飲んだくれのたわごと

ユーリ・マロエフの「たわごと」を色々と・・・

携帯忘れた・・・・・

2006年10月24日 12時26分35秒 | いろいろ
まあ、携帯の不携帯はよくあることですからね。
一日くらい携帯が無くても生きていけますので(笑)。

昨日の飲み会はなんか寒くて焼酎のお湯割ばかり飲んでいた。
二次会には行かなかった。
おかげでそんなに酔わなかった。
アパートに帰ったのは9時頃。
直ぐに風呂に入って10時半頃には寝た。
ですので今日はなんともなく普通に出勤しました。



中越地震から2年が過ぎた。
あの日は確か土曜日。
あの時間、私は横浜で寝ながらJリーグ中継を見ていた。
ゲーム終了ぐらいのときに激しい揺れを感じた。
「また関東のどこかで地震があったな」と思っていた。
しかし、テレビの地震速報には「中越地方で地震がありました」と書いてあった。
「中越地方?」・・・・横浜であれだけの揺れだと震源地の中越は大丈夫なのか、新潟市内の実家は大丈夫なのか。
地震速報には震度5とか6とか書いてある。
急いで実家に電話をかけたが繋がらない。妹の携帯にも繋がらない。
サポ仲間にもメールするが返信はこない。
3時間後くらいにやっと母と連絡がつき、幸いに実家、親族には何も被害が無かった。一安心した。
ニュース映像で中越地方の惨状が映し出された。
何もかもが崩れ落ちていた。
新幹線も脱線している。
涙が出てきた。
あんまりよく眠れなかった。
翌日の日曜には磐田VSアルビがある。
新潟が酷い状況なのに行くべきかどうか悩んだ。
でも新潟には応援に行きたくてもいけない人が沢山いる、そう思い直して磐田に向かった。
道中でサポ仲間から連絡があった。みんな無事だった。
サポ仲間からも「私達は行けないからアルビを頼む」と言われた。
それまで4連勝と絶好調だったアルビは精神的な動揺もあったのだろう、ボロボロだった。
必死に応援した。
オゼアスがゴールを決めてくれた。
オゼアスはゴールを決めても喜ばず、直ぐにボールを持ってセンターサークルに向かって駆け出していた。
1-3で負けてしまったけどアルビは最後まで諦めずに闘った。
あれから2年。
新幹線で新潟に向かうときに長岡付近で仮設住宅が見える。
復興はまだまだ遠い道のりだ。
「がんばろう新潟」。
コメント (2)
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