Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

◆☆第40回☆ちょっと気になる翻訳された日本語 ~citizenと国民のあいだ~(改訂版)

2009-02-23 17:33:34 | ■ことばの背景(英語と日本語の備忘メモ)

◆☆第40回☆ちょっと気になる翻訳された日本語
~citizenと国民のあいだ~

My fellow citizensから始まる、有名なオバマ大統領の就任演説。
日本語訳は、「市民のみなさん」(朝日新聞)、「国民の皆さん」(毎日新聞)、「市民の皆さん」(読売新聞)となっている。

英語のcitizenは、どういった意味か?
この場合の意味は「国民」で、
よく訳される「市民」の意味ではない。
辞書にもよるが、「国民」の意味が最初に出てくる辞書も多い。

ただ、「国民」といっても、その意味は日本語のニュアンスとはちょっと違うようだ。

どういうことかと言うと、citizenの意味での国民は、
その国に法的な権利/責任をもつ国民となっている。
つまり、その国で生まれた国民と同様の権利をもつ移民も含まれるし、
海外在住であってもその国の国籍をもっているひとも当然含まれている。
オバマ大統領は、世界のアメリカ人すべてを対象としたのだ。

辞書では、
類似語として、subject と nationalとの違いが説明される。
subject とは、王様や女王などの統治権下で忠誠をつくす「臣民」の意味があるし、
national とは、国民citizenではあるが、特に、海外在住や海外旅行をしている、国民ということになる。

そこで、日本語の「国民」を考えてみた。
広辞苑には、
①国中の民。くにたみ。
②国家の統治権の下にある人民。国家を構成する人間。国籍を保有するもの。
国権に服する地位では国民、
国政にあずかる地位では、公民または市民と呼ばれる。
とある。
My fellow citizensで意味する所は、②に近い。

ただ、ちょっと疑問に残るのが、
第5回「冷泉彰彦さんの視点と日本文化」
で述べたように、

日本の国家、特に、在外大使館の日本人に対する態度や
海外在住で日本国籍を持つ日本人に対する日本人の意識だ。

そろそろ、
citizenの意味での国民、
つまり、
居住している場所で日本人かどうかを判断する時代からの脱却が必要だし、
更に、
顔のかたちや皮膚の色で区別(差別)する時代からの転換も考えていきたいものだ。

(改訂版追加)

ちなみに、日本で「国民」という言葉が使用されたのは、明治4(1871)年に、戸籍法制定の別紙太政官布告第170号が最初だと言われている。Nationの訳語を、国家人民から、「国民」という用語に統一したようだ。

当時は、明治維新政府が幕藩体制の解体と新たな社会的・国家的秩序の再編を図っていた時期で、最初に着手した制度の創設として,軍制と並んで戸籍の全国的整備を始めたものだ。国民という用語で、封建的割拠を打破し地域からの脱却や,階層的な身分からの解放を目指して,近代国家の統治基盤を固めたかったのである。

次回は、
『オバマ大統領は、米国を再生できるか?~グリーン革命(グリーン・ニューディール)成功の鍵と日本~』を取り上げる。


【参 考】
◆オバマ大統領、就任演説
英語原文
和訳:毎日、朝日、読売対訳:就任演説

鈴木 孝夫(1973年)「ことばと文化」 (岩波新書)
英語と日本語の一語一語を対応させると、微妙にその意味範囲がずれていき、正確な理解にならないとの指摘は重要だ。
常に、英英辞書での確認が必要だ。

Karel Van Wolferen (1989),The Enigma of Japanese Power: People and Politics in a Stateless Nation, Knopf
カレル・ヴァン ウォルフレン(1994), 「日本 権力構造の謎〈上〉〈下〉」 (ハヤカワ文庫NF),
特に、上巻のp.81は、以前読んで引っかかっていたところだ。

戸籍法制定の別紙太政官布告第170号

※写真は、ホワイトハウスのWebページおよびYoutubeより使用した。