1948年5月,ユダヤ国家イスラエルが独立を宣言した.ユダヤ人たちは「歓喜に充」たされたが,アインシュタインはここで,長い歴史の経過の中で形成された「ユダヤ人の倫理的理想」なるものをもち出すのである.
以下に紹介するのは1949年11月27日に行われたラジオ放送でのアインシュタインのメッセージ「イスラエルのユダヤ人」の一部である.引用元は,湯川秀樹監修/中村誠太郎・井上健訳編『アインシュタイン選集 3』共立出版(1972),pp. 247-248である.
なお,本記事とともに,先の私のブログ「“ユダヤ国家”創設に対するアインシュタインの否定的見解(1938年)」も御参照下さい.
唐木田健一
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〔前略〕
この種の理想〔すなわち,ユダヤ人の倫理的理想〕の一つは,その基礎を暴力にではなく相互理解と自己抑制とにおいた平和であります.もしもわれわれがこの理想に浸りきっているとするならば,われわれの喜びはいささか悲しみと混じり合ったものになっているわけです.なぜならば,アラブ人たちとのわれわれの関係は現在のところこの理想から程遠いものになっているからであります.もしもわれわれが他人に邪魔されることなく,わが隣人たちとの関係を処理することが許されていたならば,われわれはこの理想に到達していただろうということは,十分ありうることでしょう.なぜならば,われわれは平和を欲しているのであり,われわれの将来の発展が平和にかかっていることを認識しているからであります.
ユダヤ人とアラブ人とが平和裏に平等なものとして自由に共存する分割されざるパレスチナをわれわれが達成しなかったのは,われわれ自身のあるいはわが隣人の誤りであったというよりは,むしろ信託統治国(☆)の過誤によるものでした.パレスチナに対するイギリスの信託統治のように,ある国が他国を支配する場合には,その国は,かの悪名高い「分割して統治せよ(Divide et Impera)」という手管を踏襲するのを避けることはほとんど不可能なのであります.わかりやすい言い方をすれば,このことは次のことを意味します.すなわち,被統治住民の間に不和を醸成せよ.その結果,彼らは彼らに課せられた足枷を脱するために団結するということが起こらなくなるであろう.ところで,足枷はすでに取り除かれています.しかし播かれた不和の種子も実を結ぶに至っており,ここしばらくの間はまだまだ災いを起こすことになりそうです――それがあまり長くないことを望みたいものです.(文中の下線は原訳文における傍点,また〔 〕は私による挿入)
〔後略〕
☆イスラエルを含むパレスチナの地は,オスマン・トルコの支配を経て,第一次大戦後はイギリスの委任統治領となった.ここでいう「信託統治国」とはイギリスのことをさす.