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ジョン・メイナード・ケインズの凱旋帰還 by Joseph E. Stiglitz 2008.12

2009年01月03日 06時43分00秒 | その他翻訳

ジョン・メイナード・ケインズの凱旋帰還 by Joseph E. Stiglitz 2008.12
 
さて今やわれわれみなが、ケインジアンになったようだ。アメリカの右翼でさえ、押さえが利かないほどの興奮具合でケインズ陣営に加わり、その規模はかつてはまったく想像すらできなかったほどだ。

われわれのようにケインズとなんらかのつながりがあるものにとっては、75年以上ものほとんど見捨てられ、誰もよりつかなかった時代を経た勝利のときといっていい。

経済理論は、自由市場には自己訂正機能がなぜないのか、なぜ規制が必要なのか、経済において政府に重要な役割があるのはなぜなのかを説明してきた。ただ多くの、とくに金融業界で働くものたちは、「マーケット至上主義」をかかげるのが常だった。その結果の誤った政策、とくにアメリカ大統領になったバラク・オバマの経済チームの政策は、発展途上国に巨大なコスト負担を強いてきた。そういったことに気づくのは、アメリカや他の工業先進国にも巨大な負担がかかり始めたときといえる。

ケインズは市場には自己訂正機能がないといっただけでなく、深刻な不況においては、金融政策は機能しなくなるとも言っている。財政政策が必要となる。ただすべての財政政策が有効なわけではない。今日のアメリカでは、家計の過剰な負債と不確実性の増大で、減税は効果がなくなっている(日本の1990年代とそっくりだ)。この前の二月のアメリカの減税のすべてではないがほとんどは、貯蓄にまわってしまっている。

ブッシュ政権の残した巨大な債務で、アメリカは一ドルからなるべく多くの刺激を生み出すようにしなければならなくなっている。テクノロジーやインフラ、とくに地球温暖化関係への過少投資、貧富の格差の拡大は、短期支出と長期ビジョンの融合を求めている。

これは、必然的に税収と支出の両面での再構築を促すものとなる。貧しいものへの減税と失業給付の増加は、富めるものへの増税とあいまって経済に刺激をあたえ、赤字を削減し、不平等を解消の方向へと向かわせる。イラク戦争での支出の削減と教育への支出の増加は、あいまって短期でも長期でも生産を増加させ、赤字を削減する。

ケインズは流動性のわなについても心配していた。金融当局が、経済活動のレベルをあげようと信用の供給を増加させる力をうしなってしまうことだ。FRB議長のベン・バーナンキは、大恐慌のときに責められたように(資金供給の収縮と銀行破たんが連鎖した有名な例だ)、この不況をますますひどいものにしたとの非難を連邦銀行がうけるのをさけようとしてきた。

でも歴史と理論を注意深く読まなければならない。金融機関を保護するのはそれ自体が目的ではなく、目的のための手段にすぎない。重要なのは信用が流通することで、大恐慌における銀行の破綻が重要だった理由は、銀行が信用価値創造の一部分だったからだ。銀行が、信用供給をつつがなく行うのに必要な情報を蓄積している場所だったのだ。

ただアメリカの金融システムは1930年代から大きく変化してきた。アメリカの大銀行の多くは、「貸し出し」ビジネスをやめて、「お金を動かすビジネス」へと移行した。資産を売って、パッケージしなおし、売りさばいた。その一方で、リスクを見積もったり、信用創造を審査することはまったくできていなかった。何千億ドルがこんな不完全な金融機関を保護するのに使われてきた。こうしたまちがったインセンティブの仕組みを解決するためにはなにもされてこなかった。こうした仕組みのせいで、短期的な行動や過度のリスクをとる行動が行われたのだ。社会の受け取る成果と比べて、個人が受け取る報酬が桁外れとなり、自己利益の追求(貪欲さ)が社会を崩壊させる結果へと結びついたことはなんら驚くべきことではない。そういった銀行の株主の受け取る利益でさえ、それほどのものではなかった。

そのあいだ、銀行がやるべきことをするようには、なにもされなかった。つまりお金を貸して、信用を見積もるということをだ。

連邦政府は、何兆ドルもの負債とリスクを背負っている。金融システムを助けるために、財政政策だけではなく、「支出に見合う価値」を考えなければならない。さもなければ、赤字は8年で二倍になっているが、さらに大幅に増加してしまうだろう。

9月には、政府に利子つきでそのお金がもどってくるなんて話もあった。救済措置が行われるたびに、これは単なる金融市場のリスク評価の失敗の別の例ではないことが、ますます明らかになってきている。そういったことはここ何年もずっとしてきたことだからだ。バーナンキとポールソンの救済のとりきめは納税者への裏切りで、その規模にもかかわらず、貸し出しを増加させるのはほとんどまったく役に立っていない。

ネオリベラルが規制を自由化したことも、いくぶん効いている。金融市場は資本市場の自由化をつうじて拡大してきた。アメリカが世界中でリスクのある金融商品をうりさばき、投機にかかりきりなれるようにしたことは、企業が潤うのには役に立っただろう。もちろんその巨大なコストは他に押し付けてということだが。

今日、新しいケインズ主義が適用され、同じように乱用されるリスクがある。10年前に規制緩和を進めていたものたちは教訓から学んでいるだろうか? それとも小手先の改革を単にすすめていただけだろうか? 何百兆ドルの救済を正当化するためには最低限のことは求められる。心はちゃんと入れ替わったのだろうか? それとも単なる戦略の変更があっただけなのか? 結局、今日の状況では、ケインズ政策の推進のほうが市場原理主義の推進よりはよいようだ。

10年前、アジア金融危機の時には、世界金融の仕組みを改革しなければならないといった議論がもりあがっていた。ただ何も行われなかった。今起こっている危機に対して十分な対応をするだけではなく、長期的にみて、より安定的で、成功へつながり、公平な世界経済をもたらすのに必要な改革をおこなう責務がわれわれにはある。



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