子育てと学び BY 朝日学習館

子育てや勉強の仕方を読者の皆さんと考えたい。人が幸せになれる子育てを。朝日学習館

Time to End War Against the Earth

2010年11月26日 | 社会
ヴァンダナ・シヴァ氏のスピーチの引用

「いま、地球に対する戦争を終えるとき(Time to End War Against the Earth )」



《インドの農業・エコロジー運動家のヴァンダナ・シヴァ女史が11月6日、「シドニー平和賞」を受賞した。以下は、7日付けの地元紙、「エイジ」に掲載された「受賞スピーチ」(編集済み)の全文の拙訳である。》-20101103-17dxt.html



 今、「戦争」を思うとき、私たちの心は「イラク」や「アフガニスタン」に向かいます。しかし、もっと大きな戦争が、今、戦われてもいます、それは私たちの生きる、この地球という惑星に対する戦争です。この「地球に対する戦争」の根は、エコロジーと倫理が定めた限界を敬うことに失敗した「経済」にあります――不平等には限界があることを、不正義には限界があることを、欲望と経済の集中には限界があることへの敬意を忘れた「経済」に、根を下したものなのです。



 一握りの大企業や強国が、地球の資源に対するコントロールを追い求め、この私たちの地球を、何でも売りに出してしまうスーパーマーケットに変えようとしているのです。彼らは私たちの水を、遺伝子を、細胞を、臓器を、知識を、文化を、さらには未来をも売ろうとしているのです。



 いまアフガニスタンとイラクで続き、今度も戦われて行こうそる「戦争」は、単に「石油のために血を流す」ものではありません。すでに明らかなように、「戦争」は「食料」のためにも「遺伝子と生物多様性」のためにも、「水」のためにも血を流すものになって行くことを、私たちは目の当たりにすることでしょう。



 こうした「軍・産・農」を支える戦争のメンタリティーは、「モンサント」社の殺虫剤の商品名、「駆り立てる(Round-Up)」「山刀(Machete)」「投げ縄(Lasso)」――を見れば明らかです。「モンサイト」と合併した、「アメリカン・ホーム・プロダクト」社も、その製品の殺虫剤に、「ペンタゴン(米国防総省)」とか「スカドロン(航空団)」といった、同じように攻撃的な名前をつけています。これは「戦争の言葉」です。私たちの「持続可能性(Sustainability) 」は、(そうではなく)「地球との平和」を土台にしたものです。



 「地球に対する戦争」は、私たちの精神の中で始まるものです。暴力的な思考から、暴力的な行為が形成されるのです。暴力的なカテゴリーを考え出すから、暴力の道具が作られるのです。産業化された農業・食糧・生産が依拠している「メタファー(隠喩)」や「メソッド(方法)」ほど、このことをハッキリ示してものはありません。戦時下において、人々を殺す毒や爆発物を生産する工場は、戦争が終わると、農薬工場に変身するのです。



 「1984年」は、食糧が産み出される方法に何か恐ろしいことが起きているという事実に、私を気付かせてくれた年でした。(インドの)パンジャブの動乱とボパール(化学工場)での惨事によって、「農業」がまるで「戦争」と化したかのように見えたのです。私が『「緑の革命』の暴力』という本を書き、「ナヴダンヤ(九つの種子)」という、毒にまみれない農の運動を始めたのは、このときのことです。



 戦争のための毒ガスとして始まった農薬はこれまで、疫病をコントロールできずに来ました。遺伝子操作が、有毒な化学物質に代わるものと考えられたこともあります。しかし、実際は逆に、殺虫剤の使用量を増加させ、「農民に対する戦争」を解き放っただけでした。



 飼料と農薬のコスト高は農民たちを負債の罠にはめているのです。負債の罠は農民たちを自殺へと追い込んでいます。政府の公式データによっても、インドでは1997年以来、20万人以上の農民が自殺を図っているのです。



 「地球との平和を築く」ことは常に、倫理とエコロジーの絶対命令であったことです。それは今や、私たちが生物種として生き延びるための絶対命令になっているのです。



 土に対する、生物多様性に対する、水に対する、大気に対する、農場や農産物に対する暴力は、人々が食べることを不可能にする、「戦争のような食糧システム」を産み出しています。いま、10億人が飢えているのです。20億人が、肥満、糖尿病、高血圧、癌といった、食べものに関係する病に苦しんでいます。



 この持続するはずのない発展には、3つのレベルの暴力が含まれています。第一は、地球に対する暴力です。環境の危機として現れているものです。第二は、人々に対する暴力です。貧困、欠乏、難民化として現れているものです。第三は、戦争と紛争としての暴力です。これは際限なき貪欲を満たすため、他国や他の共同体に眠る資源を力で掴み取るものです。



 「生」のあらゆる側面が商品化されると、たとえ1日に1ドル以上、稼げたとしても、「生活」はさらにコストのかさむものになり、人々はさらに貧しくなってしまいます。他方、人々は「マネー経済」なしに、物質的に豊かであり得ます。土地に対してアクセスでき、土地が肥沃で、川の水が汚れずに流れ、文化が豊かで、美しい住と衣、そして美味な食をもたらす伝統が生き続け、社会的な結束があり、地域の共同体に連帯と協働の精神がありさえすれば……。



 市場経済の領域、さらには人工物でしかない資本としてのマネーが、社会の最高の組織原則、及び生活に福祉を推し量るたったひとつの物差しに祭り上げられたとき、それは自然と社会の命を維持・存続させうるプロセスを切り崩すものになって行くのです。



 私たちは金持ちになればなるほど、エコロジーと文化の面ではますます貧しくなって行きます。マネーで測られる豊かさの成長は、物質的・文化的・環境的・精神的なレベルにおける貧困の増大を招くものです。



 生活をつなぐ、ほうとうの通貨とは、生きることそのものです。こうした視点に立つことで、以下のような問題が提起されます。私たちはいま、この世界において、自分自身をどう見ているのだろう? 人は何のための生きるのか? 私たちは、金儲けのために資源をがぶのみする、単なる機械に過ぎないのか? それとも私たちはそれよりももっと高い目的、目標を持ったものではないか?

 

 私は「地球デモクラシー(arth democracy)」というものが、あらゆる生物種、あらゆる人々、あらゆる文化に固有な価値に基づく「生きるデモクラシー(living democracies)」を、私たちに思い描かせ、創造させて行くものだと確信しています。「地球デモクラシー」とは、この地球の大事な資源の公正で平等な共有と、この地球の資源をどう使うかの決定の分かち合いのことでもあります。



 「地球デモクラシー」は、水、食べ物、健康、教育、仕事、生計の諸権利を含む「生きる権利」の基礎をかたちづくる、命及び基本的人権の持続するエコロジーのプロセスを守るものです。



 私たちは選択を迫られています。企業の貪欲による市場の法則に従い続けるか、地球のエコシステムと生物の多様性を維持する「ガイアの法則」を取るかどうかの選択を迫られています。



 人々の食べ物、水へのニーズは、食べ物と水を供給する自然の能力が守られていてこそ、はじめて満たされ得るものです。死んだ土や川は食べ物や水を恵んでくれません。



 「母なる地球」の諸権利を守り抜くことはそれゆえ、最も重要な、人権と社会正義を守る戦いであるわけです。それは私たちの時代の、最も広汎なる平和運動であります。



          (Posted by 大沼安史 at 08:59)2010年

朝日学習館www.asa-g.net

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村





子どもを知りたければ母を見よ

2010年11月22日 | 育児
母親の言葉と文化は子供に遺伝する

気づきを育む 朝日学習館 パズル教室

気づきは、母親とともにある。音楽の魅力に気づいた母親は、子供がおなかの中にいる時から、子供とともに音楽を聴き続け、子供はそれを母親のおなかの中で聴き続け、音楽の魅力に気づいてしまうのであろう。

11月の中ごろ、当館の庭の小さな桜の木に西日が差していたところを見た幼稚園生が、「なんてきれいなんでしょう」と言葉に出しましたが、それは、母親と共感・共有された言葉でしょう。全く母親の言葉はこのようにして、子供に遺伝するものと思われます。

どこにでもある桜の木。感性と言葉豊かな母親は、一本の紅葉した桜の木を前にして、秋の到来を語り、無限なまでの赤や橙色の散りばめられた木の美しさをどれほど語るであろうか。その言葉は、このように子供の共感を呼び子供と共有されるであろう。また、感動や不思議の蓄積として言葉は重みを持ち、子供の中に足跡を残していくのだろう。

周囲のものに気づく力を感性というが、立ち止まって気づきそして、感じたことをもぎ取り言葉にしていくことが、子供の豊かな成長に欠かせないと思われます。
ゆっくりとじっくりと周囲のものに目を向け気づきもぎ取るそんな生活が大切であると思われます。

 

朝日学習館www.asa-g.net

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村



英語はクリスマスツリー

2010年11月09日 | 英会話
 小学生英検三級合格英語教室 気づきで学ぶ英語教室 朝日学習館

人は母国語で感じ考え表現します。難しいこと精緻なことを考えるときには、母国語で考えます。語彙が少ない場合には、自分の気持ちや自然の情景や相手の状況を適切に表すことが出来ません。

さて、英語の勉強を考えてみます。子どもたちが英語を学ぶ場合には、自分の知っている日本語に対応させるか、英語のまま覚えてしまうかの二通りあります。日本語のボキャブラリーが多い場合には、日本語という大地に根ざしているクリスマスツリーの枝に日本語に対応する英語を結びつけるといいわけです。クリスマスツリーが育っていない場合には、英語の単語は、浮遊します。大地に根付いているクリスマスツリーという日本語に対応していませんので、消えやすくなっています。

海外で英語がぺらぺらになった子供が、日本に来て半年程度で英語をすっかり忘れてしまったというのは、その典型的な例です。
一般的に帰国子女の多くは、英語は流暢でも日本語は難渋するというのは、基本的に彼らの母国語は、英語になっているということが言えるでしょう。英語を英語として学んでいるわけです。
日本で英語を学ぶケースは、このような意味では、大きな有利性があります。ものを考え想像する母国語というクリスマスツリーとそれに連結する英語を同時に成長させることが出来るからです。

留学する場合には、英語の学習はクリスマスツリー、このことを十分に留意しておくと実り豊かな留学ができるのではないかと思います。


朝日学習館www.asa-g.net

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村