日本維新の会 神戸市会議員 大井としひろの活動報告「おーいブログ」です。

神戸市須磨区から発信!日本維新の会 神戸市会議員(須磨区)大井敏弘活動報告ブログ 「おーい」とお気軽にお声掛けください

新しい日本の国家像

2005年07月24日 21時18分49秒 | おーいブログ
今日ここに書きました文章は、今から一年前に私が、富士政治大学で政治のいろはを習っておるときに佐瀬昌盛防衛大学校教授他編著の「新しい日本の国家像」という本を読んだ時の感想文です。
一年前に書いた文章ですが、今でも十分に皆さんに読んでいただける文章と思い掲載しました。
ご意見等あればお聞かせください。

新しい日本の国家像―共生社会への道

富士社会教育センター

このアイテムの詳細を見る


感想文「新しい日本の国家像」を読んで
副題「寛容な民主主義のパラドクスを実践するのは私たちしかいない」
神戸市会議員
大井 敏弘

今回、佐瀬、西、小野、田村先生共著の「新しい日本の国家像」共生の社会への道を読んで、今、感想文を書こうとしている、まさに今現在(平成16年4月19日)、もっと早く感想文を書けばよかったと嘆いても後の祭りの夜中の午前4時。
まさに今、世界がボーダーレスの時代に日本が、世界の中の日本としてどのように世界に貢献できるかを問われているイラク戦争への自衛隊派遣問題。
イラク戦争でテロのグループに拘束された日本の民間人。
北朝鮮の拉致問題。などの事件が発生した最中に読んだのであるが、本著は、5年前(平成11年)に書かれにもかかわらず現在と重ね合わせると色々な模様が、そこには見えてきたような気がする。
本書が書かれた当時の日本の現状は、経済のみならず政治も行政も治安も、まさに「なんでもあり」の状態で混迷を続け、「国家の衰退現象」が見られ、その原因が、国民に、とりわけ政治・社会運動指導者層に、国家意識の衰退ないし歪められた国家観が、そこにはあるように思えるとある。
例えとして、厳然として日本国が存在しているにもかかわらず、これを国家の観念や枠組みで捉えようとしない風潮や国家のシンボルである国旗、国歌に対しての異常なまでの自虐的な反感をしめす一部勢力。
そして同胞が外国政府(北朝鮮と明記されていない。書けなかった。?)に拉致されたり領海侵犯が繰り返されていたが、怒りの声を発しない政党(共産党、社民党)や政治家がいる。
これでは国家は滅亡しかねないと黒澤常務理事(富士政治大学校)は嘆かれていた。
平成11年というと私が神戸市会議員の選挙に初めて立候補をし、不本意ながら落選した統一地方選挙があった年であった。
当時を思い起こしてみると各級議員選挙で共産党が躍進し、黒澤常務理事が嘆いておられたことを共産党が国民を巻き込んで実践していたときであったように思う。
私の選挙区(神戸市須磨区)でも平成11年の選挙では、定員9名に2名の共産党候補が立候補し、両名とも当選した。
ちなみに出来たばかりの民主党公認で私を含め4名立候補し、当選は1名(私は、落選の憂き目に会った。)であった。
そして捲土重来を期して戦った4年後の平成15年の統一地方選挙では、多くの仲間のご支援に支えられて、悲願の初当選をさせていただきました。そして、共産党議員は、須磨区からいなくなりました。(2名とも落選した。)しかし、である、第一章国家をどう捉えるかの3項の「自由からの逃走」で書かれた歴史の中で、ある種の条件下で「自由からの逃走」現象が再発しかねない危険性が潜んでいる。と、寛容な民主主義(複数主義的民主主義)の国家(日本)は、その内部に半自由、反民主主義の非寛容な敵対思想が存在することも原理的に許容しなければならないと解説されているわけで、非寛容に対する寛容であり、民主主義の一つの逆説であると、しかも、肝要な民主主主義が寛容な民主主義として存続し続けるためには、この寛容な制度の破壊・侵食を図る敵対行動者に対しては敢然として牙をむき、自らを防衛する意思と能力を持たなければならない。
そのための備えを今、自分が実践しているかと聞かれると胸を張って答える状況にないのが現状だ。
備えあれば憂いなし。どこかの高僧のお説教でもないが、真剣に敵対行動者に対して牙を磨き、理論武装して、常日頃から学習することを心がけておかなければならないと痛感している。
そして、ある段階で非寛容に対する寛容には終止符が打たれ、非寛容に対する非寛容が「寛容な民主主義」の存続用件となる。ことがもうひとつの逆説であると、この逆説を認識しないと「寛容な民主主義」は非寛容な敵対勢力に敗北する危険が消えない。と、まさしく今の日本のおかれた現状を俯瞰するとテロの脅威に敢然と立ち向かう日本の姿、そのものでないか。
そのためには「戦う民主主義」の考え方が説かれるゆえんであると書かれているわけで、「戦う民主主義」の実践者は、私たち陣営以外にないと再度認識する機会がこの本であったと思う。
日本の国を憂う前に是非、本書をご一読願い、国家像について大胆な提案もされていますので、そのことについても皆様のご意見をお聞きしたいと存じます。