ダンスの舞台、なんかすごくこう、染み入るものがあった。どーん!っていう衝撃じゃなくて、すごく生々しくて直接的で、じわじわと惹きつけられるようなエネルギーが湧いてたっていうのかな。最初は生々しすぎてなんかこうちょっと怖くなってきて直視できなかったんだけど、途中からじわじわ染みてきて1時間あっというまだった。タンゴのときはニヤニヤしちゃって、帰ってまたアルパチーノの映画見たいなぁとか考えたり。あと、特に、メインの女性がかっこよかった。私もああやってもっと自由に表現したいなぁって。それはダンスするとか具体的なことというより、なんとなくイメージとして、もっと自由に生きたいなぁってぼんやり思っちゃった。ダンスよくわからないから感想とかはっきり感じられなくて、心の中でも言葉にならなくて、会場出て知らない街歩いてたらふとそう思ったんだー。それで、あー自分は出したくても出せないものが内部にあるんだなぁって。最初はね、人はなんで踊るのかなって思って、すぐ、踊りたいからだろうなって思って、そういうの気持ち良さそうだなって。見ててかっこよかったし。すっと背筋が伸びて、すっきりしたような表情してたから。かっこよかった。
このあいだたまたま久しぶりに恋愛ドラマの修羅場シーンを見て、あまりの生々しさと人間くささにどっぷり疲れちゃったのを思い出す。誰かの内部のドロドロしたのとはかかわりあいたくないし自分のそういう部分も見せたくないし見たくないと思った日の翌日に、それを外に出したいと思うのって、自己矛盾というか、皮肉なもんだなって思ったけど、ちょっと気づいてた感もある。
あとね、こんなすごいことを実はすごい環境で仕事としてしてたその人は、今はどんな気持ちでいるんだろうって。どんな気持ちで、今の仕事してるんだろうって考えちゃった。例えば、エネルギーのもって行き場はあるんだろうか。だってほとばしってたよ。それに、あの笑顔はどこからくるんだろう。。
すごい人たちもふつうに生活してて、一見埋もれてる。日常になじんでる。でも実はすごい。ときどきすごさがほとばしる。そしてまた日常に戻る。そういうのってどんな感じなんだろう。全然想像もつかないけど、そういうエネルギーのほとばしりに少しでも触れられて、私としてはすごくラッキー。知らない駅で降りて、知らない街を歩いて、知らない場所で、今まで触れたことのないような空気のなかで、静かに激しいエネルギーのほとばしりを感じたあの時間は、もうぜんぶが夢とか幻みたい。行き帰りの電車のなかでは社会言語学の入門書読んでたしね。そりゃつながらないわ。
何はともあれ、行ってよかった。すごく緊張したけど、やめなくてよかった。
このあいだたまたま久しぶりに恋愛ドラマの修羅場シーンを見て、あまりの生々しさと人間くささにどっぷり疲れちゃったのを思い出す。誰かの内部のドロドロしたのとはかかわりあいたくないし自分のそういう部分も見せたくないし見たくないと思った日の翌日に、それを外に出したいと思うのって、自己矛盾というか、皮肉なもんだなって思ったけど、ちょっと気づいてた感もある。
あとね、こんなすごいことを実はすごい環境で仕事としてしてたその人は、今はどんな気持ちでいるんだろうって。どんな気持ちで、今の仕事してるんだろうって考えちゃった。例えば、エネルギーのもって行き場はあるんだろうか。だってほとばしってたよ。それに、あの笑顔はどこからくるんだろう。。
すごい人たちもふつうに生活してて、一見埋もれてる。日常になじんでる。でも実はすごい。ときどきすごさがほとばしる。そしてまた日常に戻る。そういうのってどんな感じなんだろう。全然想像もつかないけど、そういうエネルギーのほとばしりに少しでも触れられて、私としてはすごくラッキー。知らない駅で降りて、知らない街を歩いて、知らない場所で、今まで触れたことのないような空気のなかで、静かに激しいエネルギーのほとばしりを感じたあの時間は、もうぜんぶが夢とか幻みたい。行き帰りの電車のなかでは社会言語学の入門書読んでたしね。そりゃつながらないわ。
何はともあれ、行ってよかった。すごく緊張したけど、やめなくてよかった。