小平市地域自立支援協議会

小平市地域自立支援協議会の委員によるブログ

2期6年間の会長退任にあたり

2014年06月30日 16時45分20秒 | ひとりごと

 

日本社会事業大学の古屋です。

この度、2014年3月末日をもって、小平市地域自立支援協議会の会長を退任いたしました。

2008年の協議会設立より、2期6年間にわたり、会長を勤めさせて頂きました。

この間、有形無形のご支援とご協力、ご厚誼を頂いた皆さまに心より感謝を申し上げます。

既に退任して3カ月が過ぎてしまいましたが、改めてここでご挨拶させて頂きます。

 

障害者自立支援法の制定により立ち上げられた協議会ですが、最初の頃は運営方針などをめぐり、やや迷走していました。

会長私案として、協議会の将来イメージ案なども示させて頂き、目指すべき将来像をめぐる合意形成を図りました。

協議会に専門部会や特別委員を設けることについては、市の要綱や予算との絡みで、丁々発止の議論がありました。

障害を有する当事者委員への情報アクセスに関して、どのような合理的配慮が必要なのか、議論にもなりました。

支援の関わりを拒んでいる個別支援事例の検討について、「ご本人・ご家族の承諾」が大きな壁にもなりました。

成し遂げられたことはあまりに少なく、忸怩たる想いはありますが、ここでは印象に残ることを3点だけ記させて頂きます。


一つは、地域移行部会を設けて、精神障害ワーキンググループを構成し、長期在院精神障害者の調査と提言をまとめたことです。

市内にある三つの精神科病院で、小平市に住民票のある1年以上長期入院者の方々にアンケート調査を行いました。

回収率83.1%、109名の方に回答して頂き、多くの方々が「退院したい」という願いと、ひとりで暮らす不安な想いを寄せて頂きました。

長期在院している当事者の方と、精神科病院のスタッフの方々との間にある、大きな意識のギャップも如実になりました。

障害をもつ方々の多くの隠れたニーズがあること、現状の福祉行政はその実態に追いついていないことが明らかになりました。

この結果をもとに、協議会としては、小平市の福祉計画に地域移行支援のための具体的方策を書き込んでいくことを要望しました。

 

二つ目は、その福祉計画策定にかかわって、市内の障害のある方々の生活実態調査を行い、策定委員会を開催したことです。

2011年度の1年間、「小平市障がい者福祉計画・第三期小平市障害福祉計画」策定委員会の委員長を勤めさせて頂きました。

これは、2011年度までの計画を踏まえて、2012年度~2014年度までの3年間を計画期間とするものです。

この計画にどのように障害者支援の方策や数値目標が書き込まれるかによって、大きく今後の小平市の姿が変わります。

そのため、委員会では素案を提示する市役所側と、当事者や家族会、専門職の従事者等との間で、毎回激しい討論となりました。

傍聴者も多数詰め掛ける中で、市の緊縮財政もあり、とても不十分な計画策定に終わったことが、今でも残念です。

 

三つ目は、協議会にかかわらせて頂いて、多くの市内障害者団体の当事者や、事業所の職員の方々と知り合いになれたことです。

自分自身は、小平市に長年住み、市内の病院で26年間勤めて来ましたが、やはり井の中の蛙であったと意識させられました。

小平市は古くから精神病院や養護学校があったこともあり、障害者支援の文化と土壌がある街で、それは大きな強みになっています。

一方で、「小障連」はじめ様々な既存の民間団体があるために、協議会ができても「協議会の姿が見えない」という批判も寄せられていました。

協議会では情報部会を立ち上げ、広報紙「お~えん」を発行し、このブログページも開設し、情報流通を活発にすることを目指しました。

今、警察との連携が取り組まれ始めていますが、官民の意識変化と連携協働による「街づくり」が、少しでも進むことを祈っています。

 

小平市が抱える課題は山積していますが、小平市には他市に無いネットワークと、人的資源の宝庫というリソースがあります。

2014年度から、協議会は伊藤善尚会長、中村真英副会長と、新任・留任の委員の皆さまに引き継がれています。

後任の学識経験者の委員としては、日本社会事業大学の添田雅宏さんを推挙させて頂きました。

新しい体制で、新しい自立支援協議会を築いて頂ければと願っています。

そして、小平市が障害者福祉のモデル自治体となることを期待しています。

6年間、本当にお世話になりました。

皆さま、ありがとうございました。

 

前会長・古屋龍太

(日本社会事業大学大学院福祉マネジメント研究科、准教授)