ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

天の父が完全であるように完全な者とされていく

2024-01-11 21:35:24 | 日記

きょうの仕事も無事に終わって感謝です。今の現場は近いので毎週帰省でき、週末が近づいて来ると楽しみになってきます。

帰ったら帰ったで、けっこう家族に叱られてばかりですが、それでも家に帰るのが楽しみです😊そういえば、今年の仕事始めに高知県のお客様から頂いたお土産が嬉しかったです。

昨年の朝ドラ「らんまん」のモデルになった牧野富太郎さんが包装のどら焼。どら焼自体はどこもあまり変わらないかもしれないですが、私にとっては珍しく昼休みでもNHKプラスで視聴していた番組だったのと、甘党で「どら焼」は大好きなので、なおさら「まきののどらやき」包装にテンションが上がりました。

明日は忘れずに早く持ち帰って家族で一緒に楽しみたいです😊

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

★きょうの聖書日記

(マタイの福音書 5章43~48)

 

イエス様の山上の説教の続き。

 

きょうは、イエス様が弟子たちに「愛」について教えておられる箇所です。

 

きょうの「愛」に関する箇所も、昨日に引き続き昔の人々から教えられてきた言い伝えを引き合いに出して語り始めておられます。

 

冒頭は、『「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」と言われていたのを、あなたがたは聞いています。』との言葉からでした。

 

しかし、エジプトの奴隷生活から救われ、神様の民とされたイスラエルは、本来神様から次のように教えられていました。

 

「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。」

(レビ記 19章 18節)

 

「あなたの敵を憎め」だなんて一言も言われていなかったのです。

 

聖書通読のテキスト「みことばの光」には、「曲解や拡大解釈のようなものが加えられ、この戒めを与えられた神のみこころが大きく損なわれている。

それは、隣人仲間、同胞のイスラエルに限定したことに基づいている。

主イエスはそれを動機として、神のみこころを弟子たちに教えておられる。」

 

そして、第一に愛することは感情の問題ではなく、意志の問題だということ、第二、主イエスは「自分の敵を愛し」に加えて「自分を迫害するものに祈りなさい」とのことばを継いでいる。

とありました。

 

神様の御心は、イスラエルを通してすべての民族が祝福されることでした。

(創世記12章1~3、18章18,19、22章18)

 

これらも昨日のブログで書いたように、遡ること人類の祖であるアダムが神様のお言葉に背いた、罪(的外れ)の本質があるので、そのDNAを受け継いでいる、イスラエルの子孫も、私自身もまた然りなのですね…。

(使徒の働き7:51~53)

 

きょうの聖書箇所は短いのでそのままイエス様のお言葉を記します。

 

「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。

自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。

また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。」

(マタイの福音書 5章 43〜47節)

 

きょうのイエス様の「おことば」から教えられたこと。

 

一つは、昨日のブログに書いた「ことばの重み」ではないですが、イエス様ご自身が徹頭徹尾、「ことばと行い」において模範を示してくださったこと。

(使徒の働き10:38)

 

二つ目は、その弟子たちも「ことばと行い」において、キリストの足跡に従っていったことである。

いや、従がわせて頂けた、といった方が正しいかと思います。

 

イエス様の一番弟子であったシモン・ペテロの「ことばと行い」を思い出しました。

 

イエス様が逮捕されてしまった時には、三度イエス様を知らない、「そんな人は知らない、嘘なら呪われてもよい…」とまで言って誓い始めてしまったペテロ。

 

しかし、よみがえったイエス様に赦され、再び弟子として命令を授かったペテロ。

イエス様のお約束通り、聖霊の力を受けると、生涯イエス様を証する者、神と隣人を愛する初代教会のリーダーと変えられていったのですね。

 

最後に、ペテロが「遺したことば」を二つ記します。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。

異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。

善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。

自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。

すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。

しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。

罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。

このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。

キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。

ペテロの手紙第一 2章 11〜25節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。

悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。

ペテロの手紙第一 3章 8〜9節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


最新の画像もっと見る