自分の生まれてからの記憶で一番古いものは何だろう?このブログを書くにあたって、最初に書いた「三枚の写真」は何れも自分の記憶には全くない。
しかし、自分の記憶の中には丁度二歳半になっていた終戦の日前後と思われる記憶が今も幾つかある。
明らかに終戦前と思われるものに「防空壕」と「燈火管制下の電灯」がある。
私の家の前の畑に作られていた防空壕の記憶は、蒸し暑さとかび臭い土の匂いである。これとは別に家の中に、床を上げると2坪位の穴が掘ってあり、それを終戦後に埋めた記憶がある。そこに大きな青大将が蜷局を巻いていた事を、今も恐怖と共に良く覚えている。
「燈火官制下の電灯」は「もうこんな事しなくても良くなった」と言いながら、母が電灯にぶら下がる黒い布を外していた様子の記憶が、一枚のスチール写真のように今も私の記憶の中にある。
この辺りの記憶が、私の頭の中に今も残る一番古い記憶だと思う。
良い機会なので、しばらくこうした私の古い記憶を書きしるしておく事にする。
(つづく)
しかし、自分の記憶の中には丁度二歳半になっていた終戦の日前後と思われる記憶が今も幾つかある。
明らかに終戦前と思われるものに「防空壕」と「燈火管制下の電灯」がある。
私の家の前の畑に作られていた防空壕の記憶は、蒸し暑さとかび臭い土の匂いである。これとは別に家の中に、床を上げると2坪位の穴が掘ってあり、それを終戦後に埋めた記憶がある。そこに大きな青大将が蜷局を巻いていた事を、今も恐怖と共に良く覚えている。
「燈火官制下の電灯」は「もうこんな事しなくても良くなった」と言いながら、母が電灯にぶら下がる黒い布を外していた様子の記憶が、一枚のスチール写真のように今も私の記憶の中にある。
この辺りの記憶が、私の頭の中に今も残る一番古い記憶だと思う。
良い機会なので、しばらくこうした私の古い記憶を書きしるしておく事にする。
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