Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

◇◆第51回「(悪への)誘惑」と「試練」~日本人の理解の方法◆◇

2010-05-30 22:01:52 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◇◆第51回「(悪への)誘惑」と「試練」~日本人の理解の方法◆◇

TBSドラマ『JIN -仁-』の最終話を出張先のホテル(中華圏)で見た。
面白かったので、出張から戻り、日本からDVDを取寄せ12話すべてを見ました。

繰返し「神は乗り越えられる試練しか与えない」
との言葉が述べられ、
印象的だったので、ネットの反応を調べることにしました。

すると、
昨年大ヒットした番組であること、
この言葉が、ブログや知恵袋など、
日本人の間でさまざまな解釈が出ていることを知り、
これはもう、とても興味がそそられることになりました。

さて、
日本人的な解釈とは、

「神様を信じていなくとも、試練を乗り越える決意があれば、乗り越えられる」との解釈です。

試練とは、この場合、決心や実力の程度を試みること。または、そのための苦難ということでしょう。

一方、
神と言えば一般的には、キリスト教の神でしょうから、
早速、聖書の出典を確認した。

この言葉に近いことが言われているのは、
新約聖書の中で、使徒パウロがコリントの教会へ送った書簡だ。

コリント人への第一の手紙:10章13節には、

『あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである』
(日本聖書協会の訳)

となっている。

英語の文章を探したら、

1 Corinthians 10:13 (New International Version)

No temptation has seized you except what is common to man.
And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear.
But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can stand up under it.

No temptation has overtaken you that is not common to man.
God is faithful, and he will not let you be tempted beyond your ability, but with the temptation he will also provide the way of escape, that you may be able to endure it.

あるいは

But remember that the temptations that come into your life are no different from what others experience. And God is faithful. He will keep the temptation from becoming so strong that you can't stand up against it.
When you are tempted, he will show you a way out so that you will not give in to it.

が出てきた。

原文の意味を酌んで、私なりに訳すと、

『あなたたちが人生で出会った(悪に対する)誘惑は、ひとにはよく起きることです。
そして、神は真実で不変です。
神は、あなた方が耐えることのできない誘惑に会わせるようなことはなされません。
でも、あなたたちが(悪に)誘惑される時は、神は、それを逃れる道をお与えになり、
あなたたちはその誘惑に耐えることができる(かも知れません) 』

となり、
英文でのキーワードは、temptations 「(悪の)誘惑」となります。

日本聖書協会の訳で、temptations(trial)が「試錬」となっているのは、文脈から判断すると、
「神は、乗り越えられる(悪の)誘惑という試練(錬)しか与えない」ということでしょう。

日本人的な解釈では、
試練という言葉だけが取上げられ、
結局、宗教性が除去され、
善悪の意味がそがれ、
一般的な決心のかたさや実力などを厳しくためすことや、
その時にうける苦難の意味に変質してしまった、
ということです。

ここで気になったのは、

「神は」という、何か絶対的な存在が「そうした/そうしない」ということが、
道徳的な意味合いをもたず、
表面的な言葉だけで、
無条件、無批判に受け入れられることです。


【参考にしたのは】
コリント人への第一の手紙:10章13節
英語の文章
日本聖書協会の訳

※『JIN -仁-』の写真は、TBSのサイトから、右の聖パウロは、巨匠エル・グレコの描くパウロを使用しました。



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