kochikika ノート

旧「こちら某中堅企業企画室」。リーマン話、時事の話、パリーグ話など。ぼちぼちやってます。

心洗われる2つの話題について思った話

2007-08-08 06:47:46 | Weblog

心洗われる話を2つ。
まずは2chのまとめサイトから転載。

242 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 02/03/27 16:37 ID:u0QjRD66
私が仕事で疲れバスにのっていると
ダウン症の子と思われる子がある停留所で
ダダダーと一目散に空席めがけて走ってきました。
私は当時障害児に対する偏見が強かったので
「はぁ。いやだなー。うるさそうだな。」
と思っていました。
その子は
「はやく、はやくおばあちゃん!ここだよ。空いてるよ」
と後からきた老人に席を取ってあげていたのでした。
しかも、その子のおばあちゃんではなく、赤の他人でした。
そして、席に座るのを見届けると自分はおとなしく
つり革につかまってずっと立っていました。
私は障害児ということで偏見をもった自分がとても恥ずかしくなり
その子に大切な事を初めて教えられた気がしました。

以前、ある産業紙の記事で、スペシャルオリンピックスに携わってる人のインタビューを読んだ覚えがあります。
その人の話によると、その大会に出場している選手(アスリートと呼ぶらしい)は、自分が出場していない競技で、自分以外の選手を一生懸命応援するそうです。
それも自国/他国の選手の分け隔てが全く無く、いいレースをしてゴールした選手については、自分のことのように大喜びするのだという。
インタビューを受けてた人によれば、勝利至上主義に染まった目からその光景を見ると心が洗われるので、ぜひ一度大会の様子を見てほしい、みたいな話をしていました。

ともに確かに心洗われる話だと思います。
この2例をみるに、彼らにはやっぱりそういう無私なところがあるんだろうかね。

当方は知的障害を持った人と時間と空間を共有した経験がほとんどないので、まったくの推測なのだけど、なんぼこれらのエピソードが「無私」な話だとはいえ、自分の身に降りてきたハッピーやラッキーも、同様に「大喜び」するんじゃないのかなあと。ある意味当然の話だけど。
そのあたりは、よくスポーツ選手がそういう人たちと交流する場がニュースなんかで流れるときに、彼らの大喜びしてる画から想像するのですけどね。

まあつまり当方としては、このエピソードにおける心の洗浄ポイントは、彼らの無私な行動自体もさることながら、お年寄りに席を譲るという善行、人が奮闘努力する姿への賞賛といった、当方なら行動するとしても間違いなく逡巡する心もようがあるわけだけれど、その辺がまさにブレーキ無しの「無私」であるさまにあったりするのですがどうでしょうかね。

当方も、きれいなものはきれい、汚いものは汚い、とブレーキ無しで叫んでみたいものだといつも思うのですけどね。会社でそれやったら、生きていけないので。。



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