LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

2011年リオのカーニバルに参上!!

2011年03月04日 | 南米日記
04Mar2011 Rio de Janeiro BRAZIL



予定より2時間遅れの午後2時半、結局42時間かけてリオデジャネイロ到着。思ったよりあっというまだったけどこの2日間ほとんど何も食べてないので空腹で疲れた。。

人でごった返すバスターミナル。7日午前のイグアス行きチケット(これも23時間バス・・つい昨日いたのに。。)を取りタクシーで予約しておいたセントロの宿へ。この時期にもかかわらず格安で取った宿であったがチェックインしてちょっとびっくり、ラブホテル(たぶん)であった。でも宿があるだけ幸運。なんとカーニバル会場にも600mの近さである!周りの治安はいまいちっぽいけど。早速2日ぶりのシャワーを浴びてさっぱり。

この時、丁度昨日リオデジャネイロに入った世界一周を夫婦でしている相棒のいとこから「今夜一緒にごはんしましょう」とメールがありメトロでCariocaカリオカ駅へ。地上に出るとカーニバルの雰囲気ムンムンである。

午後7時半、相棒のイトコにあたるコージ君と奥さんのリサちゃんと初めてお会いする。世界一周の旅に出ているのは知っていて世界のどこかで交わるかな・・と話していたがとうとうリオで衝突!!

最初に入ったレストランは値段が高くて退席、そそくさとSUBWAYへ。どんな状況でもバックパッカーはバックパッカーなのである。しかしこのブラジルの物価は一体何・・。はっきりいって日本より全然高い!!

今夜は子供パレードで入場無料ということでカーニバル会場にいってみた。





本番さながらに子供達が一生懸命踊りそれを親戚一同が観客席から応援してるという感じ。







今夜は残念なことに雨。夜12時過ぎ、びしょぬれで宿に帰ってきた。

もういきなりブラジルの熱気を全身に浴び明日からの2日間、夜寝ずに体力が持つのか今からもう不安である。。


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65カ国目ブラジル入国

2011年03月03日 | 南米日記
03Mar2011 Night bus(Buenos Aires-Rio de Janeiro)

13:30 プエルトイグアス到着。また数日後ここに戻って来なくちゃいけないと思うとホントもったいない。。すぐそこにはイグアスの滝があるというのに通過だなんて・・。。

アルゼンチン側は自分で並んで国境を越え、ブラジル側はバスの係がパスポート集めてどっかいってスタンプ押して帰ってきた。簡単。ブラジルに入ると広大な赤土の大地が流れる。



夢遊病者のようにただただ座席に座って時が過ぎるのを待つのみ。。


ブエノスアイレスからリオデジャネイロ行きバス出発

2011年03月02日 | 南米日記
02Mar2011 Night bus(Buenos Aires-Rio de Janeiro)

午前中、世界で2番目に美しいといわれる本屋がここブエノスアイレスにあるというので見に行く。本の陳列の仕方がすごいのか、働いている人が美しいのか、一体何がそんなにすごいのか分からないが相棒が見たいというのでとにかく行ってみた。入ってみて納得。そこはなんと立派な劇場をそのまま本屋にしていて舞台は喫茶店になっていた。当然売ってる本に日本語の本はなく謎が解ければ用はないということでとっとと退散。。

最後にフロリダ通りを散歩し荷物を取りに宿に戻る。このブエノスアイレス上野山荘別館には長期の沈没者が存在しすえた臭いを発している。そいつらは旅人の間ではかなり悪名高く、雰囲気が悪いので泊まるのをやめた、すぐチェックアウトした、という声を何度か聞いた。確かに雰囲気の良くない宿ではあったが、宿を切り盛りしてるおばさんは僕たちに大変良くしてくれ1階の入口まで出て見送ってくれた。

歩いてバスターミナルに行く。午後8時半、長時間乗車記録を更新するブエノスアイレスからリオデジャネイロ行きバス出発。


【バスで出された食事。とてもじゃないが食べられる代物ではない・・】

船でウルグアイの世界遺産の街コロニア・デル・サクラメントへ

2011年03月01日 | 南米日記
01Mar2011 Buenos Aires ARGENTINA

預けた荷物を引き取るためとはいえ、この宿に戻ってきたことをかなり後悔した。朝4時までアホな連中がうるさく、また部屋の酒の臭い匂いとくたびれたマットレスが眠りを妨げる。

結局ほとんど寝付けず7時にシャワーを浴びて外出し午前8時には港のブケブスに到着。チケットを購入しパスポートコントロールの一つのカウンターで出入国手続きを同時に終えて出発を待つ。

09:30発のスローボートでブエノスアイレスを出発。



このボート南極の時のボートより全然立派で快適。ウルグアイの唯一の世界遺産の町であるコロニア・デル・サクラメントに13:50(時差1時間)到着。64カ国目。



茶色いラ・プラタ川沿いのサンサンと光降り注ぐ明るく時間のゆっくり流れる町。ただ町自体はとても小さく2時間も歩けば最早何もすることがなくなってしまう。







帰りは19:01発のスピードボート。1時間ちょっとでブエノスアイレス到着。

南極ツアーではほとんど野菜にありつけず塩辛い味付けばかりでここんところくに食べていなかったので、晩御飯はブエノスアイレス初日に来たそんなにおいしくない中華系ブッフェでお腹いっぱいいただく。

南極ツアーの準備

2011年02月17日 | 南米日記
17Feb2011 Ushuaia ARGENTINA

またお昼まで寝てしまった。

帽子、グローブ、フリースのインナーを買う。装備が貧弱すぎるので南極あんまり寒くなけりゃいいけど。

美味しそうな極高レストランを横目にいつものハンバーガー。流石に飽きてきた。ウシュアイアきて6日間ハンバーガーとサンドイッチしか食べてない。

コミッション払うのが嫌でWebからブエノスアイレスからサンパウロ行のバスチケットを取ろうと宿の中国人(スペイン語圏生活30年)を巻き込んで四苦八苦したが結局断念。只々疲れただけであった。明日旅行会社でコミッション払おう。。

ちょっと切れた

2011年02月16日 | 南米日記
16Feb2011 Ushuaia ARGENTINA



午後2時前、旅行会社にバウチャーを取りに行くとまだ届いてないからまた来てくれ、という。

ついでにブローシャかなんか欲しい、と言うとそんなものはない、昨日説明したじゃないか、渡すものは船会社から何も渡されてない、スケジュールなんてあってないようなもんだ…とアーダコーダなんとかイヤらしく丸めこんでこようとする親父の態度にプチ切れ、3500ドルのツアー申し込んでる客に渡す資料1つないのか?レシート1つもらってないぞ。そっちが客の立場だったらどうなんだよ!と言って出て行った。

日本の常識は時として仇となる。いかん、こんな地の果てで日本では・・とか言ったら。。

Tierra del Fuego National Park

2011年02月15日 | 南米日記
15Feb2011 Ushuaia ARGENTINA

午前10時過ぎ、バスに乗りTierra del Fuego National Park へ。公園事務所でまたまたやたら高い入園料65ペソを取られる。入園料と言いバス代といい3年前に発行されたガイドブックに書かれてる値段の2倍以上。さすが過去経済破綻した国、インフレなのか、ボリ根性がきついのか…。



このバスの中でほぼ同年代と思われる上海からの中国人と出会う。何の因果かしらないけど彼は今朝12日間の南極から船で戻ってきたばかりらしい。去年の年末にも40日間の飛行機での南極ツアーに参加しその時は南極点にも立ったとのこと。今日戻ってきたツアーは40日の滞在が終わった後にすぐ船で出発し、目的は南極でのダイビングだというから恐れ入った。ちなみにだいぶ前から予約をいれた船ツアーが7000ユーロ、飛行機ツアーは船の10倍だったそうな。

こちらは昨日南極行きを無理矢理諦めたばかりなのに、こうやって南極ファンが目の前に現れちゃったもんだから興味津々でいろんなことを聞きながらトレイルを一緒に歩いた。3500だったらいいんじゃない?と言われ諦め撤回。

この時点で頭ん中は南極一色。ペンギンが列をなして歩いてる姿ばかり想像してしまい折角の美しいティエラ・デル・フエゴ国立公園の景色はほとんど入ってこなかった。







3時のバスに乗りウシュアイアに戻り、さっそく宿近くの旅行会社に18日発の部屋があるか聞きに行く。

「売り切れです。」

やっぱりこういうオチだったか。でもないと言われれば諦めもつく。でも4500ドルの部屋はありますよ、と言われたがそれは無理。次の空室のあるツアーは26日発でそれは日程的に不可能だし。



諦めはついてたもののダメもとで昨日の南極専門の旅行会社へ行き同じ18日のツアーの空室確認。

「部屋あるよ、ただし3500は売れちゃったので3990ドル」

滅茶苦茶行きたいけど、3500じゃなきゃ行かない、と伝えるととりあえず申し込んで船会社に聞いてみようということになる。どんなカラクリがあるのかはわからないが結局3500でOKがでる。

その場で電話を借りてラン航空のフライト日を28日に変更。これでとりあえず南極行き決定。

ドデカハンバーガーとフライドポテトをテイクアウトし宿をもう2泊延長して本日終了。

地の果てで42歳の誕生日を迎える

2011年02月14日 | 南米日記
14Feb2011 Ushuaia ARGENTINA

今日は誕生日。特に決められた予定もなかったというのもあってか、朝食を挟んで何と午後2時まで寝てしまった。この宿とにかく居心地が良くよく眠れる。おかげて本日どもにも行けなくなってしまった。

で、何気に南極専門の旅行会社を探し出し南極ツアーについて聞いてみると昨日他の会社で聞いた18日発のツアーが500ドル安い3500ドルで出されていることを知り色めきたつ…

でも荷物のほとんどをブエノスアイレスに置いてきてるし、本気の冬服ないし、どうせ南極まで行くならいいカメラとかビデオとか用意したいし、暇な船内で読む一冊の本も無いし、16日のブエノスアイレスのチケット取り直ししないといけないし、環境庁に届け出さないといけないらしいし、28日に戻ってきたら3月4日のリオデジャネイロ到着が厳しくなりそうだし…と行きたい気持ちを無理やり消そうとしている自分がいた。

でもホントは2人で60万も新たに使っちゃっていいのかよ…とビビっていたのがきっと本音。

南極なんてお金があったらいつでもこれるよ、ジジイになったらちゃんと準備してもう一回来よう、と無理やり納得して諦めた。

宿に帰ってラン航空を確認してみると28日のブエノスアイレス行は312ドル。一昨日は191ドルだったのに上がっていた。諦める理由がもう一つ見つかってホッとした。

誕生日だからといってやたら物価の高いこのウシュアイアで贅沢ディナーするほど気が大きくないので、ホットドッグ買ってきて2人で分けて食べた。

飾らない誕生日で十分だと思った。お金を使ってその日が特別だと思いたいのはきっと日常が満たされてないからだな。

とにかくまた1つ歳をとってしまった。この調子だと人生あっという間だ。でもいまんとこ悪くない人生、かな。

ビーグル水道ヨットツアー

2011年02月13日 | 南米日記
13Feb2011 Ushuaia ARGENTINA


【港使用料】

9時過ぎ港に行き10時過ぎヨットのデッキに腰掛けビーグル水道の島々を見てまわる。




朝方暗かった天気も段々回復してきて近くにはアンデス山脈の南の端とその反対側にはチリ側の山々が澄んだ空気の中で美しいその姿を見せてくれた。

アシカの島と鳥の島を見たあと、上から見るとその形に見えることから名前がついたH島に上陸し島内を軽く一周し2時頃ウシュアイアの港に戻って来た。













世界最南端の町ウシュアイア到着

2011年02月12日 | 南米日記
12Feb2011 Ushuaia ARGENTINA

朝6時半起床。7時半のチェコ人でほとんど占領されたバスでウシュアイアを目指す。車窓からの寒そうな景色はこれぞパタゴニア。

11:25船に乗り30分ほどで海を超える。地理的な理由からか、結構寒い。たまたま今までが暖かすぎたのか…



午後2時過ぎチリ出国。


【国境】

午後3時前、アルゼンチン側国境。ドライバーが客のパスポートを持って勝手に手続きして戻って来た。

19:40南極からわずか1000キロ足らずの世界最南端の町ウシュアイア到着。ツーリストインフォメーション前で一日前に到着したトミーとばったり。



宿泊代の高いここウシュアイアで手頃ないい宿を見つけた後、レストランでハンバーガーとコーヒーの夕食。

今夜中の1時。外は強く雨が降っている。雨音までもパタゴニア!