の部屋の息子ニコラス、女王エミリア。一度エミリアは泣いたものの、あとはきわめて元気で大騒ぎをしていた。(ビデオを見ている時はおとなしい)

生まれて初めてメガネをつくる

1998年05月17日 | アメリカ日記
5月17日(日) 晴れ

9:30AMすぎまで寝ていた。皆はとっくに起きていた。ベーグル、クロワッサン、コーヒーなどを買ってきてくれて朝食。

1:00PM、LENS CRAFTERSというメガネ屋へ。(ここは昨夜ジョナサンが教えてくれた。)アメリカのメガネ屋には目医者のセクションが常設されていて、まずそこで目のテストを受けることになる。($55もするが)昨日、ジョナサンのメガネを借りた時あまりにもよくみえるので(マシューのはきつすぎ)本当にメガネが必要だと思った。いくつかのテストを受け結果がそのままレンズになる。店員みたいにいろいろメガネをもってくるモニカと一緒にフレームを選んだ。結局自分で探し出したフレームにしたけど。

1時間の待ち時間の間にとなりのマクドで昼食。ハニーマスタードソースがおいしかった。そしてメガネをうけとる。生まれて初めてのメガネである。確かに・・・世界が変わった。景色が一変した。うれしかった・・・が最近カードの使いすぎが気にかかる。130円/$で考えるとやたら日本よりも物価高に感じる。かなり高い。メガネも$140+55(TEST)=195もした。

夜「True lies」のVIDEOを見た。***昼、新聞にWANT ADが入っていたのでみていて仕事の話になった。モニカとマシューが「本気でアメリカに住みたいと思うならHELPしてあげる。保証人になってあげてもいい。」とまでいってくれた。自分がアメリカでやっていきたいのかどうか、はっきりいってまだよくわからないし。しかし彼らの優しさは本当にありがたい。いい友達をもったものだ。感謝している。

引越先を見に行く

1998年05月16日 | アメリカ日記
5月16日(土) 晴れ

8:30AM、モニカとエミリアとTAXIにのって「220 Manhattan Ave 7T NY NY 10025」へ出向く。以前アポをとっていた引越先を見に行ったのである。

ベルを鳴らすとドミニカ女性のミラという人と(M.Mendez)友人が迎えてくれた。で部屋だが、第一印象としてはまず暗かった。リビングはとにかくたくさんの物がところせましと置かれておりくつろげる雰囲気ではなかった。マクレノン家の部屋が基準にどうしてもなってしまうので物足りない。皆は1ヶ月650ドルは安いというが(場所はとてもいい)これならインターナショナルハウスの方が・・・と思ってしまう。

Wllo stから70stまで40ブロック歩く。エミリアの車を押すアジア人の私とモニカの図が道ゆく人々には奇妙にうつったことだろう。途中でブランチ(昨夜に続きポルトガル料理)。そのあとC.Pの噴水のところでマシューと合流。C.Pは走ったり、ローラーブレードをする人達でごったがえしていた。芝生の上で1時間ほど昼寝。(俺もローラーブレードが欲しくなった。)

夕食はマシュー作メキシコナチョス。8:00PM、2年半振りにジョナサンと再会。(彼がこっちにきた)最近弁護士の仕事をはじめたらしい。体が大きく(太って?)なっていてびっくりした。貫禄か・・・。Mr. ハーバード。モニカ抜きの3人でBarへ。アーパーな男と女でごったがえしていた。来週日曜のジョナサンの引越の手伝いと、ヤンキースタジアムへ行くことを約束して1:00AM帰っていった。