熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2007年10月9日 熊野の旅第四日目 17

2008-01-24 00:57:50 | 近畿(奈良)
((道程))

 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 そして、北山宮にやってきた。二回目だ。前回は不動七重滝の帰り道
だった・・・ ここは、後南朝の王の一人北山宮が祀られている神社。元々は
違うようであるが・・・

 ちなみに、この辺りは景色が美しい。



 旧村社であまり大きい神社ではない。






 この神社は、悲哀に満ちながらも我々を歓迎してくれているように感じるが
気のせいだろうか?




★北山宮★ 奈良県吉野郡上北山村小橡字谷口807

・祭神 : 北山宮 (後亀山天皇玄孫)
・官幣大社吉野神宮境外摂社
「北山宮は後亀山天皇御曾孫尊秀王の御子にまします 嘉吉三年(一四四五年)
九月 父王比叡山に薨し給ひし後遺臣神璽を王子に奉り 吉野北山荘に擁護十時に
嘉吉の乱に滅びし赤松氏が 餘党主家を再興せんとして詐り 長禄元年(一四五七
年)十二月二日夜半大雪に乗じて丹生屋帯刀左衛門 同四郎左衛門守兄弟北山の
御産所を犯し 王子を殺し奉り神璽を奪い御首を奉持して逃る 郷民之を追撃して
伯母谷にて両名を討ち 神璽御首を取返し御遺體に合をし 御産所(ご出産所を
佛祠となし魂●を奉弔す南帝山瀧川寺これ也)後苑に奉苑す ●門島彦太郎上月
満吉中村貞友等 北山郷と期を合せて河野宮の御産所(川上村神之谷)を襲いて弟
宮も殺し奉り 貞友御首を奉持して這るも 郷民塩谷に要撃して御首級を取返し
御産所(神之谷金剛寺)の上に葬り奉る神璽は 南朝皇族護らせ給いしも 翌年
八月赤松が残党小寺藤兵衛取出し京都へ奉れり 茲に遺臣郷民悲憤し 且宮を
追慕する事急にして 翌年十二月此地に祠宇を建て 心を王子に竭して諭らす
子孫相傅して 五百幾星霜を経ぬ明治三五年一月 吉野神宮境外攝社に列せられ
同四五年一月附北山宮御墓所決定と共に御事跡は愈々明覈を得て 大正十一年
三月四日村社より県社に昇格し 昭和三一年に北山宮と改められる」

・北山宮を祀る北山神社はもともと「若一王子宮」と称し熊野信仰に連なる
 十二所権現の一つであった。
・江戸中期から北山宮に対する信仰がたかまり、維新の際「其筋より祭神
 自天王と称する事申渡され」(吉野名勝誌)明治二十六年官幣大社吉野神宮
 境外摂社県社北山神社となった。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 16

2008-01-23 14:43:34 | 近畿(奈良)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 北山宮に行く前に、もう少し上に行ったところに水分神社があるので寄って
きた。由緒などは消えていて見えないので写真のみの参拝となった。
 境内には野生の鹿の糞がたくさん転がっておりましたな。






★水分神社★ 奈良県吉野郡上北山村小橡

・祭神 : 天之水分神 国之水分神
・1450年以前の創建といわれる。
・祭日は、4月13日と11月23日で、当日「ウルシネ」と称する米を各戸2合ずつ
 出し合い、神供と餅まきをする風習があるらしい。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 15

2008-01-23 14:32:09 | 近畿(奈良)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 後南朝の史跡をたどり、まずは足利六代将軍義教を殺害した赤松氏の残党に
より殺められた北山宮(三之公に眠られる尊義王の一之宮と伝えられる)の墓所
があり、以前には御所があったというところである。
 まずは寺の対岸に車を停め、寺へ行くことに。

①橋からの境内の姿



②北山宮御所址の碑と山門



③北山宮墓



 宮様は、「南帝王」という異称があるが、歌も残されていたらしく歌碑がある。

  のがれ来て みを奥山の 柴の戸に 月も心を あわせてそすむ

④本堂内部





 この後、気持ちだけだがいくばくかのお金をお供えさせていただき、護符を
頂き、立ち去ることに・・・



★南帝山瀧川寺★ 奈良県吉野郡上北山村小橡

・後南朝北山宮御所址と伝えられる(南朝史跡)。
・北山宮尊秀王墓がある。
・曹洞宗に属す。
・本尊像底に「応永五年(1398)」の墨書銘があるから、それ以前の創立と
 思われるが、草創は不詳。
・長禄元年(1457)12月2日赤松の残党・丹生屋帯刀らが北山宮を殺し、神器を
 奪って逃げたので、村民を率いて追撃し、伯母谷において討ち取り、首と
 神器を奪回した後、北山へ帰ってから殉死したと伝えられる。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 14

2008-01-23 13:59:58 | 近畿(奈良)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 さて、ようやく上北山村に入り、後南朝北山宮を祀る北山宮および宮様の
墓所のある瀧川寺を目指すことに。横では、M子師匠が寝ている。この人は
助手席で寝てしまう愛想のない方である。
 途中、八坂神社というのがあるので時間的にも余裕があることから立ち寄
ったのだが、M子師匠は機嫌が悪い。が、降ろして社殿の前に行かせた・・・
 辺りは、金木犀が咲きいい香りだった。






★八坂神社★  奈良県吉野郡上北山村西原(?)

・由緒等不明
・京都八坂神社より勧請されたと推測する
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2008年1月2日 薬師寺および田原本4

2008-01-23 02:05:49 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 近鉄田原本駅へと移動し、浄照寺に行く前についでに田原本で有名な3つの
神社のうちのひとつ津島神社へといった。昔、先代の宮司さんの奥様が骨折
されたときにリハビリテーションを担当していたのだが、まだ元気にされて
いるのだろうか・・・

 ちなみに、拝殿は修復中であった。古い建物だったからねえ・・・



 正月は本殿の前の門が開いていたので中に入らせてもらった。
 社は三つ。

 祭神の分配はわからないが・・・




 あとはいくつかある摂社のひとつを・・・




★津島神社★ 〒636-0300 奈良県磯城郡田原本町549

・祭神は素戔鳴命、櫛名田姫命、誉田別命、天児屋根命などとなっているが、
 本来は牛頭天王を祭神とする田原本村の産土神だったと考えられる。
・神仏分離以前は祇園社といった。現在も夏に盛大な祇園祭が催され、
 吉本興業から毎年漫才師が来ている。
・明治中期に書写された天治二年(1125)の棟札に建立の文字があったとさ
 れることから、創建年代の早いことが想像できる。
・神社の南西側の発掘調査で、神社を囲む中世末の大溝が検出された。
・江戸時代には、領主平野家の尊崇をあつめ、毎年米1石5斗の寄進を受けた。
・明治2年、平野家の本貫地尾張国津島にあった津島社も祭神を牛頭天王と
 することから、社名を津島神社と改めることとなった。
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2008年1月2日 薬師寺および田原本3

2008-01-23 01:23:00 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 では、玄奘三蔵院伽藍へ突入。
 いわゆる三蔵法師を祭っている所だ。思うんだが数年前のゴダイゴの
コンサートは東大寺ではなくここの方がよかったのではないかね?

 とりあえず、伽藍の写真。



 正面は礼門。

 そして、玄奘塔。




 ちなみにここには、日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2
メートル、長さが49メートル(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」がある。

 さいごは、M子師匠。



 このあと近くの店でおいしい団子を頂き、田原本への移動となる。
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2008年1月2日 薬師寺および田原本2

2008-01-23 00:41:05 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 正月の薬師寺の続き。
 私が東院堂に行っている間にM子師匠は抹茶を飲みに行っていたので、ゆっ
くり写真を撮り、それから彼女を呼びに行った・・・
 そして、白鳳伽藍のメインに行く。

①中門とその上から見える西塔。



②薬師寺金堂
 いつ創建かは知らないが、文化財指定を受けていないので新しいのであろう。
二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で、龍宮造りと呼ばれているそうだ。構図が、
東大寺大仏殿と重なる・・・(調べたら昭和51年復興とのこと)



③薬師寺西塔
 享禄元年、兵火で消失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当初の白鳳様式を
もって復興。東塔よりも高く作られているが、それは1000年後に木が短くなっ
たときに東塔と高さが同じになるように計算して建てたのだとか・・・ 小学
生のころ遠足で復興後2年目くらいに行った記憶がある。



④薬師寺東塔(国宝・白鳳時代)
 各層にも裳階をつけているので六重に見えるが三重塔。フェノロサに
「凍れる音楽」と絶賛された美しき塔。相輪の頂上に取り付けられた水煙は四
枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りされているらしい。




 東塔の前で記念写真。
 不覚にも目を閉じてしまったそれがし・・・(故意という説あり)



 そして、いつもポーズを決めようとしているM子師匠。




⑤薬師三尊像(国宝・白鳳時代)

 金堂の中にある白鳳時代の貴重な仏像。堂内撮影禁止であるので、タイの
バンコク旅行でエメラルドブッダをを他の海外の観光客とともに堂外から撮影
した経験を生かし、外からチャレンジ。

 まずは中央に薬師如来。東方浄瑠璃浄土の教主で、医王如来とも言うそうだ。



 次は、向かって右側に坐す日光菩薩。



 そして、向かって左は月光菩薩。



⑥麻布著色吉祥天像(国宝)
 これを見るために行った。薬師如来像の前で御開帳であった。これも同じく
堂の外から激写。
 数少ない奈良時代の絵画遺品として貴重。頭部の背後に光背(後光)がある
ことからこれが仏画であることがわかるが、一見すると奈良時代の美人画のよ
うに見える。



⑦大講堂
 2003年の再建。本尊の銅造三尊像は、中尊の像高約267センチの大作だが、
制作時期、本来どこにあった像であるかなどについて不明。かつては金堂本尊
と同様、「薬師三尊」とされていたが、大講堂の再建後、寺では「弥勒三尊」
と称している。
 講堂が金堂よりも大きいのは古代伽藍の通則だそうで、南都仏教が教学を
重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだという。



⑧金堂と東塔



⑨不動堂
 写経するところだそうだ。



 では、玄奘三蔵院伽藍へと移動。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 13

2008-01-22 00:29:53 | 近畿(奈良)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 下北山村に入り、15時過ぎにようやく昼ごはんを食べれそうなところを見つ
け、喫茶店に入っていった。久々のカツカレーだった・・・

 ちなみに、下北山村では不動七重滝しか観光地が思い浮かばずに、どこも
寄らずに上北山を目指すことに。

 写真は、昼食を食べたところの前の池だ。

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2008年1月5日 8 屋就神命神社

2008-01-14 23:35:23 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 車で多坐弥志理都比古神社から西に200メートルほど? 川を渡ったら
すぐのところに新しい鳥居と小さな社が見える。それが屋就神命神社。これも
多坐弥志理都比古神社の境外摂社で式内社なのだ。しかし、姫皇子命神社と
小杜神社は綺麗になっていたが、皇子神命神社は地元の人以外はわからんく
らいの状態でここもなんとなくいまいちだ・・・なぜ扱いがここまで違うのだ?



 これにて、この日の旅は終了。実家に車を置き、大阪に帰った。


★屋就神命神社★ 奈良県橿原市大垣町

祭神 屋就神

・式内小社屋就神命神社
・多坐弥志理都比古神社境外摂社4社のひとつ。
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2008年1月5日 7 小杜神社

2008-01-14 23:23:40 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 次は多坐弥志理都比古神社のすぐ南に見える小杜神社。元々は小社神命神社。
なぜ「小杜」になったのかわからん。社と杜を見間違えただけではないのだろ
うか・・・




 ちなみにすぐ西に鳥居もなく拝殿もなく、ものすごく小さな社だがそれまた
式内小社であり、多坐弥志理都比古神社の境外摂社である皇子神命神社がある
そうだが、もちろん発見もできなかった。

★小杜神社★ 奈良県磯城郡田原本町多

 祭神 太朝臣安萬呂

・式内小社 小社神命神社。
・多坐弥志理都比古神社の境外摂社。
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2008年1月5日 6 姫皇子命神社

2008-01-14 23:10:51 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 多坐弥志理都比古神社から東に100~200メートルほどのところに
小さな神社がある。建物からみて、多坐弥志理都比古神社が管理している
のだろう。





★姫皇子命神社★ 奈良県磯城郡田原本町多

 祭神 姫皇子命 (皇子なので男神のようだ)

・式内小社
・多坐弥志理都比古神社の境外摂社らしい。
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2008年1月5日 5 多坐弥志理都比古神社

2008-01-13 04:55:52 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 和爾下神社から大きく移動でもないか・・・ 磯城郡田原本町へ移動。限り
なく橿原市に近い位置なのだが。M子師匠が多神社に行きたいといっていたの
で連れて行った。近鉄の笠縫駅と新口駅のちょうど真ん中辺りに一の鳥居が見
える。今もご健在かどうかは知らないが、先代の宮司さんの奥さんは仕事の関
係で顔見知りであった。

 では、多坐弥志理都比古神社の写真。







 社殿などは新しく小奇麗なところだ。



★多坐弥志理都比古神社★

祭神:神武天皇 神八井耳命 神沼河耳命(綏靖天皇) 姫御神
 → しかし、元文2年(1737)には、神武天皇と姫御神を祀る第一、四社は
  摂社として扱われている。

・社伝によれば、神武天皇の皇子神八井耳命がこの地に来、「我、弟に皇位を譲  り、天神地祇を祀る」云々という由緒を持つ。
・延喜式内社。旧県社。名神大社。
・多氏の拠点であり、祖神の神八井耳命を祀ったものとみられる。
・中世には国民である十市氏によって保護された。
・本殿は一間社の春日造りが並ぶ四殿配祀の形式をとる。
・本殿は奈良県指定文化財になっている。
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2008年1月5日 4 和爾下神社(下治道宮)

2008-01-12 17:27:33 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 本当は、和爾下神社二座のうちのもう一方、上治道宮に行くつもりであった
のだが、駐車場もなく、取り付かれたように交通を拒否する少し偏った雰囲気
のところであったので断念し、車を走らせて到着したのがこちら。思ったより
も大きかった。ちなみに、昨年の天理教のお節に一緒に行ったいのり師匠はこ
の近くに住んでいるらしい。






★和爾下神社(下治道天王神社)★

 鎮座地:奈良県大和郡山市横田町23

 祭神:素盞嗚尊、大己貴命、櫛稻田姫命、横田物部神

・添上郡式内社和爾下神社二座の内の一座に比定され、天理市櫟本町に
 上治道宮がある。

・北隣に横田下池があり、弥生時代の遺物が出土している。

・氏子崇敬者地域は京都南山城から祝園付近まで、大和は添上山辺西部
 まで広範囲に広がり、大きな勢力を持っていたことがわかる。

・ちなみにこの横田郷は饒速日尊の後裔である横田物部の拠点だったと
 いわれる。
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2008年1月5日 3 和爾座赤阪比古神社

2008-01-12 16:53:19 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.夜都伎神社 → 2.天理教教会本部 → 3.和爾座赤阪比古神社

→ 4.和爾下神社 → 5.多坐弥志理都比古神社 → 6.姫皇子命神社

→ 7.小杜神社 → 8.屋就神命神社

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 天理教本部に行った後、櫟本のほうを車で走ると偶然にも和爾座赤阪比古神社
を発見して、寄っていった。





★和爾座赤阪比古神社★
・式内村社。
・祭神:阿田賀田須命(赤坂比古命) 市杵嶋比賣命
・由緒は不明。
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2008年1月2日 薬師寺および田原本1

2008-01-12 16:43:20 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 1月15日まで国宝の吉祥天女画像が開扉されるとのことで薬師寺を攻めた。

 まずは與樂門。



 そして、入場受付を済ませ、薬師寺境内へ。



 金堂と有名な薬師寺東塔。ここは、フェノロサに絶賛されたとこだ。
 そして・・・ とうとうアップ。



 こちらは鎮守の龍王社。



 こちらは東塔と西塔。



 そして東院堂。



 そして、続く・・・
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