
Roald Dahl The wishをふくむ Ten short stories
願い by Roald Dahl
子供は手のひらでひざ小僧の傷のかさぶたをさわってみた。かがみこんでもっとよく調べてみた。かさぶたって面白い。はがしてみようって誘惑に打ち勝てたためしがない。うん、はがそう。まだ傷が治ってなくても、まだ真ん中のところはくっついてても、まだ痛くても、かまうもんか。つめで、注意深くかさぶたの周りをさぐって、かさぶたの下につめを入れ、すこしもちあげると、ほんの少しだったんだけど、かさぶたははがれた。パリッとしている、赤茶けたかさぶたがきれいにとれて、あとには真っ赤な傷跡が小さな円になっているだけ。
すごい、これはすごいや。小さな円をこすってもぜんぜん痛くなかった。かさぶたを拾い上げて、腿の上におき、指ではじきとばすと、かさぶたはカーペットの端のところまでとんでいった。とても大きな赤と黒と黄色のカーペットで、今座っている階段から、遠くの玄関までホール全体に敷き詰められていた。とても大きなカーペットで、テニスコートよりも大きいくらいだ。ずっと大きいや。すっかり満喫した面持ちでカーペットに目をむけ、いかめしく見下ろしてみた。以前はそんなふうに思ったことはなかったが、今になって急に、その色が神秘的にかがやきはじめ、くらくらさせるように迫ってきた。
わかるかい? 僕にはどういうことかわかってる、とひとりごとを言ってみた。カーペットの赤い部分は、燃えたぎる石炭のかたまりなんだ。やらなきゃいけないのは、玄関まで赤い部分にぜったいふれないようにして、歩いていかなきゃならないってことだ。もし赤い部分にさわったら、燃え尽きちゃう。本当にあとかたもなく、燃え尽きちゃうんだ。それで、カーペットの黒の部分は、うん、そう、黒の部分は蛇だ、毒蛇。たいがいはマムシだけど、コブラもいるし、胴回りは木の幹みたいに太いんだ。僕が少しでもさわったら、噛まれちゃうし、お茶の時間までは生きてない。燃え尽きたり、噛まれたりせずに無事にわたりきれれば、明日の誕生日には子犬がもらえる。
さっと立ち上がると、階段を上にのぼり、この大きなさまざまな色の織物、いや死の織物をよくみてみた。できるかな? 黄色の部分は大丈夫か? 黄色の部分しか歩けないわけだし。できるかな? 気軽にできる旅じゃないぞ。危険がいっぱいだ。抜けるような金髪の前髪と二つの大きな青い目、そしてちいさなとがったあごの顔で、心配そうに手すり越しに見下ろしている。黄色は場所によってはずいぶん狭くなってるし、一箇所や二箇所は大きく途切れてる部分があるけど、向こう側までなんとかいけそうだ。昨日、馬小屋からサマーハウスまでレンガ道を割れ目に触れずに全部いけたんだから、こんなカーペットなんてお茶の子さいさいだよ。でも蛇だけはダメだ。蛇のことをちょっと考えただけで、腿の裏側や足裏をピンでなでたように恐怖でぶるぶるってなる。
ゆっくり階段をおりて、カーペットの端に歩み寄った。小さなサンダル履きの足を一歩ふみだして、恐る恐る黄色の部分においた。そしてもう一本の足をもちあげた、その場所には二本の足で立つのに十分な余地があった。きちゃった、もう一歩をふみだしたんだ。その輝くような卵型の顔は不思議なほどに集中し、前より少し青白くなっていたようだ。両手をひろげてバランスをとりながら、もう一歩をふみだした。黒の部分をのりこえた、大きな一歩で。向こう側の黄色の狭い場所へとつま先を注意深く向けた。二歩目を終えると、ほっと安堵のため息をついた。体はピンと背筋をのばし立ったままだ。黄色の細い流れは、少なくとも5ヤードは途切れずに続いている。そろりそろりと、まるでつなわたりをするかのように慎重に歩をすすめた。とうとう流れは渦巻きになり、脇へとそれていってしまった。大きく歩幅をとって、今度は黒と赤がまざりあってる上を乗り越えなくてはならない。わたろうとするところで、よろめいてしまった。両腕をぐるぐる風車みたいにめったやたらにまわし、なんとかバランスをとって、向こう側に安全にわたりきって一息つくことができた。息もころして、緊張のあまりずっと爪先立ちをしていた。両手はバランスをとるために拡げ、こぶしはかたく握り締めていた。今は大きな黄色の安全な島にいた。ここには十分な余裕があり、落ちる心配はまったくない。そこで立って休み、おじけづく気持ちをかかえながら、しばらくそこにいて、ずっとこの大きな黄色の島にいれたらいいのにと願っていた。ただ、それじゃあ子犬を手に入れられないぞと自分をふるいたたせ、足を先に進めた。
一歩、一歩じわじわと進んでいき、一歩ごとに次はどこに足を下ろすか慎重に決めるのだった。一度、右か左かの道を選ばなければならないところで、左を選んだ。っていうのも、左のほうが難しそうだったけど、右よりは黒が少ないように思われたからだ。黒にはすっかり気分がめいってしまう。肩ごしにどれくらいまで来たかをちらっとふりかえって確認した。ほぼ真ん中ぐらいまできていて、引き返すこともできなかった。真ん中まできてるし、引き返すことも、脇へとジャンプすることもできない。脇へジャンプするにはあまりに遠すぎる。目の前に延々とひろがる黒と赤をみていると、その小さな胸はこみあげるような切迫感でいっぱいになった。これは前にも感じたことがある、そう、イースターのときだ。パイパーの森の真っ暗なところで一人っきりの迷子になったときの気持ちだ。
もう一歩、注意深くとどくところの小さな黄色にむかってふみだした。今回は足のつま先が一センチ、黒のところに入ってしまった。いいや、黒にはさわってない。よーくみて、黒には触ってないことを確認した。黄色の細い線が、サンダルのつま先と黒のあいだにちゃんとある。でも蛇はまるで近くに来たのが分かったように、もぞもぞ動き出し、鎌首をもちあげ、ぎらぎら光る冷たい目で足を凝視した。まるでさわっていないかを、監視するかのようだった。
「触ってないぞ、噛んじゃだめだよ。触ってないったら」
他の蛇が音もなく、最初の蛇のよこにすべってきて、鎌首をもちあげた。二つの頭と四つの目が足をにらんで、サンダルの肌がむきだしになっている小さなところを狙っていた。恐怖のあまり凍り付いてしまい、つまさきだちしてそこに立ちすくんでいた。ふたたび動き出すまでには数分はゆうにかかった。
次の一歩はとても大きな一歩になりそうだった。黒のうずまく深い流れがカーペットをよこぎっていて、ここからだと一番広いところを渡らなければならなかった。飛び越えてみようかな、でも向こう側の細い黄色のところにちゃんと着地するのは無理そうだ。大きく深呼吸をして、片足を大きく上げ、ゆっくり前へ前へとだして、ゆっくりゆっくりおろして、とうとうサンダルの先が向こう側の黄色の端にたどりついた。それから前のほうに体をかたむけ、前足に体重をかけようとした。そして後ろの足をおなじようにもちあげようとした。力をいれて、体をひねってもちあげようとしたが、両足をおもいっきり開ききっていたので、無理だった。もとにもどろうとしたが、それもだめだった。先に進むことも戻ることもできない。ふたつに引き裂かれ、万事休すといった具合だった。下を見れば、深く黒い流れが目に飛び込んできた。その一部がうごめき、とぐろをといて動き出し、あのぬるぬるした恐ろしいぎらつきをみせはじめた。よろめいて、両腕を気もくるわんばかりにぐるぐるすごい勢いでまわしたが、事態は余計に悪化した。ゆっくりと傾きはじめ、右に傾き、ゆっくりとそれから速度をまして傾いていった。最後には倒れるのをふせぐあまり、本能的に手がでてしまった。次に目に入ったのは、右手がぎらぎらする黒の真ん中へと吸い込まれていく姿だった。黒に触れたとき、小さな恐怖の叫び声が口から漏れた。
屋外の日の降りそそぐなか、家のずっと裏手の方で、お母さんは息子を探していた。
日本語訳の方もご紹介しておきます。願い by Roald Dahl
子供は手のひらでひざ小僧の傷のかさぶたをさわってみた。かがみこんでもっとよく調べてみた。かさぶたって面白い。はがしてみようって誘惑に打ち勝てたためしがない。うん、はがそう。まだ傷が治ってなくても、まだ真ん中のところはくっついてても、まだ痛くても、かまうもんか。つめで、注意深くかさぶたの周りをさぐって、かさぶたの下につめを入れ、すこしもちあげると、ほんの少しだったんだけど、かさぶたははがれた。パリッとしている、赤茶けたかさぶたがきれいにとれて、あとには真っ赤な傷跡が小さな円になっているだけ。
すごい、これはすごいや。小さな円をこすってもぜんぜん痛くなかった。かさぶたを拾い上げて、腿の上におき、指ではじきとばすと、かさぶたはカーペットの端のところまでとんでいった。とても大きな赤と黒と黄色のカーペットで、今座っている階段から、遠くの玄関までホール全体に敷き詰められていた。とても大きなカーペットで、テニスコートよりも大きいくらいだ。ずっと大きいや。すっかり満喫した面持ちでカーペットに目をむけ、いかめしく見下ろしてみた。以前はそんなふうに思ったことはなかったが、今になって急に、その色が神秘的にかがやきはじめ、くらくらさせるように迫ってきた。
わかるかい? 僕にはどういうことかわかってる、とひとりごとを言ってみた。カーペットの赤い部分は、燃えたぎる石炭のかたまりなんだ。やらなきゃいけないのは、玄関まで赤い部分にぜったいふれないようにして、歩いていかなきゃならないってことだ。もし赤い部分にさわったら、燃え尽きちゃう。本当にあとかたもなく、燃え尽きちゃうんだ。それで、カーペットの黒の部分は、うん、そう、黒の部分は蛇だ、毒蛇。たいがいはマムシだけど、コブラもいるし、胴回りは木の幹みたいに太いんだ。僕が少しでもさわったら、噛まれちゃうし、お茶の時間までは生きてない。燃え尽きたり、噛まれたりせずに無事にわたりきれれば、明日の誕生日には子犬がもらえる。
さっと立ち上がると、階段を上にのぼり、この大きなさまざまな色の織物、いや死の織物をよくみてみた。できるかな? 黄色の部分は大丈夫か? 黄色の部分しか歩けないわけだし。できるかな? 気軽にできる旅じゃないぞ。危険がいっぱいだ。抜けるような金髪の前髪と二つの大きな青い目、そしてちいさなとがったあごの顔で、心配そうに手すり越しに見下ろしている。黄色は場所によってはずいぶん狭くなってるし、一箇所や二箇所は大きく途切れてる部分があるけど、向こう側までなんとかいけそうだ。昨日、馬小屋からサマーハウスまでレンガ道を割れ目に触れずに全部いけたんだから、こんなカーペットなんてお茶の子さいさいだよ。でも蛇だけはダメだ。蛇のことをちょっと考えただけで、腿の裏側や足裏をピンでなでたように恐怖でぶるぶるってなる。
ゆっくり階段をおりて、カーペットの端に歩み寄った。小さなサンダル履きの足を一歩ふみだして、恐る恐る黄色の部分においた。そしてもう一本の足をもちあげた、その場所には二本の足で立つのに十分な余地があった。きちゃった、もう一歩をふみだしたんだ。その輝くような卵型の顔は不思議なほどに集中し、前より少し青白くなっていたようだ。両手をひろげてバランスをとりながら、もう一歩をふみだした。黒の部分をのりこえた、大きな一歩で。向こう側の黄色の狭い場所へとつま先を注意深く向けた。二歩目を終えると、ほっと安堵のため息をついた。体はピンと背筋をのばし立ったままだ。黄色の細い流れは、少なくとも5ヤードは途切れずに続いている。そろりそろりと、まるでつなわたりをするかのように慎重に歩をすすめた。とうとう流れは渦巻きになり、脇へとそれていってしまった。大きく歩幅をとって、今度は黒と赤がまざりあってる上を乗り越えなくてはならない。わたろうとするところで、よろめいてしまった。両腕をぐるぐる風車みたいにめったやたらにまわし、なんとかバランスをとって、向こう側に安全にわたりきって一息つくことができた。息もころして、緊張のあまりずっと爪先立ちをしていた。両手はバランスをとるために拡げ、こぶしはかたく握り締めていた。今は大きな黄色の安全な島にいた。ここには十分な余裕があり、落ちる心配はまったくない。そこで立って休み、おじけづく気持ちをかかえながら、しばらくそこにいて、ずっとこの大きな黄色の島にいれたらいいのにと願っていた。ただ、それじゃあ子犬を手に入れられないぞと自分をふるいたたせ、足を先に進めた。
一歩、一歩じわじわと進んでいき、一歩ごとに次はどこに足を下ろすか慎重に決めるのだった。一度、右か左かの道を選ばなければならないところで、左を選んだ。っていうのも、左のほうが難しそうだったけど、右よりは黒が少ないように思われたからだ。黒にはすっかり気分がめいってしまう。肩ごしにどれくらいまで来たかをちらっとふりかえって確認した。ほぼ真ん中ぐらいまできていて、引き返すこともできなかった。真ん中まできてるし、引き返すことも、脇へとジャンプすることもできない。脇へジャンプするにはあまりに遠すぎる。目の前に延々とひろがる黒と赤をみていると、その小さな胸はこみあげるような切迫感でいっぱいになった。これは前にも感じたことがある、そう、イースターのときだ。パイパーの森の真っ暗なところで一人っきりの迷子になったときの気持ちだ。
もう一歩、注意深くとどくところの小さな黄色にむかってふみだした。今回は足のつま先が一センチ、黒のところに入ってしまった。いいや、黒にはさわってない。よーくみて、黒には触ってないことを確認した。黄色の細い線が、サンダルのつま先と黒のあいだにちゃんとある。でも蛇はまるで近くに来たのが分かったように、もぞもぞ動き出し、鎌首をもちあげ、ぎらぎら光る冷たい目で足を凝視した。まるでさわっていないかを、監視するかのようだった。
「触ってないぞ、噛んじゃだめだよ。触ってないったら」
他の蛇が音もなく、最初の蛇のよこにすべってきて、鎌首をもちあげた。二つの頭と四つの目が足をにらんで、サンダルの肌がむきだしになっている小さなところを狙っていた。恐怖のあまり凍り付いてしまい、つまさきだちしてそこに立ちすくんでいた。ふたたび動き出すまでには数分はゆうにかかった。
次の一歩はとても大きな一歩になりそうだった。黒のうずまく深い流れがカーペットをよこぎっていて、ここからだと一番広いところを渡らなければならなかった。飛び越えてみようかな、でも向こう側の細い黄色のところにちゃんと着地するのは無理そうだ。大きく深呼吸をして、片足を大きく上げ、ゆっくり前へ前へとだして、ゆっくりゆっくりおろして、とうとうサンダルの先が向こう側の黄色の端にたどりついた。それから前のほうに体をかたむけ、前足に体重をかけようとした。そして後ろの足をおなじようにもちあげようとした。力をいれて、体をひねってもちあげようとしたが、両足をおもいっきり開ききっていたので、無理だった。もとにもどろうとしたが、それもだめだった。先に進むことも戻ることもできない。ふたつに引き裂かれ、万事休すといった具合だった。下を見れば、深く黒い流れが目に飛び込んできた。その一部がうごめき、とぐろをといて動き出し、あのぬるぬるした恐ろしいぎらつきをみせはじめた。よろめいて、両腕を気もくるわんばかりにぐるぐるすごい勢いでまわしたが、事態は余計に悪化した。ゆっくりと傾きはじめ、右に傾き、ゆっくりとそれから速度をまして傾いていった。最後には倒れるのをふせぐあまり、本能的に手がでてしまった。次に目に入ったのは、右手がぎらぎらする黒の真ん中へと吸い込まれていく姿だった。黒に触れたとき、小さな恐怖の叫び声が口から漏れた。
屋外の日の降りそそぐなか、家のずっと裏手の方で、お母さんは息子を探していた。
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