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あなたのさとしの道をどんな宝よりも

2024-04-26 22:05:05 | 日記

今日の現場は片付けのみで、明日からは連休に入ります。私はクレーン2台を整備しましたが、そのうちの一台のクローラークレーンの隙間に、キセキレイの巣があるのを発見しました。場所はクレーンの下部フレーム本体と左側のキャタピラーをドッキングさせて固定するためのシリンダーと、そのシリンダーのカバーの隙間に。最近仕事中に、お腹の黄色い鳥が目の前をチュンチュンと鳴きながら行ったり来たりしていたのはそのためでした。卵は6個ありました。ツバメの巣と同じで、案外そのような人目につくところが外敵からは襲われにくいのかもしれませんね。でも、日中は頻繁に動くので果たして無事に育ってくれるのか心配です。皮の手袋の下の5センチくらいの隙間にです。

帰省してからは、友達と最近よく行くもつ鍋へ。また今日は、“私の宝物であるヘルメットに貼り付ける本名のシール”を頂いてから三年目になります。

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今日からの聖書通読箇所は、幾日か詩編が続きます。

今日の箇所は、まず世界に住むすべての人に向かって「これを聞け。…耳を傾けよ。」との呼びかけから始まっています。その内容は、人にどんなにお金があっても、栄華を極めても、悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい、人間一人を贖(あがな)い出すことは出来ない、とのことです。

今日の詩編には、原語でゴーエルと言うそうですが、贖いという聖書のなかの大切な概念が出てきます。

贖いとは代価を支払って買い戻すことだそうで、神様は旧約聖書の「ルツ記」(ミレーの「落ち穂拾い」の絵画は「ルツ記」に基づいておられるそうです)を通しても、その概念をとてもよく私たちに教えてくださっておられます。

また聖書は、罪が人類に入って、神様との関係が失われた状態にある私たちを、イエス・キリストを通して贖い出してくださることを示しておられます。

★"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。"
ローマ人への手紙 3章 23〜24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

また今日の悟ることがなければ(20節)、という箇所から、本日の箇所から離れてしまいますが、詩編の119編が思い出されました。そこには悟りや、さとしなどの表現が繰り返し述べられています。そのなかでも今日の宝物のに関連して、詩編119編14節のみことが心に留まりました。

★私はあなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます。詩篇 119篇 14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

「あなたのさとし」、詩編119編の冒頭からも示している詩編のテーマ、これこそ私の一番の宝物とされているかを問われた思いがしました。

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"すべて国々の民よこれを聞け。すべて世に住む者よ耳を傾けよ。低い者も高い者も富む者も貧しい者もともどもに。私の口は知恵を語り私の心は英知を告げる。私はたとえ話に耳を傾け竪琴に合わせて謎を解き明かそう。なぜ私はわざわいの日々に恐れなければならないのか。私のかかとを狙う者の悪意が私を取り囲むときに。彼らは自分の財産に拠り頼み豊かな富を誇っている。兄弟さえも人は贖い出すことができない。自分の身代金を神に払うことはできない。たましいの贖いの代価は高く永久にあきらめなくてはならない。人はいつまでも生きられるだろうか。墓を見ないでいられるだろうか。彼は見る。知恵のある者たちが死に愚かな者浅はかな者も等しく滅び自分の財産を他人に残すのを。彼らの心の中ではその家は永遠で住まいは代々に及ぶ。彼らは土地に自分たちの名をつける。しかし人は栄華のうちにとどまれない。人は滅び失せる獣に等しい。これが愚か者の道。彼らに従う者もその口のことばを喜ぶ。セラ彼らは羊のようによみに定められ死が彼らの羊飼いとなる。朝には直ぐな者たちが彼らを支配する。彼らの形はなくなりよみがその住む所となる。しかし神は私のたましいを贖い出しよみの手から私を奪い返してくださる。セラ恐れるな。人が富を得てもその人の家の栄誉が増し加わっても。人は死ぬとき何一つ持って行くことはできずその栄誉もその人を追って下ることはない。たとえ人が自分自身を生きている間に祝福できてもあなたには物事がうまく行っていると人々があなたをほめたたえても。そのたましいは代々の先祖のところに行く。そこでは永久に光を見ることはない。人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。(詩篇 49篇 1〜20節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会