コブリのひげをひっぱりながら…

ある日 上肢局所性ジストニア と診断され
 とうとう愚痴り相手の猫もいなくなった
  元小動物臨床獣医師の独り言

続々々々 ことの 起こりは 約10年前

2014年07月02日 | 来し方 行く末


日々 「頑張らない」 を忘れずに

なんとか暮らしてきたわけですが

自分ではコントロールできないのが仕事の量…

今度は 想定以上の事態で

ちょっと 減りすぎ…

ここらで 売り上げ減少に 歯止めをかけないと

鎖骨骨折をネタに (実際に痛かったし 今も痛い)

仕事も生活も 気は張ってるけれど 考え方は後ろ向き…

それじゃ 収入が減ったって 文句言えない

自分が悪いんだもの…

鎖骨痛いを 免罪符に サボってんだもの…

開業当初に 自分に言い聞かせた

「商売人じゃないから商売なんかできないんだよ

  真面目に一つ一つ 誠実に… しか お前さんにはできないんだよ」

そう 真面目にできることから 頑張ろう

 


っと 

昨年の春の事

ついつい 思ってしまった 「頑張ろう」 …

骨折を言い訳に中止していた 「夜間時間外診療」 も再開…

実際に電話がかかってこなくても いつ来るかしれない緊張感

それが 「一晩様子見ましょう」 と 電話で済むのか

それとも コッチが一晩様子を見続けなければならない重症例なのか?

もー 完全に 「頑張らない」 を忘れてました



思い出させたのは…

ヒタヒタと 音も立てずにやって来た

不眠 寂寥感 上気!!

「あ、マズイ…やばいぞ!」

鎖骨にばかり気が行って 油断してました…

すぐに 例の薬を飲みはじめましたが

頭痛薬じゃないので すぐには効果が見られない…

ほどなく 「やばいよ やばいよ~」 状態

10年前の時に 「ヒトの顔を見ながら話すこと」

が できなくなったんですが

やっと良くなってきたのに 

今回も 飼い主さんの顔を見られません

見られないだけじゃなくて

きっと スゴイ顔して働いてたんじゃないかしら

仕事場で 立っていることすら苦しくて へたり込んでしまった

最初の一番酷かった頃より 症状は軽いけど

それでも 本人は一所懸命に話しているつもりでも

話しぶりが 「面倒くさそう」 だったり

一つ一つの動作がノロノロしてたり ため息をついたり

今もそうだけど カルテに書き込みしたり

キーボードを叩いたり マウスでクリックしたり

なんてことない作業なのに

奥歯で歯ぎしりするほど顎に力が入ったり…

たぶん 身動き一つとっても ひどい印象だったんじゃないかしら

加えて 今回は 食欲不振が加わって

なんとか 回復してきたかな と思えるようになった9月ごろには

体重が64㎏まで 13kgも 落ちました…

老眼も進行しているようで

カルテに書き込みをすると スラスラ書けなくなって

眼鏡を外してがっちり力を込めてボールペンを握りしめ

文字が ヨレヨレにならないよう 

奥歯を噛みしめて 踏ん張って書いてました




その間に スタッフのオメデタが判明

予定日も決定

11月から 育児休暇へ突入!

ワタシは すぐに辞めちゃう新人を募集するより

「アレ ソレ」 で通じる彼女の職場復帰を 一人で待つことにしました

しかーし…

そのころには クレジットカードで買い物をして

「コチラへサインを…」 ってことになると

中学生でだって 自分の名前くらい もうちょと上手に書くんじゃない?

ってほど 右手が変に…

コレ 絶対におかしい…

調べてみると行くべきは 脳神経内科 らしい…

まずは町医者に行って MRIだのやって

いろいろあってココ で確定診断されました

書痙 (しょけい) ってんだそうです




























 

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続々々 ことの起こりは約10年前 

2014年07月02日 | 来し方 行く末

日々 「頑張らない」 を忘れずに

それでも 一つ一つ復活へ向けては来たつもりです

大阪会場で2泊3日のセミナー参加! なんかは 

間違いなく頑張りすぎなので できるようになるまでやめよう…

その分 日本で発行されている学術雑誌は 全部読んで勉強しよう…

無理せず 自分の時間で読めば大丈夫さ~





約10年前にうつ病 発症

約2年間 通院 そして(不完全だけど) まあまあ 回復…

その後は 薬飲んだり 休んだりで

ぼちぼち暮らしておりましたが

2年前の7月の夕方…

バイクで帰宅途中 タクシーに 追突され 右鎖骨骨折!

(バイクは危ないから…には反論しませんが

  このタクシードライバーに関しては 取り調べの警察官が怒鳴ってしまうほど

  無責任発言が相次ぎ 色々と悶着がありましたが

  刑事事件として文句なしの罰金刑!

  民事訴訟で100%の敗訴 

  つまり こちらの言い分がすべて通り

  事故のすべてにおいて原因/責任はタクシードライバー側にあると決まりました)

そんなことより

まず 鎖骨が折れて 痛いのはワタシの体であります

救急搬送された病院と その後に通った病院の 初期の方向性の違いから

受傷から手術まで 少々時間がかかり

それでも 気管挿管されて全身麻酔で プレートを入れました

2泊3日で退院

退院時に 病院から家まで帰るのに

電話で呼んだタクシーが

追突したタクシーと同じ会社だったことが悔しかったですねぇ~

そして 7か月後まで 通院がつづき

翌年の3月に もう一度 気管挿管して全身麻酔で

抜釘 (ばってい)  つまり プレートを取り出しました

プレートが入っていればいるで 痛く痺れ攣れ…

プレートを とったらとったで とめていたねじ穴が疼き

リュックは背負えないし 

肩掛け鞄も いつもじゃない向きでしか掛けられず

コートやシャツを着るときの袖に腕を通すしぐさも

全く変わりました…

それまでの事もあり 今回の事もあり

本業の売上は「激」減  減りました~

何って 利き手の鎖骨だったことが響きましたね~

だいぶ前に バイクで事故したときは

左足の小指の骨が折れただけだったので

椅子に座っていれば 上半身は問題なかったんですよ

それが 利き腕の鎖骨…

まずかったなぁ~

ってときに この業界の書き入れ時が やってきました…

4月から狂犬病ワクチン接種強化月間!

5月からは フィラリア予防投薬開始!

ピンチをチャンスに変えられるか!

弱気なこと言ってないで

傷ついた体でも ムチ入れて 「頑張って」 稼がないと…






思っちゃったんですね~

「頑張ろう」 って…

10年以上 封印してたのに…













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続々 ことの 起こりは 約10年前

2014年07月02日 | 来し方 行く末


うつ病だったのだ! の後の 数年の間で

面白いことに たぶん厄年前後だったからかとも思うのですが

どこかで 新陳代謝の変速機が 変なほうへ振れたらしく

体重が オモシロいほど増えました

62㎏くらいで ビール呑んだって何を喰ったって 全然増えなかった体重が

日を追うごとに どんどん増える

仕事場の体重計で 日々 増加しているのがわかる…

最終的に 77㎏まで いっちゃった…

着るものすべて 着られない…

礼服も 何も ぜーんぶ ダメ!

ま 痩せて 結核の薬 飲んでた頃よりゃ 良いんじゃない?

ってことで…






でも 自分で好きでやってる仕事なのに

うつ病になったことで思ったのは

「もっと 頑張ろう!」 は 止めよう

「身の丈に合った仕事量にしよう」 と 思った

当時 獣医師1名 トリマー兼看護士1名 の 三人体制だったけど

おかしくなっちゃった私を そこそこ見切って 獣医師退職

逃げちゃった…

ま 責められません

自分だって 逆の立場なら 安定した仕事場に移りたいですもの…




ただし 前にも書いたけど

入ってくる仕事の量は 自分じゃ決められないんですよ…

じゃあどうする?

限られた ワタシの「労働単位」 を 無駄なく使おうと考えたわけです

つまり 

10のうち4つ5つを説明すれば 残りの分は飼い主がわかっちゃう

のが 理想的で

逆に 同じ病気で来院するたびに

いつもいつも10のことを20も30も説明しなければ理解してもらえない方

   つまり 説明を理解できないだけじゃなく 聞いたことさえ覚えていない方には

手を抜くわけです 一日に使える労働単位を無駄にしないために…

例えば 「ウチの子は お薬を飲まないんですよ~」 っと

来院するたびに いつもいつも言う飼い主が また同じことを言ったとしましょう

今までは 誠意をこめて真摯に対応し 薬をどうやって飲まるか

同じ話を何回でも何回でも あきらめずに繰り返してきたわけですが

「どんなに良い薬でも 飲まなきゃ効きませんよ~」

「その子のことを一番よく知ってるのは飼い主さんだから

     一番いい方法を思いつくのも飼い主さんですよ~」

「どうしてもダメなら 一日2回 来院してください 注射しますから」

なんて 言うわけです

もちろん もうちょっと優しい言い回し でするのですが

それを 世間では 慇懃無礼 っちゅーわけです

大変申し訳ありませんでしたが

コッチも 背に腹は代えられないわけです

最初のうつ発症の2年間は 仕事場で立っていられないほど辛かったんですから

もう そんな辛い思いはしたくないわけです

当然 仕事は減ります

そのために そうしてるんだから それで いいんです…

逃げちゃった獣医師の人件費が かからなくなったこともあって

残ってくれた看護士のサラリーを厚遇しても 

なんとか家賃を払って 暮らせました
 
どこか旅行へ行くでなし 高級外車に乗るでなし

粗衣粗食で 心穏やかにしていれば

そこそこ 暮らせましたので

今から思えば それは それで 間違いとは言い切れないと思います 



















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続 ことの 起こりは 約10年前 

2014年07月02日 | 来し方 行く末


昨日 突然 サルから人間に進化した ってヒトがいないように

うつ病も 突然になったんじゃありません



今から思えば ワタシの自覚症状は

不眠 寂寥感 上気(のぼせ) の 3つ




どんなに疲れていても 寝付けない

大したことじゃないのに さみしくて涙が出る

そして 冷やし中華を食べて 汗だくになる…



自分でも変だぞ と 

セオリー通り 通りに 近からず遠からずで 心療内科を探して行きました



まーさか 自分が好きでやってる仕事で うつになってるなんて思ってませんから

医者の前で

「気力が沸きません」 とかなんとか

暗くて虚ろな視線で それっぽいこと言ってりゃ

医者は 「うつ病ですな」 って簡単に言ってくれるだろうと

実は 最初から 小馬鹿にしておりました 



現実は まさにその通りで

「うつという現実をしっかり受け止めて 薬を飲んでみましょう」

ということに…

医者なんて 楽なもんだぜ~ って 完全に思ってました

2週に一度の通院で 「うつろな視線」 を見せて

処方箋もらって モスバーガーを食べて帰ってくること 約半年…

薬が効いたか 時間が解決策を見つけたか

「あー オレって うつだ…」

って 自分の中で理解しましたね…

「うつは 心の風邪だから」 って 誰か言ってたけど

風邪よりゃ よほど辛かったですよ…

都合 2年ほど 通院し 回復しました…

でもね 

その後 何年かして 同じ自覚症状が出たんですよ

不眠 寂寥感 上気



同じ 心療内科に行きました

ったら ドクターが

「なにをしたいですか?」 って訊くわけです

ワタシは

「前回のときに 飲んでいた薬が効いたように思うので 同じ薬が飲みたいです」

って 答えました

今から思えば ちゃんと答えてますから 大したこっちゃないわけです

なので ドクターも 「じゃあ そうしましょう」 ってことに…

半年通って ハイ おしまい~

なーんだ 簡単じゃないの お気楽でいいんだ~







その後 3つの自覚症状が出ると 同じ薬を飲んでました

最初に「薬は 少なくとも半年は続けてくださいね」って言われてましたから

本当はイケナイんだけど 薬は自分で買えるので

なんとなく やばいぞ おかしいぞ って思ったら

心療内科には行かずに 自分で薬を買って 半年の間 飲んでましたね

本当に酷かった最初の2年間は 一日3回 2種類の薬を飲んでいましたが

お気楽でいいくらいの自覚症状なので 一日1回の服用で経過観察

遠からずとはいえ 2週に1回 半年もの間 通院するのは それなりにしんどいのと

半年くらいすると 薬が効くのか 時間が治すのか

それなりに 安定が戻るのですよ…

通院しなくても 大丈夫じゃない??

ただ 少しすると またおかしくなるので

ワタシのうつ病は 完治しないんだな と 理解しました

全部のうつ病が 完治するなら

高島忠夫 だってTVに復帰してるはずだもんな





















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ことの 起こりは 約10年前

2014年07月02日 | 来し方 行く末



今から10年以上も前のこと

当時のワタシは キレッキレ の バリッバリ で 働いてました

深夜に帰宅して やっと入ったばかりの寝床から

翌朝は 目覚まし時計の爆音を頼りに飛び起きて

マッハで ひげ剃り 洗顔 

朝飯抜きで ギリギリ始業10分前に仕事場に入ると

既に 外には何人も待っていて 扉を開けると同時に 午前の部 開始



合間を縫って カロリーメイトをチオビタで流し込んで 朝食

当時のチオビタの空き箱

昼は 当然12時に終わらず 1時近くまで午前中の部が続き

昼メシは とにかくカッ込んで 1時半から昼の手術

3時過ぎに どうにか手術を終えて ちょっと お茶/煙草

3時半から 午後の診療

夜8時頃に 午後の部 終了

院内の清掃/消毒 必要な後片づけ 明日の準備

そして それから 夜の手術

終わって帰宅は 早くて11寺過ぎ

という生活を していた…

スタッフは まだ未熟ということと

忙しすぎて 自分で判断ができないパニック状態

来院希望の電話一本さえ 

すべてにワタシの確認が求められる日々…



そんな中 

今から思えば当たり前のように

うつ病になっちゃいました…

うつ病って 

今で言う ブラック企業で働かされているような人が

達成不能のノルマに追いかけられてなるもんで

自分の好きで 働いてる 自由業なんかは

ならないと 勝手に思っていました

この仕事も 自分で好んで始めた仕事ですけど

入ってくる仕事の量は 自分じゃ調節できないんです

入ってくる限り こなさなきゃ…

こなすためには 人員増強!

マンパワーを増やして 仕事量に対応しなきゃ!

って

募集して 採用する度に 思うのです

「オレって ヒトを見る目がね~なぁ…」

「なんで もうちょっと マシな奴が来ないんだ?」

なんにしろ スタッフの増員が うまくいかない…

それでも 仕事は入ってくる…

限度を超えれば 「過労」 です









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