とこやの3階から。

日々思うことを、あれやこれやとつづっていこうと思います。毎日どんどん過ぎていくけど、ときどき振り返ってもみたいから。

いろんな意味での「多文化共生」

2013-08-30 01:20:23 | つれづれ
さいきん、仕事の方向性についてよく考える。日本語教師という仕事のなかで、どんな役割を果たしていきたいか、具体的にどんな形で社会に貢献していきたいか、ってこと。それで行き着くのはやっぱり、多文化共生社会の調整役、みたいな、多文化社会でうまく共生していくために相互の交流のファシリテーターみたいな仕事がしたいってこと。学習者を日本社会になじませる、とか、外からの人たちを受け入れられるように受け入れ側が変わる、とかいう一方向的なものではなくて、お互いがお互いに少しずつ変わって適応していく、そしてそこからいろいろ学んだりいっしょに成長したりしていく、双方向的な場をコーディネートするような仕事がしたい。
例えば大学だったら、日本人学生と留学生が恊働作業を通していっしょに学び合えるような場を教室内外問わず提供するとか、それは何も学生同士じゃなくても留学生と地域の人たちのあいだのことであってもいい。どちらかがホストやゲストじゃなくて、何かを対等な立場でいっしょにするっていう場がいい。言語をはじめ、もちろん能力に差はあるから、お互いに足りない部分を補い合うって意味での「対等」という意味で。お互いの違う点や同じ点をわかりあって、お互いを受け入れる素地みたいなものが作れたらいいなって。
例えばそれを学外の、地域社会での活動として取り入れるのもいいなって思っていて、それが今までとは違った地域社会のつながりを作ることにもつながるんじゃないかとも思ってる。そういうのがスムーズに進むように場所とかツールとか環境なんかを調整する役割ができたらいいなって。

というのも、自分が子供のころ、学校という「社会」になじめなくて、そこではいわゆる「ふつう」だったことが自分にとっては全然ふつうじゃなくてむしろ「異文化」だったから、異文化の中で戸惑ったり疲れきったり無力感に襲われたりしてる人たちを、少しでも手伝えたらって思ったから。
このあいだ実家で探し物をしてたら昔の通信簿が出てきて、小さいころの自分がどう見えていたかが、担任の先生の言葉からちょっとわかった気がした。自分じゃ全然覚えてないけど、小学校低学年のころは、人の目を気にする、おとなしい子供だったみたい。一人の作業はコツコツがんばるけど、人の輪の中に入るのは苦手で友達もあまり多くない。そんな感じのことが書いてあった。母の話からも、帰りは寄り道一つせずまっすぐ家に帰ってきて、帰ったらおばあちゃんの隣にぴったりはりついてたって。それがいつのまにか友達とワイワイするようになって、中学じゃずっと学級委員長。自分のことながら、一体何があったんだ??っていう。中学ぐらいはさすがに覚えてるけど、なんでそういうポジションになったのかは正直わからない。だって、集団行動は苦手だし、誰かとつるむのも好きじゃない。自分のペースで自分が興味があることをしていたい。高校じゃクラスのことはあんまり覚えてなくて、バイト先で知り合った年上の人たちと話すことの方が断然楽しかった。大学のそう。一部の人をのぞけば、授業や(少しだけ入っていた)サークルで会った人たちより、イベントやバイト、ボランティアなんかで知り合った外部の人たちと、よく一緒にいたと思う。そっちのことのほうがよく覚えてるから。
年をとるごとにラクにはなってきてるんだけど、だいたいにおいて集団での空気は自分にとってはある種「異文化」で、そこでいっしょに何かをするっていうのはけっこう大変で面倒くさいことが多かった。うまく「共生」できるようなタイプじゃなかったと思う。自分の意見はいちいちほかの人のそれとは違ってて、こっちとしては別に違ってても言いたいときは言うんだけど、そうすると決まって変な目で見られた。でもそれを直接指摘するような人はほとんどいなくて、ただまわりの「空気」がそう伝えてた。もちろん楽しいこともたくさんあったと思うけど、そういう空気感はやっぱりずっと忘れられない。

だから、そういう、互いに異なるものをもつ人たちが互いにいい状態で存在できて、同化を強制させられない、それぞれがそれぞれのまま共生できる場を、自分の能力とか知識を使って作っていければと考えている。そういう違和感とか空気のズレみたいなものは、誰が良いとか悪いとかじゃなくて、2人以上の人がいたら多かれ少なかれどうしても生じてしまうものだと思う。それをどうするか、その中で何が作り出せて何を消すことになるのか、それはその場のあり方によるんじゃないかな。「違う=悪い」じゃなくて、むしろ「違う」ことが普通なわけだし、そうしたら意見の衝突もあるだろうし、誤解とか意思の疎通がはかれないことだって日常茶飯事になるかもしれない。そういう、ごちゃっとしたのを、あまり気にせずただそこにあるものとしてとりあえず受け入れてみる、「寛容さ」とか「鈍さ」とか「図太さ」みたいなものを、みんな持てたらいいと思う。そしたらお互いにもっとラクに暮らせるのに。なんだったら、それを楽しむことだってできるし、そこから新しいものの見方を学んで、自らの視野を広げていくことだってできるのにな。
「文化」って、国とか地域のことだけじゃない。生活環境だとか育ち方、個々の考え方だって「文化」のひとつだと思う。だから、同じ日本人相手でもカルチャー・ショックを受けるし、別の国のぜんぜん違う環境で育った人に懐かしさをおぼえたりする。そういう、いろんな意味での「多文化社会」で、みんなが気持ちよく暮らしていけるような、「多文化共生社会」を目指していきたい。そう考えてる。

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