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森にすむ熊小郎と妖精たち

多種多頭で動物三昧の悲喜交々を綴ります

星になった妖精 ココゥちゃん

2016-12-11 16:27:07 | 星になった妖精たち
今年も残すところ後20日、年賀状で酉年のイラストを見ているとどうしても思い出すのは、鶏のココゥちゃんです


2012年11月30日に卵から産まれてきて、2016年7月20日にお星さんになるまで 3年7ヶ月と10日程私と一緒に過ごしてくれました


ココゥちゃんのごはんを用意するのが、面倒な時もありました
市販の鶏の餌と書いて売っているのを、ココゥちゃんは殆ど食べませんでした


ココゥちゃんは刷り込み現象により私を間違い無く親と思って暮し始めましたから、お母さんの作ってくれるごはんが一番とでも言いたかったのか?


ココゥちゃんのお世話ははっきり言って大変でした
ココゥちゃんだけがペットならそんな事は思わ無いはずですが、私は欲張りなのかもしれません
自分に縁のある仔は側におきたい、お世話をしてみたいと思う衝動に駆られます
だから今この様な暮らしをしている訳です
でも相手は幸せなのかなぁ〜と思う時もあります

今日は雪が降りました
今夕方の4時を過ぎ陽が落ちてきて暗くなり始めています
だからチョット黄昏て、人生の生き甲斐って何かなぁ〜と考えます
個々に違いますが、「 生きているしるし 」そのまんまです
この事を意識してこれからも暮したいと思いました
終わり ^_−☆

かなうちゃんの七回忌

2015-12-25 09:12:23 | 星になった妖精たち
メリークリスマス 皆様は昨夜のイブと今日のクリスマスを楽しく過ごされていることでしょう

昨日 マミィの一周忌を記事にしました
実は私にはもう一羽クリスマスに苦い思い出があります


キバタンの「 かなうちゃん 」です
お迎えの経緯は記事カテゴリー「 星になった妖精キバタン 」をご覧ください

今から6年前の2009年12月25日 クリスマスの日に突然逝ってしまいました
朝、かなうちゃんを見た時に何かいつもと違う異変を感じました
鳥は良く具合の悪い事を隠し、気がついた時には重篤になっていると聞きます
取り急ぎ動物病院へそのまま入院となりました
ところが、お昼過ぎ病院から電話が来て、亡くなったと言うのです
私は半狂乱に何故?と問い詰めました
思い出しただけでも涙が溢れ出ます
死ぬほど悪かったのなら側に居させたかった
私の自責と後悔は一生消えることは無いでしょう

在りし日のかなうちゃん


大型インコに魅せられてしまいました


あの叫び声も今となっては恋しいです


キャリーケースに入って公園へも行きました


大型インコ、オウムは知能が高い分寿命が長いです
かなうちゃんもまだまだ生きられたはず、長引いた発情を止められなかった私に責任があります
未知の動物を飼育する前に、情報を集めより質の高い飼育法を習得する事を心掛ける必要があります
かなうちゃんと出会って学んだ事は貴重な体験となりました
今日はかなうちゃんの七回忌、飛べなかったかなうちゃんですが、今日は大空を飛んでお母さんの所に舞い降りて来ていることでしょう

星になった妖精 マミィ

2015-07-03 15:02:58 | 星になった妖精たち

ブログを始めて保護犬として紹介していたキャバリアのマミィです


昨年12月24日突然虹の国へ旅立ってしまい、あの時のショックは今でも引きずっています
後を追うようにルフィンも4月に逝って、家の中に犬の居ない生活をしています
そこで、マミィがこの世に産まれ生きた意味を遺したいと思い振り返り綴ることにします
( 写真で心を傷めるかもしれませんが、こんな現実があって欲しく無い願いと、もしこの様な犬が居たら救われる事を願ってお見せします )


この写真は 「 えっ!何これ…信じられない…」この後の言葉は出ませんでした
写真で窓ぎわにあるゲージにマミィは居ます ( 水色のクレートの後ろです)
その写真の右下で、パグ、ミニピン、奥に伏せって居るのがマミィです
わかりづらいですが、普通1頭が入るゲージに3頭入っています
ここでマミィは目を傷付けられたと思われました


この記事の中の
残る2匹( チョコラブ、黒柴 )は、外に放置された車の中に、水も与えられず窓を閉めきった状態で閉じ込められていました
の黒柴がライトです
今、想像しただけでも胸を締め付けられる思いです


左中央の黒柴がライトです
この様に保護された犬たちは皆新しい生活を歩む事となりました
2ヶ月先の8月13日にここでライトと出会いました


マミィは9月9日譲渡会場にまだ居ました
眼球が潰れ萎縮して赤い涙が出ていて、私は可哀想で目が潤んだのを記憶しています
こうなるまで痛みもあったはず、今も痛いのだろうか?と思ったら居ても立ってもいられませんでした
その日も貰われませんでしたので、もう迷うことはありません


私の愛犬となりました
早速に眼球の摘出手術をしました
マミィには「 今まで良く我慢したね~ もう少しだよ 」と何度も話し掛けました


眼の腫れもひいて少しづつ顔の表情が変わってきました


外に連れ出しても、全く歩けませんでした
散歩が分からないのと、眼の視野に慣れていなく怖くて動けなかったようです
それからは、リードを着け眼の有る方に私が立ってサポートし少しづつ歩けるようになり
マミィは散歩が大好きになりました


マミィを見ているだけで優しい気持ちになりました
マミィに触っているだけで心が和みました
マミィと散歩しているだけで生きている楽しさを感じました

ライトとマミィの記事はずっと後になって知りました
あの様な飼育のされ方をして居たにもかかわらず、人間の力を借りないと生きていけないか弱いペットたちです
弱い事を知りつつも、優しく出来ない人間は人生の帳尻で損をする事になります

マミィが産まれて生きた意味は、もの言わぬ魂は感謝の気持ちを持っていると言う事です
ペットの虐待だけは止めて欲しいです

ルフィンの五十日祭

2015-06-04 10:04:57 | 星になった妖精たち
ルフィンとお別れして今日で五十日が経ちました

人として法要を行えば、
神式の場合五十日祭をします ( 仏式の四十九日 、忌明けとされます )


ルフィンを我が子の様に心を寄せて暮らして来たので、自分だけでルフィンの法要を済ませました
ルフィンと過ごした14年4ヶ月間は私にとって有意義かつ充実した日々でした


迎えて間も無い頃で、まだ耳は垂れていました
とにかく小さく、やんちゃで家族で注意し合いながら大切に接して来ました


アッと言う間に逞しくデカピンに成長しました


とても寒がりでこんな事もしてましたね、顔の表情が何ともいじらしくて可愛いかったです


ミニピンと暮らして思ったことは、犬なんだけど…
時には、猿のような 気忙しくイタズラには手を焼きました
時には、猫のような ご機嫌伺うように甘えて来て言いようの無い可愛さでした

ミニピンと暮らすには、体力と忍耐力、何よりも愛情が必要です ( 犬を飼う絶対条件ですが ) ミニピンを小さいからと侮れない犬種です

ルフィンの若い頃にはことごとく振り回され二度とミニピンは飼わないと思っていましたが
歳とともに落ち着き、ルフィンは私の理想とする伴侶動物となりました
だから、ルフィンが居なくなったこの五十日間は 泣けて、泣けて、…

そして今日、私にとっての6月4日はある節目の日です
その節目がルフィンの五十日祭と重なった事で、
心の切り替えや新たな人生の踏み出しへと、ルフィンからの暗示が伝わって来てる気がします

ルフィンの魂こそ侮れない!
ルフィン、素敵な人生をありがとう。

星になった妖精 ミニィと仔犬たち

2015-02-12 13:09:38 | 星になった妖精たち
平成4年10月23日
息子の「犬を飼いたい」と言う願いを叶えて迎えたのが、コーギーでした
名前を「 ミニィ 」と付けました


少し懐かしい写真を集めて見ました
当時はコーギーと言っても見かける事は無く、散歩に出ると脚は短く尻尾が無い事で珍しがられました


平成8年8月6日
ミニィが6匹の仔犬を産みました
産まれた時は、皆んな先っぽが白い尻尾がありました


コーギー故に断尾を迫られ、私はブリーダーでは無いので切らないと一度は決めました
が、6匹共私が飼れるはずも無く
貰われた先で私以上に可愛がって貰う為
に泣く泣く決断しました


庭で遊ぶミニィと仔犬たちです
こんな光景を体験出来た事は生涯忘れません


右から、モモ、モコ、フック、ロッキー、顔が見えないハッピー、チコ、左下にミニィがいます
ハッピーとモコ以外は里子となりそれぞれの家庭で名前を貰い愛され寿命を全うしました


家に残したハッピーです


右端がモコです

ミニィを迎えてからハッピーが亡くなるまで、家にはコーギーが18年と8ヶ月居た事になります
この間、子供たちの成長と家族の悲喜こもごもをコーギーは見守る存在で居てくれました

ミニィ、モコ、ハッピーありがとう!