これで何度目の「寛解」だろうか。
今、自分を(が)取り巻く世界にまたひとつ新しい解釈が載せられた。
だから今僕の心はかなり揺れている。
新しい世界に生きる事・・・・・それを僕の心は是としている。
しかし今までの自分の世界との差を埋める事に肉体が付いていっていない、そういう苦しさを持っている。
寛解による精神世界の解放は、今後も何度か起こり得る事なんだと思う。
そうやって人間は成長してゆくものなのかも知れない。
今までの世界に適合し、疲労困憊した肉体は、新しい世界に適合する為、戦っている。
何も「離人感」が発現している訳じゃないが、精神に体が付いていけない今が在る。
人間の成長は多分終わらない。
新しい世界に生きる事に喜びを感じても、居る。
だから自分を責めてしまう。
ああ・・・・・せめて、せめて明日も僕らしく在りたい。
・・・・・つくづく、オートバイは心意気だと感じた。
ドカティ400SSは実はそんなに難しいオートバイでは、ない。
しかし、2000年以降のフロント荷重で曲がるオートバイしか知らないと、曲がらない。
90年代の、リアステアが肝要であり、フロントタイヤを無視するくらいのリア荷重乗りを正解とする。
オートバイの進化によって、ライテクは時代と共に変化してゆく。
しかしドカティはここに「哲学」を据えている。
スポーツライドを、オートバイを理解し、公道での楽しさを求めた空冷ツインなら尚のトコだ。
もし広い駐車場のようなところで練習できるのなら。ジムカーナ的な練習が一番効果的だと思う。
小さなコーンを使い、間隔を広めに配置して、始めはゆっくりパーシャルで回る。目線、力の入れ具合、自然とポジションを探す自分が居るはず。
ギクシャクしないで回れるようになったら、次は座る位置を変えてみる。どこにどう座れば後輪に荷重が掛かかって安定して曲がれるのか。
慣れればブレーキを使ってみる。バンクしながら少しブレーキを引きずる。SSは起きようとする。リリースでまたバンク状態に戻る。オートバイはブレーキで起き、リリースで寝る。その事を体に憶え込ませる。
加速。少し速度を乗せて減速。減速Gは外側の膝をタンクに当てて耐える。腕はタンクに添え、ハンドルに力は入れない。タンクに腕を乗せても良い。ブレーキリリースでLツインは恐らく想像以上に速く、フロントに舵角が付いて、掬われるようにインに切れ込んでゆくだろう。自分の中心はリアタイヤにあるので、多分アウトからインに回り込むようにフロントが切れてくる。
さあ、ここからはスロットルを大きく開けていこう。11000回転まで点火カットが働くまで400SSは元気良く回るはず。開ければ開けるだけ安定して、それはもう、楽しいの一言。
こんな練習から始めれば・・・・・どうかな。
SSは一定のバンク角で曲がるオートバイではない。
狙ったポイントで「向きを変える」、コーナリングマシンなんだという事を知るだろう。
そしてそれを「認識」した時、あなたのSSに対するスタンスは、きっと変わるだろう。・・・・・出来るようになった時、あなたは何を思うだろうか。
別にオートバイ工学を勉強しなくても良い。
乗っていれば自然にSSは「そうじゃないよ」と教えてくれるから。
これは自分にも言い聞かせる事だが「一度に全部をやろうとしてはダメ」。
ひとつひとつの操作を確実に、速度域が違っても、それが出来るようになる事。
それを出来るようになればあなたはより深く、ドカティの提唱するスポーツライディングの世界に行ける。そしてそれは、絶対的コーナリングスピードの中ではなく、ドカティで走る事、それが一体自分に取って何を意味するのか・・・・・。
迷い、悩んで・・・・・400SSはあなたのオートバイライフをより深くしてくれる。
辿り着いた答えが、最初の想像とかけ離れていたとしても、SSはあなたの胸に大事なものを残してくれる。
ハズだと思う。
追伸
まず、出来る限り、汚れを落とそう(エンジンが粉吹いてる、とかはしょうがないから)。
ホコリ、滲んだオイル・・・・・汚い車両、とかそういった考えではない。
まず、自分でキレイな状態にする。そうすれば、日々の洗車で悪い所にも気が付ける。
ボルトの緩みにも目が行く。ホースの亀裂にも目が行くし部品の錆びやゆがみにも気が付く。
「機械」でしかない存在なのは解っている。だからこそ、「命を乗せる機械」だという事を理解して欲しいのだ。
整備スタンドをお隣さんが貸してくれた。
非常にありがたい。ありがとうございました。
しかし798円もしたチェーンクリーナが「もう終わっちゃった」って感じなのはどうゆう事だ。
クリーナを一本使わずにチェーン回りを良い状態にできる人間がいたら何とかお願いして方法を伝授して頂きたい。
・・・・・ブラシ、かなあ。
あとリアホイールも掃除。
距離計のケーブルは大丈夫だったが、スロットルワイヤにはうっすら錆があった。
インジェクタの出番・・・・・普通ホルダ側から油通しだよな。
あれ?でも、どっち側だっけ?どうやってもワイヤ(タイコ)が出てこない。
・・・・・結局FCRを外す。今度ネットで効率的なやりかたを探そう。
戻し側。ぷしゃー。なんか「黒胡麻ソフトクリーム」的なのが出てきた。
(もしかしてこの色、モリブデングリスか?)
続いて開け側。ぷしゃー。以下同文。
・・・・・と、天気が一転。空は曇り、風が吹いてきた。
雨になんじゃねえか?・・・・・。
組み戻し。どんどん天気が悪くなっている。
スカイツリーが見えない。そうか黄砂か。
スロットルワイヤの調整は残ったが・・・・・この砂で、今チェーンきれいにしたばっかで走るのはアレだ。
ブレーキキャリパの清掃とフロントホイールの清掃、あとワイヤ調整。
何だよこの天気。
いやがらせか。
夜、追記
「スプレーで汚れを飛ばし落とす」という考え方=揮発性の高いスプレー・・・・・に問題があるようだ。揮発性の遅いクリーナ・ブラシ・水(!!)の繰り返し・オイル、かあ。
ワイヤーは・・・・・すげえ。今はインジェクタ使わないで出来るのが在るのか。でもそれ買っちゃうとなあ、せっかく持ってるインジェクタがなあ・・・・・。
家に帰って、何気にブレーキペダルのリンクを分解してみた。
・・・・・ピロボールがかなりヤバイ感じ。
真鍮ブラシ、パーツクリーナ、グリス。
これでボールは360度、自由自在に動く。
ジャリジャリ感も無くなった。
「もしかしてこの車両って・・・・・」
で、ブレーキレバー。
よく「ピンが飛び出て大変な事になって」的な話は良く聞いてたんだけど・・・・・。
ほんとハラショーに粉が出てきた。
「やべえ・・・・・」
真鍮ブラシ、パーツクリーナ、グリス。
シフトリンケージのピロボール(以下同文)・・・・・クラッチレバー(以下同文)。
いや、これは遺憾。
次はチェーンだと思ったところでパーツクリーナ終了(まだチェーンには油脂が残ってはいるが)。
ナップスにいそいそと行く。
操作感の違いは歴然。両手両足のコントロールがとても滑らかで優しい・・・・・だから嬉しい。だからチェーンが気になる。
空気圧をチェックさせてもらって、今日は終わり。
あとはチェーンと、ホイール清掃だ。
あ、スロットルワイヤに油通しもしなきゃ(カタナの時は一ヶ月ごとにやってたんだけど)。
今日、僕がした点検・整備は、もっと定期的にやらなきゃならないんだよなあ。
動く所を滑らかにしただけでこんなに・・・・・。
点検・整備・・・・・反省。
ごめん、ルミナス。
あなたのように・・・・・、僕はなりたい。
でも僕は弱い人間なので、拷問で簡単に口を割ってしまいそうです。
「以徳報縁」
(縁に報いるに徳を以ってす)
これなら、多分できそうです。
ここから・・・・・、始めていきます。
・・・・・白い国で「緑色」のアリゲーターを捕獲。
上出来じゃん。
大丈夫、お前はまだいける。
・・・・・いつか・・・・・いや明日かも・・・・・、
揺れ動く心理のなかで、未来の僕よ・・・・・今日の、このメッセージを思い出して欲しい。
その時の想いは本物だよ。
意味の無い感情に振り回されている日。
何もかもが愛しくて涙を流す日。
すべてを客観視できる奇跡の日。
大丈夫、お前はまだ、いけるって。
数年前、母は「聴き返して」くる事が多くなった。
テレビの音も大きい。
僕は母に補聴器を勧めた。
「あんた、あたしを年寄り扱いする気!?」
母は怒った。僕はかなり怒られた。
「難聴」という事実に対する・・・・・本人と、外野の見解の相違は、多分永遠の隔たりを保ち、「僕自身の話」にならなければ、僕には本当に理解する事など叶わないだろう。
そう、これが現実で、真実なんだ。
あるとき、母にめまいと耳鳴りが訪れた。
ああ・・・・・、メニエールかっ?
診断、薬、養生。半月もすると症状は治まった。が、最後に少しだけ、また聴力が落ちた。
今、母は補聴器を使っている。勿論僕が斬ったシェルだ。
僕に言う。
「あんた、ちょっと電池買ってきてちょうだい」
「えっ、あれ、使ってんの?」
母は、あっけらかんと、僕に言う。
「あれが無いとあんた、町会の会合で話、聞こえやしないんだから、無きゃ大変なのよ」
そう、これも現実で、真実なんだ。
僕が「有り難きを為す」人間に値するかどうかは、他人が、そう思う事で成就する。
(僕は自分に価値を認めないから、そうゆう人間になりたいです)
今、僕は、単純にお礼を言われた事に素直に喜びます。
そして僕も母にお礼を言います。
僕はまた一歩、誰かの、自身の、真実に向かって、前に進めます。
お母さん、ありがとうと言ってくれて、ありがとう、と。
(ちなみに母はまだまだ元気です)