Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

◇◆第51回「(悪への)誘惑」と「試練」~日本人の理解の方法◆◇

2010-05-30 22:01:52 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◇◆第51回「(悪への)誘惑」と「試練」~日本人の理解の方法◆◇

TBSドラマ『JIN -仁-』の最終話を出張先のホテル(中華圏)で見た。
面白かったので、出張から戻り、日本からDVDを取寄せ12話すべてを見ました。

繰返し「神は乗り越えられる試練しか与えない」
との言葉が述べられ、
印象的だったので、ネットの反応を調べることにしました。

すると、
昨年大ヒットした番組であること、
この言葉が、ブログや知恵袋など、
日本人の間でさまざまな解釈が出ていることを知り、
これはもう、とても興味がそそられることになりました。

さて、
日本人的な解釈とは、

「神様を信じていなくとも、試練を乗り越える決意があれば、乗り越えられる」との解釈です。

試練とは、この場合、決心や実力の程度を試みること。または、そのための苦難ということでしょう。

一方、
神と言えば一般的には、キリスト教の神でしょうから、
早速、聖書の出典を確認した。

この言葉に近いことが言われているのは、
新約聖書の中で、使徒パウロがコリントの教会へ送った書簡だ。

コリント人への第一の手紙:10章13節には、

『あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである』
(日本聖書協会の訳)

となっている。

英語の文章を探したら、

1 Corinthians 10:13 (New International Version)

No temptation has seized you except what is common to man.
And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear.
But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can stand up under it.

No temptation has overtaken you that is not common to man.
God is faithful, and he will not let you be tempted beyond your ability, but with the temptation he will also provide the way of escape, that you may be able to endure it.

あるいは

But remember that the temptations that come into your life are no different from what others experience. And God is faithful. He will keep the temptation from becoming so strong that you can't stand up against it.
When you are tempted, he will show you a way out so that you will not give in to it.

が出てきた。

原文の意味を酌んで、私なりに訳すと、

『あなたたちが人生で出会った(悪に対する)誘惑は、ひとにはよく起きることです。
そして、神は真実で不変です。
神は、あなた方が耐えることのできない誘惑に会わせるようなことはなされません。
でも、あなたたちが(悪に)誘惑される時は、神は、それを逃れる道をお与えになり、
あなたたちはその誘惑に耐えることができる(かも知れません) 』

となり、
英文でのキーワードは、temptations 「(悪の)誘惑」となります。

日本聖書協会の訳で、temptations(trial)が「試錬」となっているのは、文脈から判断すると、
「神は、乗り越えられる(悪の)誘惑という試練(錬)しか与えない」ということでしょう。

日本人的な解釈では、
試練という言葉だけが取上げられ、
結局、宗教性が除去され、
善悪の意味がそがれ、
一般的な決心のかたさや実力などを厳しくためすことや、
その時にうける苦難の意味に変質してしまった、
ということです。

ここで気になったのは、

「神は」という、何か絶対的な存在が「そうした/そうしない」ということが、
道徳的な意味合いをもたず、
表面的な言葉だけで、
無条件、無批判に受け入れられることです。


【参考にしたのは】
コリント人への第一の手紙:10章13節
英語の文章
日本聖書協会の訳

※『JIN -仁-』の写真は、TBSのサイトから、右の聖パウロは、巨匠エル・グレコの描くパウロを使用しました。


■□第47回「世界のリーダーに見るボディランゲージ」□■

2009-11-20 07:17:23 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

■□第47回「世界のリーダーに見るボディランゲージ」オバマ大統領の聡明さ□■

上記の3枚の写真を見てみよう。
オバマ大統領の3種類の握手です。

中央のオバマ大統領の天皇陛下へのお辞儀については
米国内で議論が続いていますが、
日本人の私としては
ちっとも違和感は感じません。
よっぽど、
左の首脳の写真が気になりました。

みなさんは、
どういう感じがしますか?


クロスカルチャー(交じり合う文化)コミュニケーションの
視点から分析すると、こうなります。


左「先生と生徒」
中央「日本文化を敬う姿勢」
右「一般的な欧米のハグ」

首脳同士の握手という
ボディランゲージだけで、
その人の国際度
(どれだけグローバルな環境に慣れているか)や
聡明さ
がわかるようです。

右の李明博韓国大統領との握手は見ごたえがありました。
オバマ大統領は、李大統領に対して、
鳩山首相と同じように、左手で絡みます。
李大統領も、同じように左手で、オバマ大統領の
右手に絡みます。
すると、今度は、オバマ大統領は、
より近づき、ハグ(抱擁)となります。
それに答えて、
李大統領もハグを返します。(右写真)

ちょっとしたしぐさですが
一瞬の動作で
その人の心の中が透けて見える
よい例です。


写真は、左からトムソンロイター、中央は、読売新聞、 右は、APより

◆◇第45回「Assertive(堂々と主張する)とSubmissive(従順な)のあいだで」◇◆

2009-11-02 06:39:46 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◆◇第45回「Assertive(堂々と主張する)とSubmissive(従順な)のあいだで」◇◆


Global Japanese(グローバルに通用する日本人)の条件を、2つの英単語の間で考えてみた。

西欧での面接試験の資格要件に、Assertiveという評価項目があった。

日本の辞書には、
Assertive:
1.断言的な、断定的な 2.積極的な、強引な、有無を言わせない;独断的な (ランダムハウス英和大辞典)

断定的な、独断的な;自己主張の強い;自分に自信を持った;我の強い (ジーニアス英和大辞典)
と、

意味的には、マイナス・イメージの多い日本語訳になっている。


オックスフォード現代英英辞典(2005年第7版)を調べると、

Assertive: expressing opinions or desires strongly and with confidence, so that people take notice.
(「自信を持って、意見や望むことを強く主張する。そのことで人々の関心が集まる」)
となっている。

個性を大事にする西欧文化では、マイナスどころか、プラスのイメージである。

一方、Assertiveの反対語は、
Submissiveである。

Submissiveの日本語訳は、

1.(人が)(・・・に)服従する、従順な、おとなしい
2.(行為などが)服従的な、素直な(ランダムハウス英和大辞典)
-服従的な、従順な(ジーニアス英和大辞典)

同上のオックスフォード現代英英辞典では、
too willing to accept sb else's authority and willing to obey them without questioning anything they want you to do.
(「他人の権威をたやすく受け入れ、彼らがあなたにしてほしいことについて、疑問をもたず、たやすく従う」)

また、オックスフォード米語辞典(2005年第2版)では、
ready to conform to the authority or will of others; meekly obedient or passive.
(権威や他人の意思にたやすく従う;黙って、自己主張せずに、言われたことに従う)
となっている。

これは、西欧文化では、マイナス・イメージが強い。

海外で働くとき、
日本では価値の高い、
「謙虚さ」(Modesty, Humility)が
ややもすると(多くの場合)、
Submissiveとして理解されることが多い。

時には、この謙虚らしい態度が、
卑屈な(obsequious, servile)態度につながり、若い日本人でさえも、
『えへへ』と言った言葉や態度、笑いで、その場をとりつくろうことがある。
この態度は、Assertiveの対極に立つもので、西欧人からの評判はよくない。
また、卑屈さの正反対の「傲慢な、横柄な」(haughty, arrogant)態度になることも日本人にはよくあることだ。

グローバル日本人としては、
卑屈にならず、傲慢にもならない、
「堂々と主張する態度」の学習を進めることが必須になるでしょう。


さて、
大学院のクラスで、中国からのクラスメート(上海出身の政府機関の女性)に、日頃感心していることをぶつけてみた。

「中国人の報道官って、みなさん、堂々と意見を主張してますよね。なんだか、中国人って、アメリカ人と性格が似ている印象をもっていますよ」(わたし)
「ええ?あれは、外向きの訓練を受けているんですよ。海外へ報道するときは、はっきりと主張するのが彼らの役割なんです。ああいう態度を、国内で取ったら、みんなから嫌われますよ」(彼女)
「ええっ、ほんとですか~?てっきり、アメリカ人と同じ性格かと思っていました」(わたし)

日本の外務省は、内向きも外向きも同じようです。
クリティカル・シンキングや海外との交渉の訓練さえも、
受けていないようです。

というのは、NHK Worldで「ミャンマーの民主化」(Asian Voices 10月24日放送)を見た時に、日本人ゲストのプレゼンス(存在感)の希薄さに失望したものです。
NHKの伝統的な演出(国内、海外向け共に)は、司会者の隣に、(日本人)ゲストを据え、討論のまとめをするという構成になっています。

英語の討論能力以前に、海外ゲストの情報収集能力や多角的な分析とのギャップの大きさ、分析能力の貧弱さやプレゼンテーションのスキルのなさなど、
ああこれが日本で最高と言われている優秀な官僚の限界なんだなと、感心したのでした。


写真は、Asian Voicesと中国報道官の写真を使用した。


【参考】
Asian Voices (Oct. 24, Sat."MYANMAR: DEMOCRATIZATION")


★☆第44回「翻訳文化の危うさ~NHK報道に見る誤解」★☆

2009-09-02 21:50:29 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

★☆第44回「翻訳文化の危うさ~NHK報道に見る誤解」★☆


今回も引き続き、NHK報道の脆弱さを指摘したいと思います。

私はジャーナリストではなく、コンサルティング分野の専門職ですので、単に批判のための批判というつもりでこのブログを書いているわけではありません。微力ながら、報道の正確さを保ちながら、できるだけいい方向へ変えていくために、なんらかのヒントになればと思い、書いています。
もちろん、NHKには何の恨みも、利害関係もないです。

本日、
ワシントンポスト紙の9月1日付けの社説の翻訳が
NHKで報道されていました。

9月2日 16時35分
『アメリカの有力な新聞「ワシントン・ポスト」は、日本の新しい総理大臣となる見通しとなった民主党の鳩山代表について、アジアに軸足を置く外交政策を掲げていると指摘したうえで、北朝鮮の核による脅威があるなかで「アメリカとの決別を模索するものであればあまりにも危険だ」と厳しく論評しました』

となっています。

この記事は気になったので、すぐに、原文をチェックしました。

原文はこうです。
But the threat of a nuclear North Korea makes Japan's neighborhood too dangerous, we think, for the government in Tokyo to seek a rupture with Washington or for the Obama administration to let one develop.

普通の文章に直すと、

「しかし、核保有の北朝鮮の脅威が、日本周辺をあまりに危険にしているため、
東京の政府がワシントンとのこれまでの関係を断絶しようとすべきではないし、
オバマ政権がその断絶を促進するべきではないと、私たちは考える」

となります。

これは、簡単な例で言うと、

The cat is too high in the tree for me to reach her.
(その猫が木の上の方にいるので、私は捕まえることができない)
の構文と同じです。

別の英語に言い換えれば、
But the threat of a nuclear North Korea makes Japan's neighborhood too dangerous, so we don't think that the government in Tokyo may (should) seek a rupture with Washington or the Obama administration may (should) let one develop.(訳文は、「普通の文章」と同じです)

つまり、
あまりに危険なのは、
「北朝鮮の核の脅威のこと」を言っているのであって、
NHKの報道にあるような
「アメリカとの決別を模索するもの」が「あまりにも危険」
とは言っていないのです。

このニュアンスの違いを知ることは、とても大事なことです。
(たまに、意図的にそのような翻訳をする報道機関もあるようですが)

これは、以前、
レッドソックスの松坂報道(米大リーガーのトレーニング方法)でも、似たような間違い(誤解)がありました。

「米メディアも激怒! 松坂“機密漏えい”に厳罰必至 」(夕刊フジ7月29日。ボストングローブ紙7月29日付けより)

首脳陣レッドソックスのマネージャTerry FranconaとピッチングコーチのJohn Farrellが話した言葉は、

"Disappointed, yeah,,,"(がっがりした、ほんとに、、)
"So the disappointment comes from [him] basically airing his dirty laundry."(がっかりしたのは、内輪の話を公開したことです。)

"Not disappointing that he has an opinion, because that's very welcome. Disappointing in that we took a meeting that was confidential and he decided to air it publicly. Yeah, we're very disapopointed."
(彼が自分の意見を持っていることに、がっかりしたのではないですよ。自分の意見をもつことは、とても好ましいことですから。
がっかりしたのは、内輪の話で、マル秘の話を、公開したということなんです。本当に、そのことにとてもがっがり(失望)している。)

なぜ、disappointedが「激怒」になるんでしょうね。

「激怒」と「がっかり(失望)」は、 かなり、日本語では、ニュアンスが違うのに。


報道機関に携わる翻訳者は、相当、気をつけて仕事をしないと、
なんでもないことが、両国の誤解を増幅することになるいい例です。

なお、ワシントンポスト紙は、1877年創刊の新聞社で、共和党のニクソン大統領の辞任につながった、ウォータゲート事件の報道で有名。その報道で1973年のピューリッツァー賞を受賞する。また、1970年にオンブズマン制度(いずれの党派にも加担しないで、冷静な判定者の役割を果たす)を新聞社で初めて導入したことで知られています。



【参 考】

米との決別 模索なら危険”(NHKニュース 国際)

★なお、
産経ニュース・国際(2009.9.2 01:53【ワシントン=山本秀也】)では、
米主要紙、鳩山氏の対米姿勢に相次ぎ懸念

『日本が米国との決裂を求めたり、オバマ政権がその溝の広がりを許すことがあれば、「北朝鮮の核の脅威は日本の周辺をきわめて危険なものとする」と警告した』となっている。 (←日本語として、よくわからないが、、、、)

★Washington Post
Editorials: Shake-Up in Japan_Two parties are better than one. Tuesday, September 1, 2009

★The Boston Globe
Sharp replies issued - Matsuzaka gets pointed response
By Amalie Benjamin
Globe Staff / July 29, 2009


米メディアも激怒! 松坂“機密漏えい”に厳罰必至~
フランコナ監督「とてもおろかな判断」

ZAKZAKは、産経新聞社が発行する「夕刊フジ」の公式サイト。

◆第43回「討論のできない日本人、朗読得意な日本人」◆▽

2009-09-01 01:12:26 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◆第43回「討論のできない日本人、朗読得意な日本人」◆▽


生身の人間同士が討論をして、解決の道を探すというのが、ソクラテス以降の伝統的な欧米社会のスタイルだ。

一方、ふみの文化、すなわち、書き言葉を中心に発展してきたのが日本だ。海外の有名な小説、論文、記事などを輸入して、翻訳して、国民へと知らしめる。これが、伝統的な日本社会の輸入文化のスタイルだ。

さて、
NHKワールド(海外向けのNHK放送)で、民主党の圧勝に終わった、09年衆議院選挙報道(Newsline: Japan Decides)を見ていて、なんだか、違うなあ、との思いが募ってしまった。

NHKの政治記者が、その割り当てられた半分以上の時間を、英文記事の朗読にあてているのだ。アンカーパーソン(司会者)との会話というよりも、原稿朗読に熱中して、ほとんど目を上げず、選挙解説をしていた。日本の最高の報道機関の記者が、海外向け英語番組で、会話をしていないのだ!

これは、NHKの他の海外向け放送の番組を見ていたときも、時々不思議だなと感じることと一緒だ。
Asia 7 Daysのときもそうだった。Asian Voicesのときもそうだった。他の日本人ゲストと同じように、原稿を読むのが主で、会話や討論というスタイルではない。これは、NHKだけに限らず、政府関係の国際会議や国際学会でも、日本人参加者によくみられる光景である。

なぜ、こんな演出が許されているんだろう。

このグローバル化された社会で、
生身の人間同士が意見を交換しあい、
互いの弱み・強みを認識して
別の解決策を見つけようという舞台では、
ほとんどと言っていいほど、日本人が登場してこない。

さて、今回の衆院選挙報道では、アルジャジーラでは、中国系リポーター(香港出身かな?)が、CNNでは、中国系アメリカ人のリポーターが東京からリポートをしていた。
NHKワールドの記者も、エスノセントリック(自国中心主義)から現地リポーターの活用へと変化しつつあり、以前と較べたら、柔軟性もいや増しているようだ。

世界英語という視点から考えると、これまでの安易な(アメリカン)ネイテイブ崇拝はもうそろそろ終わりにしたらどうだろう。日本には、英語をしゃべれる人材が、そんなに枯渇しているのだろうか、それとも、日本国民の完璧症がそうさせているのだろうか。(もし、完璧主義を貫くのなら、ハードルが高すぎて到底マスターできないだろう)

また、経験上から判断すると、
「読む-書く」時に使う脳の部位と、
「聞く-しゃべる」時に使う脳の部位は、
どうも違っているらしい。

一方、NHKワールドのJ-Techでは、パックンマックンのマックンが英語で解説をし、J-Waveでの別所哲也の長年の起用もなかなか素晴らしい演出だ。

今後とても大事になると思われるのは、

・グローバル時代に即した、英語で主張できる人材の育成(原稿を読むのでなく)
・ネイティブやバイリンガルに限定せず、日本語なまりの英語でも、討論に参加し、しゃべれる人材への応援

である。


最後に、ちょっと視点を変えてみよう。

情報のデザイン面で言うと、
情報のサイクルは、情報を収集して、蓄積し、分析/活用し、それを配信(発信)するというのがグローバルに知られたことだが、世界を相手にするときは、どうしても、英語という世界語の存在を語ることなくしては意味がない。

吉原欽一氏が提言するように、この情報の流れに必要なシステムやインフラを構築することは、オールジャパンの喫緊の課題である。

その中でも、最も遅れをとっているのは、英語での情報発信の仕組みづくりであり、これなくしては、日本は、ますます孤立化への道を歩み、ガラパゴス化の世界へ浸りつづける、ことは言を俟たない。


※上記の写真は、左がJ-Wave Tokyo Morning Radio Blogから、中央と右はNHK WorldのWebサイトから使用した。


【参考サイト】
NHK Newsline
吉原欽一『米中のG2時代で問われる日本のスタンス~「情報安全保障」の重要性を認識せよ』
(日経BPnet 特集:09衆院選 政権選択 新政権が実行すべき政策は何か2009年8月26日より)
「日本の国益に資する情報を収集し、守り、活用し、そして発信するために必要な制度、システム、インフラを構築することは、変わりつつある世界のなかで、オールジャパンで取り組む最重要課題である」

◆☆第40回☆ちょっと気になる翻訳された日本語 ~citizenと国民のあいだ~(改訂版)

2009-02-23 17:33:34 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◆☆第40回☆ちょっと気になる翻訳された日本語
~citizenと国民のあいだ~

My fellow citizensから始まる、有名なオバマ大統領の就任演説。
日本語訳は、「市民のみなさん」(朝日新聞)、「国民の皆さん」(毎日新聞)、「市民の皆さん」(読売新聞)となっている。

英語のcitizenは、どういった意味か?
この場合の意味は「国民」で、
よく訳される「市民」の意味ではない。
辞書にもよるが、「国民」の意味が最初に出てくる辞書も多い。

ただ、「国民」といっても、その意味は日本語のニュアンスとはちょっと違うようだ。

どういうことかと言うと、citizenの意味での国民は、
その国に法的な権利/責任をもつ国民となっている。
つまり、その国で生まれた国民と同様の権利をもつ移民も含まれるし、
海外在住であってもその国の国籍をもっているひとも当然含まれている。
オバマ大統領は、世界のアメリカ人すべてを対象としたのだ。

辞書では、
類似語として、subject と nationalとの違いが説明される。
subject とは、王様や女王などの統治権下で忠誠をつくす「臣民」の意味があるし、
national とは、国民citizenではあるが、特に、海外在住や海外旅行をしている、国民ということになる。

そこで、日本語の「国民」を考えてみた。
広辞苑には、
①国中の民。くにたみ。
②国家の統治権の下にある人民。国家を構成する人間。国籍を保有するもの。
国権に服する地位では国民、
国政にあずかる地位では、公民または市民と呼ばれる。
とある。
My fellow citizensで意味する所は、②に近い。

ただ、ちょっと疑問に残るのが、
第5回「冷泉彰彦さんの視点と日本文化」
で述べたように、

日本の国家、特に、在外大使館の日本人に対する態度や
海外在住で日本国籍を持つ日本人に対する日本人の意識だ。

そろそろ、
citizenの意味での国民、
つまり、
居住している場所で日本人かどうかを判断する時代からの脱却が必要だし、
更に、
顔のかたちや皮膚の色で区別(差別)する時代からの転換も考えていきたいものだ。

(改訂版追加)

ちなみに、日本で「国民」という言葉が使用されたのは、明治4(1871)年に、戸籍法制定の別紙太政官布告第170号が最初だと言われている。Nationの訳語を、国家人民から、「国民」という用語に統一したようだ。

当時は、明治維新政府が幕藩体制の解体と新たな社会的・国家的秩序の再編を図っていた時期で、最初に着手した制度の創設として,軍制と並んで戸籍の全国的整備を始めたものだ。国民という用語で、封建的割拠を打破し地域からの脱却や,階層的な身分からの解放を目指して,近代国家の統治基盤を固めたかったのである。

次回は、
『オバマ大統領は、米国を再生できるか?~グリーン革命(グリーン・ニューディール)成功の鍵と日本~』を取り上げる。


【参 考】
◆オバマ大統領、就任演説
英語原文
和訳:毎日、朝日、読売対訳:就任演説

鈴木 孝夫(1973年)「ことばと文化」 (岩波新書)
英語と日本語の一語一語を対応させると、微妙にその意味範囲がずれていき、正確な理解にならないとの指摘は重要だ。
常に、英英辞書での確認が必要だ。

Karel Van Wolferen (1989),The Enigma of Japanese Power: People and Politics in a Stateless Nation, Knopf
カレル・ヴァン ウォルフレン(1994), 「日本 権力構造の謎〈上〉〈下〉」 (ハヤカワ文庫NF),
特に、上巻のp.81は、以前読んで引っかかっていたところだ。

戸籍法制定の別紙太政官布告第170号

※写真は、ホワイトハウスのWebページおよびYoutubeより使用した。


●第28回「日・欧米スクリプト(台本)の違いにみる、クロスカルチャー」

2008-06-11 09:14:26 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●第28回「日・欧米スクリプトの違いにみる、クロスカルチャー」


◆クローズアップ現代を見た。
今夜は、「大丈夫か?ニッポン株式市場」(6月9日(月)放送)。

スクリプト(脚本、台本)の構成はこうなっている。

日本市場の国際競争力の低下を懸念する声

世界(海外)の投資家の日本離れ

日本の閉鎖性

海外投資家による日本の製造業社長との対話↑
代表的製造業にみる、顧客志向=株主軽視

大学院大学準教授による解説:
日本の製造業の株主に対する考え方の解説。
このままでいくと、もっと海外投資家が引き上げる

→株価が下がる→日本企業にとって買収のリスクが上がる
→企業による、買収防衛策の強化。

一方、ニッセンなどの買収防衛策の放棄
→投資を呼びこむ会社の紹介

日本企業の投資機関自体が、日本への投資比率を下げ、
海外の新興国への投資比率を上げる例を紹介。

結論:『日本株式市場が抱える課題と復活の糸口を探る』との謳い文句だが、何もない。

ただ、現状を追認しただけのリポート。


◆疑問:
1.なぜ、日本の会社は株主軽視で顧客(取引先)重視なのか、
  その分析がない、深さがない。
  本当に、海外の会社で顧客重視の会社はないのか?
  このまま、株主軽視でいくと、どのような株式市場になるのか
  株主重視の弊害はないのか、
  等々の解説や予想がない。

2.海外投資家の戦略も単純すぎる。例えば、海外では、このような株主軽視はありえない、などの発言。海外ではこうだ、というような発言では、日本企業への説得にはなりえない。

3.日本の行政の規制、例えば、経済産業省の投資家に対する規制についての是非の分析が欠けている。
  行政がどう関わればいいのかの判断、意見が皆無。
  NHKという公共放送は、世界の意見を踏まえた意見、分析を言ってはいけない?
  この役割は、解説者が果たすべき。

4.この番組の主旨は、現状レポートのみであって、議論や解決策は求めない?

5.この種の番組の視聴後のものたりなさ
 (NHKの政治討論会 vs. サンデープロジェクトの質的深さ、緊迫感でのかなりの相違)

◆さて、先日、映画づくりのショートセミナーに参加しました。
Script Writingのセクションで面白かったのは、

Structure of Storyのところで、
欧米の映画づくりでのストーリーの流れは、

1.Natural World (普通の世界)

2.Big Event (興味ある、普通でない出来事)

3.Pinch (困難、緊急的状況)

4.Crisis (最悪の危機的状況)

5.Showdown (困難、危機的状況との闘い)

6.Resolution (困難の解決)

の流れが一般的だとの解説でした。

いい作品の脚本を考えると、
なんだかこの流れを踏まえて書かれているようです。

まあ、作りが、ドラマチックなんですね。
また、
映画を見たあとに感じる「カタルシス」と同じような感覚が
特に、アメリカのTV報道番組にもみられる。

どうも、
TV番組の脚本にも、このドラマテックな
構成が生かされているようだ。
5.Showdownで終わる番組も多いけれど、
解説では、
6.Resolutionの一端が見られる。

☆さて、いつになったら、

ドラマテックな知的興奮を感じさせてくれる

番組がでてくるのだろうか。

政界と同じく、TV界にもそろそろ
changeが必要でしょう。

●第19回「リラックス言語とディスカッション言語~日本語は、非論理的か?」

2007-09-01 22:55:29 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●リラックス言語とディスカッション言語
~日本語は、非論理的か?

Critical Thinking のクラスで、面白い論文が取り上げられた。

「オーストラリアで勉強している東南アジア留学生への誤った共通認識」がそれで、以下5つの(誤)認識が述べられている。

東南アジアからの留学生は、
1.学習への表面的なアプローチをする暗記型学習者である。
2.受動的な学習者で、授業に参加しない。
3.自国の留学生で固まり、地元オーストラリアの学生と交わりたくない。
4.分析やクリティカル・シンキングのスキルがない。
5.彼らの学習法は、なかなかオーストラリアのやり方に調整できない。
というもので、これらの認識は、オーストラリアの教育界では一般的だった(今でもそうなのかも)らしい。

論文では、この一つ一つに、実証的な反論をして、誤認識だという結論に至っている。

でも、この論文を読みながら考えたのは、これは、東南アジア留学生だけではなくて、日本人留学生でも当てはまりそうだということです。

上の1、2、4、5をまとめると、オーストラリア(だけではなく、西欧的だと言える)の理想的学習者は、

暗記型ではなく、分析やクリティカル・シンキングが基本で、授業には積極的に参加する、能動的な学習者である、ということになる。

さて、今日の議論は、この論文の中ではなく、もう少し、広い議論なのです。

『日本語は、あいまいで論理的でないとか、日本人は論理的でない』と西欧人からよく聞かされる言葉だけれど、
本当にそうなのかを、考えてみたい。

今日の仮説:
『日本語は本来リラックス言語で、英語はディスカッション言語なんじゃないの?』

週末は、よく近くの Yarra Bend Park へウォーキングへ行きます。
この山あり、谷あり、川ありの公園を踏破するには、3時間以上かかるくらいの広さです。
こちらメルボルン市民は自転車に乗るのが好きで、週末には、かなりの数のサイクリストがこの公園を走り回っています。日本では鎌倉の山道をハイキングするようなもので、メルボルンではシティ(中心地)から30分の公園でも、このリゾート感覚を楽しめるのが、特徴です。

さて、川沿いのお気に入りコース(幅50センチ位の細道)を高野山の修行者をイメージし早歩しながら、上記のことが浮かびました。

そもそも、日本語での会話の目的って、なんか疑問を解こうとか、口に出してお互いの意見を交流する、というところにはないのでは。そうじゃなくて、日本語は、会話して、良い人間関係をつくる、維持するのが目的の言語なんじゃないのかなって。

日本社会は、「内と外」の区別があって、日本語は、内でのリラックスを求める会話というか、団欒が基本になっている言葉じゃないのかって思う。
だから、日本語会話が論理的になっていない、という外国人の指摘は的を得ているかもしれません。

でも、外の仕事場での会話、特に仕事中の日本語は、日常会話とは大きな相違がある。それは、仕事や学問の分野では、日本人は、(非常に)論理的だと思います。
一方、英語西欧文化の人々にとっては、内も外もない、すべてが、論理的に会話する!
仕事場でも、論理的でないとおかしいし、家庭でも、議論が当たり前。今いるシェアハウスのカップルは、しょっちゅう、論理的に議論していますし。
どこで、くつろいでいるのやらって思います。
リラックスになるのには、日本語を学習するのもひとつの手かもしれません。

ところで、冒頭の「誤認識」の議論にもどりましょう。
クリティカル・シンキング(含むクリティカル・リーディング、ライティング)は、
「学習によって獲得できる」、
というのが私の経験的結論です。

当然、英語を話したり、書いたりするときは、論理的であるのが必要条件で、
かつ
クリティカルでなければ十分になりません。
論理的であろうとするところは、日本の大学ではやっていないようですが、いかがでしょうか。
日本の大学院の修士か博士課程では、論理的かつクリティカル・ライティングをやっているかも知れません。
あの大前研一氏主催の大学院では、論理の権化のような学院長のもと、クリティカル・シンキングが厳しく実施されているようです。

それでは、どのような方法によって、クリティカル・シンキングが獲得できるのでしょうか。

別の機会にそれをお話しましょう。

【参考】
Charlmers, D. and Volet S. (1997). Common Misconceptions about Students from South-East Asia Studying in Australia, Higher Education Research & Development, Vol. 16, No.1

Yarra Bend Park:
http://www.parkweb.vic.gov.au/1park_display.cfm?park=225

●第14回「新聞記事のあいまいさ。~本日の日本経済新聞から」

2007-05-21 23:41:22 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●以下の記事で、
ちょっと気になる表現をクリティカル・リーディングで取り上げてみました。


『財務省はこうした改革で効率化を促したい考えだが、文部科学省や大学側の反発は必至で調整は難航しそうだ。』

まず、財務省の代弁です。
財務省は、効率化を促したいので、こうした改革をすすめたい。(財務省側の理由が述べてある)

次に、文部科学省・(不利になる)大学側の代弁です。

文部科学省や大学側の反発は必至で、(なぜ反発するのかの理由がなく、大学側とひとくくりで述べているが、交付金の増える東大や京大からの反発が必至だとは考えにくい)

調整は難航しそうだ。

財務省と文部科学省・大学側の協議を、高みの見物としましょうか。

この記事は、一見客観的なようで、実は、責任を放棄しているように思われる。

つまり、記者が事実だけを述べるのであれば、『』の文章は不用であり、読者に、財務省の改革案は、難航しそうだ、との印象を与えている。
あるいは、財務省の目的を述べるのであれば、反対側の理由も述べるべきである。

とまあ、書いたわけですが。みなさんのご意見は、いかがでしょう。

例文1:

「国立大の85%が減額交付、競争原理導入で財務省試算」

 財務省は21日、国立大学向けの補助金である運営費交付金について、競争原理に力点を置いて配分方式を見直した場合の試算をまとめた。交付金は東大や京大など13校で増える一方、全国の国立大の85%の74校が減額になり、5割以上減る大学が50校に達する。財務省はこうした改革で効率化を促したい考えだが、文部科学省や大学側の反発は必至で調整は難航しそうだ。

 新試算は21日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政構造改革部会に提示した。今年度の予算額で約1兆2000億円の同交付金について、研究内容や成果で決まる科学研究費補助金(科研費)の2006年度の獲得実績に応じて配分した場合と想定した。現在の交付金は、教員数などを基本に一律配分している。

 試算によると、87ある国立大学のうち、東大が現在の2.1倍に増えるなど13校で交付金が増加する。減少するのは74校で、減額幅が最も大きいのは兵庫教育大で、今年度の配分予定額に比べて91%の減額になる。 (5月21日22:44)

【参考】
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070521AT3S2101E21052007.html

●第12回「品(ひん)についての考察  (日英 国家の品格)」

2007-05-01 00:23:17 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●2005年11月に発刊された「国家の品格」(The Dignity of a State)以降、
SNSでも、品(ひん)についての議論が盛んだ。

そこで、品についての言葉を考えたみた。

日本語で品(ひん)とは、
ひとやモノにそなわる(好ましい)様子、風格、くらい、人がら。(広辞苑)

また、「しな」【品・科・階】で、地位・身分。
人・物の品格・品質、とある。
科は、愛嬌。嬌態。
漢字源によると、人の等級や人がら。

気品とは、どことなく感じられる上品さ。けだかい品位。
上品とは、ひんのよいこと。気品のあるさま。
品格とは、品位、気品。
また、「しなやかさ」とは、上品なさま、ひんのよいこと、気品のあるさま、たおやか。

仏教用語では、上品(じょうぽん)、と読む。
極楽浄土に往生する者の階位を上品・中品・下品(げぼん)に三分した、その最上位)。それぞれ上生・中生・下生(げしょう)の三等があり、九品(くほん)という。

英語では、
grace (丁寧でここちよい所作)
dignity (真面目でフォーマル、尊敬すべき性質)
elegance (非常に美しくスムースかつ魅力的な所作、あるいはスムースな魅力的な形)
aroma (芸術品などのもつ気品、風格、えも言われぬ雰囲気)
couth (洗練、優雅)
decorous (ある特定のときに正しい身なりや所作をする)
distinction (普通ではない 良いという性質)
style (自信のある魅力的な性質で、賞賛され、身なりや所作などに用いられる)

さて、英国ジャーナリストと「国家の品格」の著者との、英日の会話(論理)の進め方の違いを観察してみよう。

FT東京支局長デビッド・ピリングは、そのヒューモアとシニカルな持ち味を存分に活かして、論理(記事)を進める。
片や、藤原氏は論理だけではなく、感情をないまぜにした持論を進める。

この支局長と藤原氏との会話のすれちがいや支局長のcritical readingによる質問と彼の応答もなかなか面白い。論理的でなくなると、どうも欧米人には、日本人の言っていることが理解できないようだ。(当然かもしれない。それが、また、不思議を呼ぶ?)

また、日本人としては、論理だけで来る人間に対しては、「理屈っぽい」とか「理屈をこねる」と言い、現実を無視した物事の道理と判断し、それを言い張る人物に対しては、(特に、理屈っぽい欧米人は、)感情的に毛嫌いされる。
理屈とは、理のつまる所を意味する。

さて、これは、感情の問題、感性の問題、ということで、済まされるのだろうか。

それとも、

感情と論理を超えた、なにかがあるのだろうか。


☆女は品良く (ミクシー・コミュニティ)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=183312
■ファイナンシャルタイムズと昼食を:藤原正彦さんと(Mar 09, 2007英語原文)
http://search.ft.com/ftArticle?queryText=fujiwara&y=6&aje=true&x=12&id=070309007956
(日本語訳2007年3月23日)
http://news.goo.ne.jp/article/ft/life/ft-20070323-01.html
http://news.goo.ne.jp/article/ft/life/ft-20070323-02.html
http://news.goo.ne.jp/article/ft/life/ft-20070323-03.html

(参考・電子辞書)
広辞苑第五版
ジーニアス和英辞典第2版
ジーニアス大英和インデックス
ロングマン現代アメリカ英語辞典(2000年)

●第3回「日本人の英語力について (外国人英語能力検定試験IELTSの結果から)」

2007-04-07 17:45:48 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●第3回「日本人の英語力について (外国人英語能力検定試験IELTSの結果から)」

最近、米国だけでなく、英国連邦The Commonwealth of Nations (特に、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等)への留学/移住希望者がふえているようです。そこで、彼らを対象にした外国人向けの英語能力検定試験IELTS (International English Language Testing System)のことがよく話題になっています。

今回は、このIELTS試験の結果から見える日本人の英語能力の話です。

調査対象国は20ケ国で、総合評価Overall Band scoreの高い国から挙げると、
1 Germany、2 Malaysia、3 Philippines、4 Hong Kong、5 Nigeria、6 Russia、
7 Sri Lanka、8 India、9 Iran、10 Nepal、11 Indonesia、12 Pakistan、
13 South Korean、14 Vietnam、15 Japan、16 Thailand、17 Taiwan、18 China
19 Bangladesh、20 UAEとなっています。

日本は、20ケ国中15位、ベトナムの次で、タイよりランキングは前になっています。

IELTSは、聴く、読む、書く、話すの4セクションからなりたっており、「聴く」部門では、日本は総合評価から一つ上がって14位、「読む」部門も14位、「話す」部門が最高の12位、「書く」部門は16位となっています。

この結果(ランキング)をどう見るか、ということですが。

日本を含め、総合15位までの国で、公用語が英語なのは、3 Phillippines、
4 Hong Kong、5 Nigeria、7 Sri Lanka(連結語)、そして 8 Indiaも知識人層では英語が第1言語と言われている。
1 Germanyも、英語やオランダ語と同系のインド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派の西ゲルマン語群に属する言語の一つなので、除外すると。
 
Malaysia、Russia、Iran、Nepal、Indonesia、Pakistan、South Korea、Vietnamの次が、日本となり、アジア・中東・ヨーロッパ地域で9位となる。

この結果をグローバル時代(おお、長らくこの言葉が使用されている!)の21世紀に、日本人として、どう考えたらいいか、ということです。

ソース:
2005年 IELTS受験生(アカデミック)の成績結果より、
Test-taker performance 2005
Mean band score by most frequent countries or regions of origin (Academic)
http://www.ielts.org/teachersandresearchers/analysisoftestdata/article238.aspx

●第1回「英語の流暢さ」

2007-04-06 16:39:46 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

●第1回「英語の流暢さ」


周りのインド人、メキシコ人、香港人など、流暢に英語をしゃべる留学生が多い。一方、日本人や中国人の中には、流暢ではない人たちがいる(多い)。

なぜなんだろう、と観察(傾聴)する。

シラブル言語とストレス言語の違いと言う人もいる。日本語は、一語一語シラブル(音節)単位でしゃべるために、同じリズムで文章が長ければ長く話すけれど、ただ、発音の高低さがあることが特徴。反対に、英語は、ストレス(強勢)を単語や文章の重要部分に置くため、あまり抑揚がなく、文章が長くても、短くても、時間的にはさほど変わりがないため、日常のネイティブの話は聞き取り難い、と。

なんか、根本的に、英語のしゃべりを誤解していたようです。その誤解とは、「英語の強勢は、強弱ではなくて、高低のように思っていたらしい」、「英語の流暢は、はっきりとした発音で淀みなく話す」等など。

キャンパスで得られたSpeakingのtips。
今のところ、「抑揚をつけず平板でもいいから、重要語を強く(たまにはゆっくり)発音する」「とにかく、話すスピードを加速させること」で、他人に分かりやすくなるのでは、と実践中です。