熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2008年1月18日 丹後由良・天橋立 初日 15 天橋立2

2008-01-18 23:00:15 | 近畿(京都)
((ルート))

1.丹後由良駅 → 2.如意寺 → 3.由良神社 → 4.由良海岸 

→ 5.丹後由良駅~天橋立駅 → 6.智恩寺 → 7.吉野神社

→ 8.ホテル北野屋 → 9.智恩寺 → 10.天橋立

→ 11.智恩寺 → 12.ホテル北野屋

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 では、天橋立続き。このあたりで父親からホテルに到着したとの連絡が入
ったが戻るのも面倒なので、適当にすごすよう相談し我々は先に進んだ。
 両親は落ち着いたあと少し散策するということであった。

①智恵の松

 一本の待つが三叉になってることから三人集まれば「文殊の智恵」より引用
して名づけられた。



②倒れかけの名松



③伝説の剣豪岩見重太郎の試し切りの石の跡。



④式部の松

 女性のようにほっそりしていることからこの地に縁のある和泉式部の
名前から採られた。



⑤岩見重太郎あだ討ちの地

 講談などで有名な剣豪岩見重太郎は江戸初期に活躍したとされる。父の
仇の広瀬軍蔵、鳴尾権蔵、大川八左衛門を追って宮津にやってきたが三人
は藩主京極家にかくまわれていた。が、ついに藩主の許可を得て、この地
で三人を討ち取り本懐を遂げた、という場所。
 ちなみに重太郎には、毎夜、天橋立で通行人を襲っていた元伊勢籠神社
の狛犬の足首を切り、その夜行を止めた、という伝説もある。



⑥海軍思想普及のための大砲

 大正十二年二月五日、海軍大臣より下付。



⑦天橋立神社(橋立明神)

・本殿正面は豊受大神、向かって左は大川大明神、右は八大龍王(海神)
 が祀られる。
・かつては皇大神を祀りいわゆる元伊勢を遷したものという説もあるが
 ただの俗説であろう。
・おそらく文殊信仰が流行した平安末期から鎌倉時代にかけて文殊堂境内
 鎮守として祀られていると思われる。
 (天橋立は文殊堂境内地)





⑧名水 磯清水 (閉ざされてました)



⑨昭和天皇お手植えの松

 大正五年、昭和天皇が皇太子時代にお手植えされた松。



⑩大正天皇お手植えの松

 明治四十年、皇太子であった大正天皇がお手植えされた松。



⑪海

 アサリやハマグリが取れるようだが、禁漁地。




⑫名松 千貫の松

 千貫の価値がある松といわれる。




⑬海



⑭羽衣の松

 羽衣天女伝説を想像させるために名づけられた。



⑮遊歩道



⑯倒れた双龍の松



 そして、渡り終えて府中の町に入ったところで碑があった。

⑰全国健称マラソン発祥地



 この後、最終遊覧船に乗り文殊に戻り、両親と落ち合った。
 弟は出不精なので、ホテルで寝転んでいたようだ。


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2 Comments

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最高^^ (ちゃぴLuXcieL)
2008-02-01 02:38:54
写真キレイですね。

記憶がよみがえりました^^
返信する
ようこそ (榎本朝臣産田花乃丞常忠)
2008-02-01 02:56:29
ちゃぴLuXcieLさん、どうもコメントありがとうございます。ちなみに天橋立は展望台からの景色がよかったですよ。
返信する

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