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【写真:国立公園の石碑】
4度目の旅では、オリブ山にある国立公園を案内させていただきました。そこの入り口には、12使徒だったオルソン・ハイドが、イスラエル集合のために奉献した石碑がありました。彼の残した記録を紹介します。
「(1841年)10月24日、日曜日の早朝、日の光がさし始めるしばらく前に起床し、開門と同時に町を出た。ケデロン川を横切り、オリブ山に登った。そこで、厳粛な静けさのうちに、永遠の主に(奉献の)祈りを捧げた」(教会歴史4:456)
このことは、もちろんガイド(名前が思い出せない)さんも知らないことでした。彼はただ、イスラエルの有名な公園ということで説明しておられましたので、池永さんが証拠となる文献を渡していたのを記憶しています。
4度目の旅では、オリブ山にある国立公園を案内させていただきました。そこの入り口には、12使徒だったオルソン・ハイドが、イスラエル集合のために奉献した石碑がありました。彼の残した記録を紹介します。
「(1841年)10月24日、日曜日の早朝、日の光がさし始めるしばらく前に起床し、開門と同時に町を出た。ケデロン川を横切り、オリブ山に登った。そこで、厳粛な静けさのうちに、永遠の主に(奉献の)祈りを捧げた」(教会歴史4:456)
このことは、もちろんガイド(名前が思い出せない)さんも知らないことでした。彼はただ、イスラエルの有名な公園ということで説明しておられましたので、池永さんが証拠となる文献を渡していたのを記憶しています。
記念の石碑の一部に基金を寄せた者の名前があるはずと探しましたが、当時反対者の破壊活動を恐れて隠された状態でした。(僅かな金額を寄付していたのです。)