油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

かんざし  エピローグ

2021-11-05 10:13:19 | 小説
 はるとが、敬三じいじの家から帰ってから
およそ二か月が過ぎた。
 とっくに、お彼岸が過ぎたというのに、陽
射しに、夏の名残りが感じられる。
 夜遅くなっても、なかなか暑気が去らずに
いて、はるとは寝ぐるしい夜を、過ごさなく
てはならなかった。
 そんな夜、はるとは、決まってわるい夢を
見た。
 それはそれは、怖い夢ばかり。
 はるとの家族が住む家は、Y盆地の中心部
にある。
 それは広い広い窪地のようなもの、聞くこ
とろによると、どうやら昔むかし、そこに巨
大な湖があったらしい。
 まわりを高さ三百メートルから五百メート
ルくらいの、わりあい、穏やかな地形の山が
囲んでいる。
 夏、暑い。そして、冬、寒かった。 
 はるとが生まれてこのかた、ずっと見てき
た盆地の風景が、ほとんどそのまま、彼の夢
の中にあらわれた。
 まるで無声映画をみているよう。
 盆地を囲む山々を、ゴジラが片はしからひ
とつずつ、口から盛んに火を噴いては崩して
まわった。
 いつなんどき、はるとの家までやってきて、
それがこわされるかと心配でたまらなかった。
 もうひとつの夢は、体長二メートルばかり
の犬かおおかみか定かでないけものが、数匹、
やはり火のような息を吐き、はるとの家のま
わりを、ぐるぐる走りまわる。
 一応、ブロック塀の後ろに、それらがいる
から安心だと思うものの、油断はできない。
 そのうち、それらがあまりに速く走りまわ
るものだから、つむじ風が起きだした。
 ひゅうひゅうと鳴る。
 ついには、それがトルネードとなり、ゴー
ゴー、ゴーゴー。
 はるとの家を巻き込んでいく。
 ついには大音響をたて、はるとの家を、大
空高く持ち上げてしまった。
 はるとは部屋の柱にしがみつき、落ちたら
死んじゃうと、泣きくずれた。
 はるとは十二歳、まだ子どもの部分が、心
の中に、たくさん残っている。
 それ以来、彼は、夢かうつつかはっきりし
ない感覚の中で暮らした。
 はるとは、なかなか、紅い着物の女の呪縛
から抜けだすことができずにいたのである。
 秋も深まったころ、ある日曜日、はるとは、
父、健一と連れだって、敬三じいじの家を訪
ねた。
 「お父さん、ちょっと、散歩に行って来て
もいい?」
 父や母にも、かんざしにまつわる話は、一
切していない。
 決して信じてもらえない。
 そう思ったからだ。
 幼いころから大の仲良しだった、姉のやよ
いにだけは、ほんの少しだけ打ち明けてある。
 「ああ、だけどな、お墓には行っちゃいけ
ないぞ。わかってるだろ?おまえが倒れてた
ところなんだからな」
 「うん、わかってる」
 敬三はただほほ笑んでいる。
 「はるとの思うように、な。どこへでも好
きなところにおいき。大人になって、いい思
い出になる」
 「お父さん、あんまり、はるとを甘やかさ
ないでください」
 健一は、遠慮なく、敬三の言葉を、ひと蹴
りしてしまった。
 「ああ、こりゃわるいことしたな。すまん
すまん」
 敬三は、しわの多くなった右手で、頭をか
きかき、苦笑いした。  
 はるとは、一本のまっすぐな県道をよこぎ
り、広い田園地帯にでた。
 空を見あげると、一羽のとんびが、輪を描
いている。
 のどかな風景を見て、はるとはすぐに、心
がのびやかになった 
 野道にはニラが青々と茂っているくらいで、
春のような草花のにぎわいはない。
 「あっ、あったあった」
 思わずはるとが声をあげたのは、たんぽぽ
や薄青色の小さな花を見つけたときだった。
 急に頭の上が騒々しくなった。
 真っ黒な鳥が二羽、さっきのとんびを攻め
立てている。
 (からすって、ひどいことするもんだ)
 はるとは、とんびに同情した。
 しばらくすると、なにやら、茶色の犬が県
道の方から走ってくる。
 しっぽを巻いている。
 よく見ると、その犬も、一羽のからすの攻
撃を受けていた。
 何かくわえている。
 口のまわりがキラキラ光った。
 そのうち、その犬が、はるとからそれほど
離れていない場所までやって来た。
 目の前で、二度三度と、頭をつつかれた。
 犬のまなざしが、なんとも弱々しい。
 はるとは小石をひろうと、からすに向けて、
えいやっと投げた。
 (犬にしては、しっぽが太すぎる……)
 はるとはそこまで思い、犬がくわえている
ものの正体に気づき、あっと叫んだ。
 
 
コメント (1)
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