今朝も私は中央線の超満員電車に乗っていた。いつもは超満員なのに電車の中は、喋る人もなくただ息苦しいだけである。そんな中今朝は、私の背中の方から珍しく会話が聞こえてきた。「ジージは、こんな満員電車で32年間も仕事に通ったんだよ」「・・・・」「○○くんも、仕事に就くようになると毎日こんなんだよね。大変だけど頑張らないとね」「うん、あといくつで電車降りるの?」「あと4っ、頑張って」「うーーん、苦しい」「大丈夫?」「ちょっと気持ち悪い」「次の駅で降りて良い空気吸う?」「大丈夫、我慢する」「大人になると大変だよね、毎日だから」「あといくつ?」「あと2つ、降りようか?」「大丈夫!」急ブレーキで、一段と圧迫され、背の低いこの子は本当に苦しそう。電車が新宿駅に着くとやっと少し、隙間が出来「助かった!」「空気は旨いね」「良かったね、○○くんもこれから大変だね、頑張ってね」短い時間だったが久しぶりに聞く、孫と子どもの素晴らしい会話だった。これこそが“教育”。昔、自分にも同じような思い出がある。
先日民放の番組で、ある落語家が話していた。「家に遊びに来る子どもを見ていて
その子の家庭が良く分かる。おばあちゃんの居る家庭で育った子どもは家へ来てもチャンと挨拶が出来る」「挨拶しない子に、お家にはお年寄り居る?と聞くと、必ず居ないよ。お父さんとお母さんだけ、との答え」と話していた。正にその通りだと思う。私も、女で一人に育てられたが、何時も側に明治生まれの気丈なおばあちゃんが居てくれた。今改めて感謝の気持ちと、家庭教育の大切さを痛感する。
先日民放の番組で、ある落語家が話していた。「家に遊びに来る子どもを見ていて
その子の家庭が良く分かる。おばあちゃんの居る家庭で育った子どもは家へ来てもチャンと挨拶が出来る」「挨拶しない子に、お家にはお年寄り居る?と聞くと、必ず居ないよ。お父さんとお母さんだけ、との答え」と話していた。正にその通りだと思う。私も、女で一人に育てられたが、何時も側に明治生まれの気丈なおばあちゃんが居てくれた。今改めて感謝の気持ちと、家庭教育の大切さを痛感する。