「『お母さんの木』はあなたの作曲?」
と聞かれて
「何年か前に頼まれて楽譜にはしたけれど、私の曲じゃない。いろいろ聞いたけれど誰が作曲したのかわからへん。」
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このお話も以前、教科書に載っていたこともあり、学習発表会などでよく取り組まれました。
挿入曲として、人から人へ伝わってきたけれど、原曲を誰が書いたのかわからないのです。
しかも、写真上の曲は詞も曲調もギターにでも合わせて歌えるような親しみやすいメロディー。
写真下の曲は、わりあいかっちりした合唱曲的な感じ。
どう考えても違う人の作曲です。
いろいろな方が曲にされているのだと思います。出版されているものもあったような???
シナリオもいろいろあるみたいで。
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それで何が問題だったのか話を聞くと
何かの研究発表か、この音楽劇をしようとしたところ
「作曲者もわからないような曲はダメ!」
と上から言われて作曲者を知りたいと言うことだったのです。
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作曲者がわからなくて伝わってきた名曲はいっぱいあるわけだし・・・。
作曲者がわかっていてもしょうもない??曲も山とあるわけで・・。
「作曲者未詳」とか「挿入曲」できりぬければいいのに。
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考えるに
戦争教材、しかも、もし使っている教科書にない?ものであれば、よけいにクレームをつけたがる管理職も少なからずおられるようで、
「それを理由にさせたくなかったんじゃない?」
でも、この前、5年生にあう文化の集いの作品を探しに来た近くの先生は、
「前、『お母さんの木』をやったとき、ピアノを弾けるお母さん方も伴奏とか全面協力してくれて感動的だった。校長もこういう思いを伝えるのはとても大事、よかったと言ってくれた。」
とのこと。
子どもたちの成長を願うのは同じなんだけれど、現場はいつもいろいろな考えが混在しています。
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ところで、どなたか作曲者知っておられませんか?
そして、貴重な情報ありがとうございます。
昭和55年というと、私が教師になって間もない頃の作品なのですね。
まだワープロもパソコンもなく、すべて手書き。いや和文タイプなるモノはあったかな?
印刷術もいろいろ進化しはじめた頃でしょうか。
その頃から、人から人へと伝わって演奏され続けているのですね。すごい。
この楽譜と録音を依頼された先生は上の写真の曲2曲と下の写真の組曲の中から終曲を組み合わせて実践されていました。
作曲された先生もきっと驚きかも・・・いろいろな形で歌い継がれているのだなあと思います。
ところで,劇中の曲の作曲者についてとりあげられていましたが,もしかしたら私の小学校での恩師(我那覇英一先生)の作品なのではと思いました。残念ながら数年前に小学校校長をなさっていた頃にご病気で他界なされましたが,音楽専科時代にたくさんのオペレッタ作品を発表しているのです。今回もこの先生の作品をもとに方言も加えながら演じる予定です。
「おかあさんの木」以外にも「杜子春」「走れメロス」「安寿と厨子王」「ピノキオ」「きつねの窓」などたくさんの作品を残しています。
先生の作品がこのように全国を駆け回っていることをうれしく思いました。ありがとうございました。
沖縄からのお便り、そして貴重な情報ありがとうございます。
我那覇英一先生の作品は写真の上の方か下の方か、もしわかれば教えていただけないでしょうか?
私のまわりでもこの作品は今もとりくんでいる先生もいらっしゃってもう一度きちんと楽譜に打ち込もうかと思っています。
はっきりわかれば作曲者のお名前も入れることができるなあと思いまして。
それにしてもネットの威力と不思議さをこの頃つくづくと感じています。
本当にありがとうございます。