ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

日吉津村でのお花見にて

2024-04-06 15:33:06 | 日記

今日は、ホテルから15分ほどの所へお花見に行きました。

午前中はゴロゴロしていましたが、せっかくの天気! 調べると近くの「とっとり花回廊」は日本最大級とのこと。

しかし見ごたえはあるかもしれないけれど、入場料を払って男一人はなんだか寂しいかな…と。

そういえば近くの「日吉津村」(ひえづそん)という所に、大山を背景にしたチューリップ畑があるのを思い出したので、そちらへ行くことにしました🚙

到着して、当然畑には入らずに写真を撮っていると、畑作業をしていたおじさんが近寄って来られ、「どうぞ中に入って撮ってください」と。

「ありがとうございます😊」と近づいたら、「明日マラソン大会もあるので是非参加してください」と。

聞くところによると1.3km,3km,4.8kmのコースがあって、帰りには畑に入ってチューリップをとっていくとのこと。

そういえば今年の1月に、「高槻ハーフマラソン」に参加し、基礎体力も無かったからなのか、足が疲弊して現場に出るのも精一杯だったのに、翌日福井の現場は大雪で、坂道で転びそうになり足を踏ん張った際に右膝を痛め、それからずっと走れていなかったので、“ああ、そのくらいの距離なら走ってみようかな、でも日曜日の午前は無理だな”…。

そんなことを考えていたら、若い方々が近づいて来て、畑仕事のおじさんに深々と頭を下げて、「ホームページに載せる写真を撮りに参りました!」と。

後で、その若いメンバーの代表格の人に、「今年はチューリップ少ないですね」と言われましたが、私は「仕事で遠方から来ているので」と応えると、「先ほどあの方と話しておられたので、てっきりお知り合いの方かと思いました」と。

どうも、あの畑作業のおじさんは、「日吉津村」(ひえづそん)の教育のトップの方らしく、若い方々は、昨今言われている“教育現場に一人一台端末”の関係で教育現場をサポートする立場の方々のようでした。

私が米子道の四車線化の工事で来ているのことを告げると、「ご安全に」と言ってくださり、それから別れました。

それから、もう少し先の堤防に桜が見えたので移動したら、これまた「お花見🌸」には穴場と言えるような場所でした。

端から端まで歩いて5分ほどの距離だけれど、桜の並木道でトンネルのようになっていて、遠くには大山を眺めることも出来、絶景の場所でした。

なんか、少しみみっちいかもしれないけれど、お金を払っての花見ではなく、今日はこっちに来て良かったな、と。

さほど混雑もしておらずロケーションも良く、歩いていて一人でも心がほっこりとしてきました。

最後に、お花見をしている方から教えて頂いたのは、「日吉津村」は、米子市でもなく、近隣の市町村とも合併していないようで、その大きな理由は、隣に見えていた「大王製紙」があるので、かなりの税収があるそうです。

今でも人工が増加している村だそうです。

今日は近くで良いお花見が出来て感謝でした😊

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P.S. 今月末の教会学校でのお話当番は、「神に富む者となる」ことについてです。それらを阻んでくるあらゆる貪欲についても、まずイエス様から教えられたい思います。

★群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」それからイエスは弟子たちに言われた。「ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようかと、いのちのことで心配したり、何を着ようかと、からだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものだからです。烏のことをよく考えなさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。あなたがたには、その鳥よりも、どんなに大きな価値があることでしょう。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。こんな小さなことさえできないのなら、なぜほかのことまで心配するのですか。草花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ。何を食べたらよいか、何を飲んだらよいかと、心配するのをやめ、気をもむのをやめなさい。これらのものはすべて、この世の異邦人が切に求めているものです。これらのものがあなたがたに必要であることは、あなたがたの父が知っておられます。むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。(ルカの福音書 12章 13〜34節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会