日本維新の会 神戸市会議員 大井としひろの活動報告「おーいブログ」です。

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須磨 一の谷坂落とし

2005年07月16日 00時44分27秒 | おーいブログ
2005年7月16日(土)
須磨 一の谷坂落とし 

今日の夜7時から多井畑歴史研究会に出席させていただきました。
今日のテーマは、「源頼朝」。
初陣で破れ、捕らえられて20年に及ぶ流人生活を送ったが、1192年に征夷大将軍に任じられて、鎌倉幕府を開き700年にわたる武家政治が始まったわけですが、その歴史について、①源氏累代の争い「兄弟叔父甥が所領で争う」②7騎から2ヶ月で20万へ③頼朝の土地戦略④頼朝、独裁への道⑤頼朝の死因などいろんな角度からの頼朝像をお話いただいて、源頼朝についてお勉強をさせていただきました。

付録として、はじめに「須磨 一の谷坂落とし」の根拠 と題してお話があり、「源平盛衰記」巻37より
「玉葉」寿永3年2月8日の条
について、わかりやすくお話を下さり、今、鵯越説と一の谷説と坂落としについては、諸説ありまして意見が分かれておりますが、私は、今日の解説をお聞きし一の谷坂落とし説にあらためて賛同をさせていただきました。
源平の時代に源義経が、どのような道を鷲尾三郎義久の案内で、騎馬の軍が向かったのか、多井畑歴史研究会では、そのことについても考察し、ハイキングルートとして、「義経・弁慶、熊谷父子の通った道を行く」と題して、須磨歴史倶楽部と共催で、4月にハイキングも実施されています。
是非、皆様も義経の軍が、辿ったと思われるルートを歩いてみてはいかがでしょうか。