「近畿(奈良)」のブログ記事一覧(2ページ目)-熊野醉軍

熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2008年1月5日 7 小杜神社

2008-01-14 23:23:40 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 次は多坐弥志理都比古神社のすぐ南に見える小杜神社。元々は小社神命神社。
なぜ「小杜」になったのかわからん。社と杜を見間違えただけではないのだろ
うか・・・




 ちなみにすぐ西に鳥居もなく拝殿もなく、ものすごく小さな社だがそれまた
式内小社であり、多坐弥志理都比古神社の境外摂社である皇子神命神社がある
そうだが、もちろん発見もできなかった。

★小杜神社★ 奈良県磯城郡田原本町多

 祭神 太朝臣安萬呂

・式内小社 小社神命神社。
・多坐弥志理都比古神社の境外摂社。

2008年1月5日 6 姫皇子命神社

2008-01-14 23:10:51 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 多坐弥志理都比古神社から東に100~200メートルほどのところに
小さな神社がある。建物からみて、多坐弥志理都比古神社が管理している
のだろう。





★姫皇子命神社★ 奈良県磯城郡田原本町多

 祭神 姫皇子命 (皇子なので男神のようだ)

・式内小社
・多坐弥志理都比古神社の境外摂社らしい。

2008年1月5日 5 多坐弥志理都比古神社

2008-01-13 04:55:52 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 和爾下神社から大きく移動でもないか・・・ 磯城郡田原本町へ移動。限り
なく橿原市に近い位置なのだが。M子師匠が多神社に行きたいといっていたの
で連れて行った。近鉄の笠縫駅と新口駅のちょうど真ん中辺りに一の鳥居が見
える。今もご健在かどうかは知らないが、先代の宮司さんの奥さんは仕事の関
係で顔見知りであった。

 では、多坐弥志理都比古神社の写真。







 社殿などは新しく小奇麗なところだ。



★多坐弥志理都比古神社★

祭神:神武天皇 神八井耳命 神沼河耳命(綏靖天皇) 姫御神
 → しかし、元文2年(1737)には、神武天皇と姫御神を祀る第一、四社は
  摂社として扱われている。

・社伝によれば、神武天皇の皇子神八井耳命がこの地に来、「我、弟に皇位を譲  り、天神地祇を祀る」云々という由緒を持つ。
・延喜式内社。旧県社。名神大社。
・多氏の拠点であり、祖神の神八井耳命を祀ったものとみられる。
・中世には国民である十市氏によって保護された。
・本殿は一間社の春日造りが並ぶ四殿配祀の形式をとる。
・本殿は奈良県指定文化財になっている。

2008年1月5日 4 和爾下神社(下治道宮)

2008-01-12 17:27:33 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 本当は、和爾下神社二座のうちのもう一方、上治道宮に行くつもりであった
のだが、駐車場もなく、取り付かれたように交通を拒否する少し偏った雰囲気
のところであったので断念し、車を走らせて到着したのがこちら。思ったより
も大きかった。ちなみに、昨年の天理教のお節に一緒に行ったいのり師匠はこ
の近くに住んでいるらしい。






★和爾下神社(下治道天王神社)★

 鎮座地:奈良県大和郡山市横田町23

 祭神:素盞嗚尊、大己貴命、櫛稻田姫命、横田物部神

・添上郡式内社和爾下神社二座の内の一座に比定され、天理市櫟本町に
 上治道宮がある。

・北隣に横田下池があり、弥生時代の遺物が出土している。

・氏子崇敬者地域は京都南山城から祝園付近まで、大和は添上山辺西部
 まで広範囲に広がり、大きな勢力を持っていたことがわかる。

・ちなみにこの横田郷は饒速日尊の後裔である横田物部の拠点だったと
 いわれる。

2008年1月5日 3 和爾座赤阪比古神社

2008-01-12 16:53:19 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 天理教本部に行った後、櫟本のほうを車で走ると偶然にも和爾座赤阪比古神社
を発見して、寄っていった。





★和爾座赤阪比古神社★
・式内村社。
・祭神:阿田賀田須命(赤坂比古命) 市杵嶋比賣命
・由緒は不明。

2008年1月2日 薬師寺および田原本1

2008-01-12 16:43:20 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 1月15日まで国宝の吉祥天女画像が開扉されるとのことで薬師寺を攻めた。

 まずは與樂門。



 そして、入場受付を済ませ、薬師寺境内へ。



 金堂と有名な薬師寺東塔。ここは、フェノロサに絶賛されたとこだ。
 そして・・・ とうとうアップ。



 こちらは鎮守の龍王社。



 こちらは東塔と西塔。



 そして東院堂。



 そして、続く・・・

2007年10月9日 熊野の旅第四日目 7

2008-01-09 21:45:50 | 近畿(奈良)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 では、船旅再開。今度は上瀞。十津川村エリアに入っていく(と思う)。

 まずは、峡谷に架かるデンジャラスな吊橋。



 そして再び美しい眺め・・・




 さらに、自然に作られた狛犬。



 ささやかな滝。



 そして再び峡谷に戻ってフィニッシュ!


2007年7月16日 葛城 5

2008-01-09 03:06:03 | 近畿(奈良)
((道順))

 1.実家 → 2.西代の某神社 → 3.當麻蹴速塚 → 4.平田春日神社

→ 5.当麻寺 → 6.大中公園

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 そしてついに当麻寺到着。仁王門(東大門)より仁王様がお待ちかね!



 この仁王門は奈良県の有形文化財。延享元年(1744年)建造だそうだ。
 構造形式は三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺。
 なかなか立派な門で、小さいころはここの仁王様が怖かったものだ。

 そして、門をくぐってすぐに鐘楼が見える。



 これは、日本の国宝である。中にある梵鐘が日本最古のものだそうだ。
 吹きさらしで、実はすごいものがあるのだね。
 

2008年1月5日 2 天理教教会本部

2008-01-09 00:45:07 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 夜都伎神社に行った後、中和大教会詰所の駐車場に車を停めさせていただき、
詰所でお節のチケットをもらって天理本通り商店街の混雑の中、教会本部の方
へ歩き、ようやく到着。



 本部の写真だす。まあ、人が多いのはわかるかと思う。
 さらに、もう一枚。



 この人混みはみんな日本一のお節(雑煮ですが・・・)を食べに来ている
方々なのだ。全国から来られている。そして、我々も一般入場口で1時間少
し待って、ようやく雑煮と対面。餅は都合10個ほどいただいた。ここは
シンプルな雑煮で、餅と水菜と澄まし汁だけ。ところがこの澄まし汁の味が
極上なのだ。まあ、多少、昔よりは味は落ちているが、今のところはまだこ
の味を越えるものを食べたことはない。



 これがお節会場。団体様はしっかりとした建物で頂いているはず。給仕係
の高校生や修養科の方々、ありがとうございます。

 そして、雑煮の後はM子師匠の別の用事のために再び本部へと向かうこと
に。親神様のおられる神殿の東側の姿の写真。正面とは少し異なる。



 ここで、M子師匠が教祖中山みき様が呼んでいるというので放っておいた。
てっきり親神様のいるはずの神殿に行くものかと思えば、緑の屋根のほうか
ら呼ばれている、というのでついていった。緑の屋根の建物は実は親様の居
られる教祖殿にあたる。M子師匠は知らなかったというが、以前に連れて行
ったことがあるので、知らぬはずはないのだが・・・ ま、M子師匠の用件
は中山みき様が現れ、天理王命(親神様)がいなくなった、と悲しんでおられ
とある種の祝詞をあげてくれと依頼があったとか・・・ ま、わしにはわか
らん世界だす。写真を撮りながら待たせていただいた。

 ということで、教祖殿の写真。



 ついでに、私の父方の身内が眠っている御霊殿。



 そして、神殿、教祖殿、御霊殿に囲まれたエリアの写真。



 さすがに、立派な建物ではある。大本教よりは立派だ。黒住や金光の本拠地
にはいったことがないからわからんな。

 さいごは、仲のよさげな家族の後姿・・・ 年齢的に、今が一番いい時期
なのだろうな・・・


2008年1月5日 1 夜都伎神社

2008-01-06 22:08:29 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 この日は朝から天理教教会本部で催されるお節会に行くために大阪からM子
師匠に来ていただき、天理に向かった。途中、一日の夜中にいけなかった
夜都伎神社に立ち寄った。ここは非常に珍しい藁葺き屋根の拝殿を持つ式内社
なのだ。今回写真は撮っていないが石鳥居は春日大社若宮神社から下げられた
ものだそうだ。



 これがその珍しき拝殿。
 ちなみに、この日は週末で高齢の方々が山辺の道ハイキングを楽しまれてい
たため、ベストコンディションの写真はこれだけなのだ・・・

 そして、横から撮影した本殿。
 春日造りだ。



 三が日が終わったこともあり、村の世話役の方なのか片付けに来られていた。



 そして、天理教教会本部へと移動。


**夜都伎神社**

 祭神 武甕雷神、経津主神、姫大神、天児屋根命
 鎮座 天理市乙木町

・天理市乙木町の北方集落よりやや離れた宮山(たいこ山)に鎮座し、俗に
 春日神社と呼ばれる。
・乙木には元々夜都伎神社と春日神社の二社があったが、夜都伎神社の社地
 を竹之内の三間塚池と交換して春日神社一社にし社名のみ変えたのが現在
 の夜都伎神社。
・昔から春日大社と縁不覚明治維新までは夜都伎神社から蓮の御供えと称す
 る神選を献供し、春日若宮神社社殿と鳥居を下げられるのが例になってい
 ると伝わる。
・現在の本殿は明治39年(1906)改築したもので、春日造檜皮葺、
 高欄、浜床、向拝彩色七種の華麗な同形の四社殿が未神の琴平神社と並列
 して美観を呈する。
・拝殿は藁葺で、この地方では珍しい神社建築。
・鳥居は嘉永元年(1848)四月春日若宮より下げられたものという。

2007年7月16日 葛城 4

2008-01-04 20:13:39 | 近畿(奈良)
((道順))

 1.実家 → 2.西代の某神社 → 3.當麻蹴速塚 → 4.平田春日神社

→ 5.当麻寺 → 6.大中公園

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 さて、平田春日神社を後にし、再び当麻寺参道へ戻る。
 この地域で育った私には懐かしい風景である。



 最近は醤油屋が出来たようで少し、新鮮な息吹もある。




 興味深い。

2007年12月31日 3 高取城跡

2007-12-31 23:00:03 | 近畿(奈良)
((旅程))

 1.高取城址

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 八幡神社に参った後、一度山道を下り、次は高取山城の本丸や天守閣があったとされる方面へと進む。もう、山道に入れば、ところどころに石垣の跡が見え隠れする。相当壮大な山城であったことは想像に難くない。


 

 今は建物がすべて破却されており全様は想像しかねるが興味深い。

 

 こちらは壺坂口中門跡。どのような門であったのだろ。

 

 ここは、城壁があったのだろうか・・・

 さらにしばらく進めば大手門跡に到る。




 建物が無いのは、しかし悲しいものだな。

 さらに奥の門跡が続く・・・


 

 大手門跡を過ぎると石垣がはっきりと見えてきて、建物があったであろう部分が明らかに見えてくる。まずは、十五間多門および櫓跡。

 
 

 こちらは、櫓跡に上って撮った写真のように思う。写真ではわかるぬが、石垣に雪がかぶさり美しい。

 

 櫓を過ぎると高取城の石碑があるところへ到着する。たぶん、ここは二の丸だろう。

 

 せっかくなので石碑前で写真を撮る。

  

 おお、二重顎・・・ 太ったものだ。ううう・・・
 痩せるべし。
 そして鬼軍曹M子師匠。

 

 さらに横には歌碑もある。



 土佐は高取町の地名。この歌は白亜の城高取を歌ってるものであるのだ。さぞかし美しかったんであろ。
 
 本丸跡を目指す。



 ここを越えると本丸跡(のはず)。



 今は建物が無いので見晴らしが悪いが昔は建物があったのでなかなかの景色だったのかもしれない。

 本丸はこのような感じ。夕方であったのと、あえて撮影モードでホワイトバランスを変えているために寂しげだが・・・



 つぎに、天守閣跡。あまり大きくない天守閣であったようだ。天守閣跡で石垣を見ていると、当時の通路の形などが想像できるのでなんとなく少しは城を想像できるような気がする。

 


 ここで、再び、M子師匠。

  

 さらに、天守閣跡にのぼり、飛び降り自殺を企てようとしているM子師匠。
無事、命は救った。

 

 そして、それがし。

 

 下山。

 


★高取城跡★ 奈良県高市郡高取町大字高取

・名は高取山城もしくは高取城。通称芙蓉城、鷹取城。
・日本三大山城のひとつといわれる、が日本一の山城といっても過言ではない。
・南北朝時代、南朝方であった越智邦澄が元弘二年/正慶元年、(1332)に築城したのが始まり。鎌倉幕府滅亡前年ゆえに、南朝方というよりは後醍醐天皇方といえる。
・元々、越智氏の本城である貝吹山城の支城であったが、越智氏の支配が長く続き、戦国時代になると越智氏の本城となったという。
・織田信長により大和国内の城は郡山城一城と定められ、天正八年(1580)、一旦は廃城となる。
・筒井順慶は信長が本能寺の変で横死の後、天正十二年(1584)、支城網の一つとして本格的城塞へと改めた。
・豊臣秀長が大和郡山城に入部した後、家臣の脇坂安治、本多利久が城主となり、本多利久が新しい縄張りをもって築造を施した。
・文禄四年(1595)、豊臣秀保が十七歳で没した後、本多利久の子俊政は秀吉の直臣となり一万五千石を与えられた。秀吉没後の混乱期に俊政は徳川家康側につき慶長五年(1600)、家康の上杉景勝討伐軍に加わり不在であったため、この隙に乗じ石田三成は松倉右近を大将に城を攻めたが、俊政の従弟正広はこの要害のおかげで松倉軍を敗退させた。俊政は関ヶ原の戦いの後、東軍に付いた功を認められ一万石の加増を受け高取藩二万五千石初代藩主となった。俊政の子の政武は寛永十四年(1637)、嗣子無く没し本多氏の支配は終焉。
・本多氏廃絶の後、桑山一玄(大和新庄藩主)と小出吉親(丹波國園部藩主)が城番となったが寛永十七年(1640)、旗本の植村家政が二万五千石の大名に取り立てられ新たな城主となった。以後、明治維新まで植村氏が城主であった。
・明治二年(1869)六月、版籍奉還により兵部省の管轄となった。明治六年(1873)、廃城。入札により建造物の大半が近隣の寺院などに売却された。
・子嶋寺山門は二の門が移築されたもの。
・日本一の皮膚科といわれる石川医院の門も下屋敷表門を移築といわれている。
・明治二十年(1887)頃まで天守をはじめとした主要建造物は城内に残っていた が人里離れた山頂であるため管理するものもなく自然崩壊した。

2007年12月31日 2 八幡神社(高取城八幡曲輪跡)

2007-12-31 23:00:02 | 近畿(奈良)
((旅程))

 1.高取城址

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 家老屋敷長屋門から集落の中を通る細い道を突き進み、壺坂寺へと行く道へ出て、ついに高取城址の近く(とはいえ、山全体が城址なのでこの言い方はおかしいかな)に到着。そこからは徒歩移動となるのだ。また、ここには八幡神社もあるのでそこにまずは行ってみた。元は八幡曲輪と呼ばれたそうだ。詳しくはわからないが、城の鎮守だったのか?昔は説明板もあったようだが、もはや字も消えているので不明。

 では、参道の写真。

 

 ブーツなので・・・あそこで葉と凍った地面のために危険・・・

 そして、ささやかな手水石。

 

 滑りながら上っていく。

 少し何かを感じるカーブがあったので、逆光ではあるが撮影。それがここ。

  

 そこから、しばらく行くとようやく社が見える。
 八幡神社だ。 


 

 もう、ワイヤーでとめられ、壊れそうな社。いつまで維持できるのだろう
かね・・・
 
 最後は、分厚い氷で手を清めることも出来ぬ手水石だ・・・

 

2007年12月31日 1 高取城城下町

2007-12-31 23:00:01 | 近畿(奈良)
((旅程))

 1.高取城址

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 この日は、前世の妻だと言い張るM子師匠が嫁いできたという高取の地へ仕方がないので連れて行ってまいりました。

 まずは、道を一本間違いいわゆる城下町の城へと続く道に車を入れてしまい、ついでに家老屋敷の長屋門まで写真を撮りに突っ込んでまいりました。一応、昭和36年のホワイト・デーに奈良県の文化財指定を受けているものです。


 

 すごく道が細く、正面からの写真は不可能なためにこのような形の撮影となりました。

 この門は江戸末期文政年間(1826年)の建立。今は、旧藩主の徳川家譜代植村氏の邸宅となっているそうです。

2007年7月16日 葛城 3

2007-12-18 00:56:27 | 近畿(奈良)
((道順))

 1.実家 → 2.西代の某神社 → 3.當麻蹴速塚 → 4.平田春日神社

→ 5.当麻寺 → 6.大中公園

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 平田春日神社。當麻寺参道を少し逸れたところにある。





 祭神 天児屋根命

 創立不詳
 文化9年(1813)8月 拝殿再建
 安政3年(1857)4月 神殿再建
 石鳥居は大正10年10月
 本殿左右の2対の石灯篭は延宝6年(1678)

 宮司は高津家が担当。

 だそうだ。