ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

威風堂々と

2024-04-09 19:38:29 | 日記

先週末から昨日までの現場での出来事です。

今の仕事は、道の無い谷底などに工事用の道路を作っております。鋼材で仮の桟橋を架けていく一連の工事で、まず柱を建てる為に、穴の径は65センチほどで、平均10メートル以上の穴を掘り下げていきます。

先週末の金曜日、その機材の部品の先端が、深さ6メートルの辺りで破損して折れてしまいました…。

通常なら先端を取り出すためには、工法やクレーンの部品や仕込みを変えたりして、本来の作業が一週間から二週間止まってしうことも考えられます。

幸いにも前回の現場でも似たようなことが起こり、一人の人のアイディアで2日後には回収することが出来ました。

その時の経験とアイディアを生かして週末はその内容を伝えて準備をし、月曜日に作業に取りかかりました。

週末の休み間は、果たして来週は上手く行くのかな、と時々その事が頭をよぎりました。

月曜日の朝、現場はいつもとは違う「非定常作業」ということで、元請けの職員さんが作業前のリスクアセスメントの活動にも参加されました。

そして、元請け職員の一人一人が順番に注意喚起をし、最後に現場の所長さんが話をされました。

そして所長さんは最後このように言われました。「最後はクレーンのキムさんの腕にかかっています」と。

確かに仰るとおり、最後は私の操作や判断が鍵となってくることは間違いないと思います。

しかし、予想していなかった言葉だったので、所長さんには何も即答出来ず、私は隣に立っていた職長さんの顔を見つめ、二人ともただ無言で顔を見合わせて終わってしまいました。所長さんが最後に締めの言葉を仰って話し合いは終わりました…。

そして作業の結果は、金曜日の段取りや仕込みの全てが功を奏し、月曜日に一発で無事に回収することが出来ました。

前回もそうでしたが、今回もみんなでテンションが上がりました😊

(現場内のはっきり写ってる写真は避け、ぼんやり写真とこのくらいで💦)

後になって思ったのは、所長さんからお言葉を頂いた時、頼りない応対でなく、もっと威勢の良い返事をしておけば良かったな、と少し後悔しました。

どうしてその時に、「はい、任せてください!」くらいのことが言えなかったのは、やはり、それぐらいの意気込みだった、と言われても仕方がありません。

今回のことは、作業も含め一つの経験と教訓になりました。

話しは変わって、今月に入ってからの聖書は「出エジプト記」を読み進めています。

本日の7章での印象は、モーセの“威風堂々”とした姿でした。御年80才にしてです。

しかし、神様から声をかけられた最初 のモーセと言えば、逃げ腰だったり、弱音を吐いたり、他の人を遣わしてください、などと応えていました。

それも分かります。かつて40才頃の血気盛んな時のモーセは、自分こそが、イスラエルの民をエジプトから救いだすのだ、と思い行動に移していきました。

ところが、モーセは結果同胞からも、エジプト人からも受け入れられずに、外国ミディアンの地に逃れ、そこで受け入れられ、その地で暮らす決心をして家庭を持ち、羊飼いとして過ごしました。

もう、人としては新たなことに取り組むのは難しい年の80才になって、ホレブ山で神様と出会って召命を頂きました。

★今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」

モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」

神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」(出エジプト記 3章 10〜12節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

もう過去の挫折と、年老いたモーセは過去のようではありませんでした。

しかし、本日の7章までの神様とモーセのやり取りから、人を選ぶのも、長い年月を経てしても人をふさわしく整え、訓練し用いられるのも神様の主権によるものだと教えられます。

モーセの、あまりにもしり込みする態度に怒りを燃やしても(出エジプト13:14,15)なお、さらに助けを与え用いられる神様の一方的な選びを覚えます。

今日のモーセの姿を見るときに、モーセも“自分が成すべき仕事”を自覚し覚悟を決めたような感じさえします。

前の章では、神様の言うことに従ったのに、事態はさらに悪化してしまったけれど、しかしモーセは神様ときちんと向き合い、神様に訴えました。

それに対して神様もモーセに向き合って、御自身のご計画を真っ直ぐに語られました。

モーセはもう、エジプトの王様ファラオ対しても、「主はこう言われます」とはっきり宣言したことでしょう。(出エジプト7:20)

そして、これから齢80才のモーセは、ただ神様の命令に従ってエジプトの王ファラオと対峙していき、イスラエルの200万人以上の民をエジプトから連れ出し、その民を約40年間羊飼いのように導いていくのです。

★しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。(コリント人への手紙第一 1章 27〜29節) 

このモーセの生涯を思うときに、一つの歌が思い浮かびました。

하니님 은혜 (神の恵み)

普段は韓国語で聞きますが、日本語では、大和カルバリーチャペルさんがアップしてくださっているものがありましたので、リンクをのせておきます。上手く移行してくれるのか分かりませんが…。

https://youtu.be/A70ai3MH1Fc?si=LvvWFHbp4E1Q4Nvo

神様は、自分の力で事を行おうとする者ではなく、どこまでも神様に頼り信頼する者を用いられます。

私も、仕事でも主の宣教の業でも何であっても、神様に祈り、訴え、従う者とされていきたいと思います。

最近は毎日ブログを更新することは難しいですが、週一回でも更新出来たら、と思います。

そして何よりも、日々聖書から神様の御声に耳を傾けて教えられる者であり、遣わされる者でありたいと思います。

自らの弱さを自覚しつつも、選んで遣わされる神様の御手を信じて「威風堂々」たる歩みへと。

★信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。(ヘブル人への手紙 11章 27節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

米子市の桜も夜桜も、今週が見納めかもしれませんね。