Mに親近感を抱いたのだろう。
自らの祖父に語るごとき調子で、彼女は間
もなく身の上話を始めた。
まるで立て板に水のよう、自分の姓名や出
自、その他もろもろのことをMが問う必要も
ないほどにしゃべった。
それ相応にMも受け答えをした。
その姿は誰が見ても、本物の祖父と孫娘と
見間違えたろう。
ふたりの会話は弾んだ。
あずさが大月駅にすべりこんだのもふたり
して気づかなかったくらいだった。
Mがちらっと右手に視線を走らせ、
「あっ、ここはひょっとして、大月?そう
だ、さっさとおりよう」
「すみません、わたしが話に夢中になって
しまったのがいけなかった」
「いそごう。あずさの停車時間は短いぞ。す
ぐにでも発車する」
Mは彼女の右肩にそっと触れた。
彼女はちらと振り向いて、笑った。
「なんとか間に合ったね」
「良かったです。間に合って」
ホームでふたりして笑った。
「ちょっと待って、B子さん」
女子学生を、Mは親し気にそう呼んだ。
「Mおじさま、何でしょう」
「ありがとう。名前で呼んでくれて」
しばらくMは周囲に視線を泳がせた。なつ
かしさがMのこころに押し寄せてくる。
岩殿山が右手にある。
その威容は昔のままだ。
(この山はいつまでも、おれにとってはお
んなじ、まるで横綱。しこを踏んでるみたい
に見える)
おもむろに、Mは茶色っぽい上着のポケッ
トから細くて長いチョコの箱を取り出し、彼
女に手渡した。
「あっ、それって好きなんです」
一瞬、Mは煙草を吸いたいと思い、上着の
ポケットに手をのばした。
しかし途中で吸うのをあきらめた。
ひんやりした風が谷間を通り過ぎてくる。
Mのからだがぶるっと震えた。
「何ですの?」
「いや、お嬢さんにはわからないこと」
「わたし、お嬢さまじゃないですわ」
彼女はMの顔色をうかがった。
「たばこ、でしょ?」
「ううん、まあね。でもいいんだ。いくら
旅の恥はかき捨てといってもね。今は受動喫
煙だのなんだのと喫煙者は住みづらい。いや
はや。もろにあなたの前で欠点をさらけだし
たもんだ」
「旅先でくつろいでいらっしゃるのだもの。
少しくらいいいんじゃないでしょうか。でも
喫煙室かどこかでお願いします。わたしたば
こ吸う人って大きらいです。けれど、おじさ
まですので、許します」
「まいったなこれは。ありがとう。おれっ
て変な癖があってね。盆正月なんぞにときた
またしなむんだ」
Mは口もとに苦笑いを浮かべた。
(あぶない、あぶない。もう少しで彼女に
きらわれるところだった)
Mは腰をまげ、ホームにおろした自分のカ
バンの取っ手をつかんだ。
彼のかみさんが、風を通さない上着をひと
つ、バッグの中に入れたのを思い出し、
「さあ、行こうか」
彼の声が弾んだ。
「ええ、はい。急に元気よくなられて、ど
うかなさったのでしょうか」
「いや、なんでもない。大丈夫です。ええっ
と富士急線のホームは?」
「こちらです。ついてきてください」
「ありがとう」
MはT市があると思われる方向を眺めた。
赤や黄色とカラフルな山々は、それだけで
すばらしいけれど、いま一つ物足りないよう
に思えるのはどうしてだろう。
昔も今も、この辺りはこんなふうだったの
かなといぶかしんだ。
高尾あたりから、山また山の間を縫うよう
にして特急あずさが心地よい走りをつづけて
来た。
Mはできることなら、そのままずっと乗っ
て行って甲府盆地を見たかった。
狭すぎる山あいが、Mをして、窮屈な気分
にひたしていた。
MがT大文学部英文学科を卒業したのが二
十二歳だから、それから四十一年という歳月
が過ぎ去っている。
若くて将来に対する夢があったから、これ
ほどの山あいで、勉学にはげむことができた
のだろう。
あえてふたたびここを訪れ、昔むかしを追
体験する。
そのことでひょっとしたら、今の自分のマ
ンネリ化した生活のカラを打ち破れるかもし
れない。昔の熱情のかけらを呼び起こすこと
ができるかもしれないと思う。
田舎だから住む人が少なく、文化の香りが
薄いだなんて、あげつらうことができるだろ
うか。人と人との結びつきが強い。
街には街の、人口が多すぎて困る面が多々
ある。他人ばかりの街は当然、情けが薄い。
勝手にしろとばかりに、人を突き放す。
若い人だけでなく、年老いたものも、何か
をきっかけに、こころを燃やすことができる
はずである。
要するに気力がものを言う。
(よしっ、そうと決めたら、いさぎよく煙
草をやめよう)
ただちにMはいったんはポケットにしまっ
た赤い煙草の箱を駅のくず入れに投げ込んだ。
自らの祖父に語るごとき調子で、彼女は間
もなく身の上話を始めた。
まるで立て板に水のよう、自分の姓名や出
自、その他もろもろのことをMが問う必要も
ないほどにしゃべった。
それ相応にMも受け答えをした。
その姿は誰が見ても、本物の祖父と孫娘と
見間違えたろう。
ふたりの会話は弾んだ。
あずさが大月駅にすべりこんだのもふたり
して気づかなかったくらいだった。
Mがちらっと右手に視線を走らせ、
「あっ、ここはひょっとして、大月?そう
だ、さっさとおりよう」
「すみません、わたしが話に夢中になって
しまったのがいけなかった」
「いそごう。あずさの停車時間は短いぞ。す
ぐにでも発車する」
Mは彼女の右肩にそっと触れた。
彼女はちらと振り向いて、笑った。
「なんとか間に合ったね」
「良かったです。間に合って」
ホームでふたりして笑った。
「ちょっと待って、B子さん」
女子学生を、Mは親し気にそう呼んだ。
「Mおじさま、何でしょう」
「ありがとう。名前で呼んでくれて」
しばらくMは周囲に視線を泳がせた。なつ
かしさがMのこころに押し寄せてくる。
岩殿山が右手にある。
その威容は昔のままだ。
(この山はいつまでも、おれにとってはお
んなじ、まるで横綱。しこを踏んでるみたい
に見える)
おもむろに、Mは茶色っぽい上着のポケッ
トから細くて長いチョコの箱を取り出し、彼
女に手渡した。
「あっ、それって好きなんです」
一瞬、Mは煙草を吸いたいと思い、上着の
ポケットに手をのばした。
しかし途中で吸うのをあきらめた。
ひんやりした風が谷間を通り過ぎてくる。
Mのからだがぶるっと震えた。
「何ですの?」
「いや、お嬢さんにはわからないこと」
「わたし、お嬢さまじゃないですわ」
彼女はMの顔色をうかがった。
「たばこ、でしょ?」
「ううん、まあね。でもいいんだ。いくら
旅の恥はかき捨てといってもね。今は受動喫
煙だのなんだのと喫煙者は住みづらい。いや
はや。もろにあなたの前で欠点をさらけだし
たもんだ」
「旅先でくつろいでいらっしゃるのだもの。
少しくらいいいんじゃないでしょうか。でも
喫煙室かどこかでお願いします。わたしたば
こ吸う人って大きらいです。けれど、おじさ
まですので、許します」
「まいったなこれは。ありがとう。おれっ
て変な癖があってね。盆正月なんぞにときた
またしなむんだ」
Mは口もとに苦笑いを浮かべた。
(あぶない、あぶない。もう少しで彼女に
きらわれるところだった)
Mは腰をまげ、ホームにおろした自分のカ
バンの取っ手をつかんだ。
彼のかみさんが、風を通さない上着をひと
つ、バッグの中に入れたのを思い出し、
「さあ、行こうか」
彼の声が弾んだ。
「ええ、はい。急に元気よくなられて、ど
うかなさったのでしょうか」
「いや、なんでもない。大丈夫です。ええっ
と富士急線のホームは?」
「こちらです。ついてきてください」
「ありがとう」
MはT市があると思われる方向を眺めた。
赤や黄色とカラフルな山々は、それだけで
すばらしいけれど、いま一つ物足りないよう
に思えるのはどうしてだろう。
昔も今も、この辺りはこんなふうだったの
かなといぶかしんだ。
高尾あたりから、山また山の間を縫うよう
にして特急あずさが心地よい走りをつづけて
来た。
Mはできることなら、そのままずっと乗っ
て行って甲府盆地を見たかった。
狭すぎる山あいが、Mをして、窮屈な気分
にひたしていた。
MがT大文学部英文学科を卒業したのが二
十二歳だから、それから四十一年という歳月
が過ぎ去っている。
若くて将来に対する夢があったから、これ
ほどの山あいで、勉学にはげむことができた
のだろう。
あえてふたたびここを訪れ、昔むかしを追
体験する。
そのことでひょっとしたら、今の自分のマ
ンネリ化した生活のカラを打ち破れるかもし
れない。昔の熱情のかけらを呼び起こすこと
ができるかもしれないと思う。
田舎だから住む人が少なく、文化の香りが
薄いだなんて、あげつらうことができるだろ
うか。人と人との結びつきが強い。
街には街の、人口が多すぎて困る面が多々
ある。他人ばかりの街は当然、情けが薄い。
勝手にしろとばかりに、人を突き放す。
若い人だけでなく、年老いたものも、何か
をきっかけに、こころを燃やすことができる
はずである。
要するに気力がものを言う。
(よしっ、そうと決めたら、いさぎよく煙
草をやめよう)
ただちにMはいったんはポケットにしまっ
た赤い煙草の箱を駅のくず入れに投げ込んだ。