((道程))
1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田
→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社
→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮
→ 11.金剛寺
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、北山宮にやってきた。二回目だ。前回は不動七重滝の帰り道
だった・・・ ここは、後南朝の王の一人北山宮が祀られている神社。元々は
違うようであるが・・・
ちなみに、この辺りは景色が美しい。
旧村社であまり大きい神社ではない。
この神社は、悲哀に満ちながらも我々を歓迎してくれているように感じるが
気のせいだろうか?
★北山宮★ 奈良県吉野郡上北山村小橡字谷口807
・祭神 : 北山宮 (後亀山天皇玄孫)
・官幣大社吉野神宮境外摂社
「北山宮は後亀山天皇御曾孫尊秀王の御子にまします 嘉吉三年(一四四五年)
九月 父王比叡山に薨し給ひし後遺臣神璽を王子に奉り 吉野北山荘に擁護十時に
嘉吉の乱に滅びし赤松氏が 餘党主家を再興せんとして詐り 長禄元年(一四五七
年)十二月二日夜半大雪に乗じて丹生屋帯刀左衛門 同四郎左衛門守兄弟北山の
御産所を犯し 王子を殺し奉り神璽を奪い御首を奉持して逃る 郷民之を追撃して
伯母谷にて両名を討ち 神璽御首を取返し御遺體に合をし 御産所(ご出産所を
佛祠となし魂●を奉弔す南帝山瀧川寺これ也)後苑に奉苑す ●門島彦太郎上月
満吉中村貞友等 北山郷と期を合せて河野宮の御産所(川上村神之谷)を襲いて弟
宮も殺し奉り 貞友御首を奉持して這るも 郷民塩谷に要撃して御首級を取返し
御産所(神之谷金剛寺)の上に葬り奉る神璽は 南朝皇族護らせ給いしも 翌年
八月赤松が残党小寺藤兵衛取出し京都へ奉れり 茲に遺臣郷民悲憤し 且宮を
追慕する事急にして 翌年十二月此地に祠宇を建て 心を王子に竭して諭らす
子孫相傅して 五百幾星霜を経ぬ明治三五年一月 吉野神宮境外攝社に列せられ
同四五年一月附北山宮御墓所決定と共に御事跡は愈々明覈を得て 大正十一年
三月四日村社より県社に昇格し 昭和三一年に北山宮と改められる」
・北山宮を祀る北山神社はもともと「若一王子宮」と称し熊野信仰に連なる
十二所権現の一つであった。
・江戸中期から北山宮に対する信仰がたかまり、維新の際「其筋より祭神
自天王と称する事申渡され」(吉野名勝誌)明治二十六年官幣大社吉野神宮
境外摂社県社北山神社となった。
1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田
→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社
→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮
→ 11.金剛寺
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、北山宮にやってきた。二回目だ。前回は不動七重滝の帰り道
だった・・・ ここは、後南朝の王の一人北山宮が祀られている神社。元々は
違うようであるが・・・
ちなみに、この辺りは景色が美しい。
旧村社であまり大きい神社ではない。
この神社は、悲哀に満ちながらも我々を歓迎してくれているように感じるが
気のせいだろうか?
★北山宮★ 奈良県吉野郡上北山村小橡字谷口807
・祭神 : 北山宮 (後亀山天皇玄孫)
・官幣大社吉野神宮境外摂社
「北山宮は後亀山天皇御曾孫尊秀王の御子にまします 嘉吉三年(一四四五年)
九月 父王比叡山に薨し給ひし後遺臣神璽を王子に奉り 吉野北山荘に擁護十時に
嘉吉の乱に滅びし赤松氏が 餘党主家を再興せんとして詐り 長禄元年(一四五七
年)十二月二日夜半大雪に乗じて丹生屋帯刀左衛門 同四郎左衛門守兄弟北山の
御産所を犯し 王子を殺し奉り神璽を奪い御首を奉持して逃る 郷民之を追撃して
伯母谷にて両名を討ち 神璽御首を取返し御遺體に合をし 御産所(ご出産所を
佛祠となし魂●を奉弔す南帝山瀧川寺これ也)後苑に奉苑す ●門島彦太郎上月
満吉中村貞友等 北山郷と期を合せて河野宮の御産所(川上村神之谷)を襲いて弟
宮も殺し奉り 貞友御首を奉持して這るも 郷民塩谷に要撃して御首級を取返し
御産所(神之谷金剛寺)の上に葬り奉る神璽は 南朝皇族護らせ給いしも 翌年
八月赤松が残党小寺藤兵衛取出し京都へ奉れり 茲に遺臣郷民悲憤し 且宮を
追慕する事急にして 翌年十二月此地に祠宇を建て 心を王子に竭して諭らす
子孫相傅して 五百幾星霜を経ぬ明治三五年一月 吉野神宮境外攝社に列せられ
同四五年一月附北山宮御墓所決定と共に御事跡は愈々明覈を得て 大正十一年
三月四日村社より県社に昇格し 昭和三一年に北山宮と改められる」
・北山宮を祀る北山神社はもともと「若一王子宮」と称し熊野信仰に連なる
十二所権現の一つであった。
・江戸中期から北山宮に対する信仰がたかまり、維新の際「其筋より祭神
自天王と称する事申渡され」(吉野名勝誌)明治二十六年官幣大社吉野神宮
境外摂社県社北山神社となった。