王子のきつね on Line

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シルヴィウス溝~心霊現象を感じる脳~その1

2005年04月17日 17時58分48秒 | 心霊
 人間は心霊現象を脳の特定の部位で感じていることが、脳神経外科医の調査でわかっている。その場所は、側頭葉と前頭葉・頭頂葉を分けるシルヴィウス溝のあたりである。

 カナダの脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールは、1940~50年代に脳の開頭手術中に脳に直接電極をつけて電気刺激し、どのような感じがするか、患者に尋ねた。その結果、つぎの図のような脳の地図ができたのだ。

ペンフィールドのホムンクルス

ペンフィールドが脳を直接電気刺激することで解明した脳の地図


 この調査中、ペンフィールドは、側頭葉のシルヴィウス溝を電気刺激すると、神の声を聞く、天使を見るという神秘体験をすることがわかった。現在では、同じカナダのローレンシアン大学の神経学部長マイケル・パーシンガー博士が、電気刺激ではなく、高周波の電磁波をつかって、同じ実験をしている。

シルヴィウス溝

ここを電気刺激すると、神秘体験できる。


 じつは、ここで起きるてんかんがある。それが「側頭葉てんかん」である。側頭葉てんかんは、ふつうのてんかんとちがって、体が痙攣するのではなく、神の声を聞く、天使を見るという神秘体験をともなう。歴史に残るような宗教家の多くが側頭葉てんかんだったのではないかと推測されている。
 人間は、側頭葉てんかんが起きたり、強い電磁波の影響を受けたりすると、その場に存在しない、ものを見たり、声や音を聞いたり、臭いを嗅いだりすることがある。これが心霊現象の原因だとも推測できる。


 しかし、霊を見たり、霊の声を聞いたり、霊の臭いを感じたりするとき、人間は側頭葉でそれを感じているのではないか、とも推測できる。
 1992年に、ビートたけしが司会するテレビ番組で、霊能者の故・宜保愛子さんが霊視実験をおこなった。このとき、CTスキャンによる脳構造、脳波計、SPECTによる脳血流を測定した。とくに、SPECTによる測定で、側頭葉の脳血流が非常に多くなっていた(左大脳半球よりも右大脳半球のほうが多いように見えた)。これは宜保さんが霊視するとき側頭葉を使っていることの証拠だと思える。(まえにMRIと書いたがSPECTの誤り 2004/4/19)
 このときの霊視で、宜保愛子さんは、ビートたけしの母方の祖母の霊がたけしを守っていて、祖母の霊がたけしの飲酒を怒っている、と指摘していた。たけしが飲酒運転でバイク事故をおこす2年前のことである。


 側頭葉てんかんと神秘体験の関係については、

立花隆・著『臨死体験』

(文芸春秋、1994年)の下巻。


V.S.ラマチャンドラン、
サンドラ・ブレイクスリー著
『脳のなかの幽霊』

(山下篤子訳、角川書店、1999年)


に説明があります。

「プライス4(仮)」に出てきた陰陽師って…

2005年04月15日 02時20分38秒 | 心霊
TBSが火・水・木曜日の深夜、「企画工場“なりあがり”」という番組を放送している。企画実験枠で、1企画が6日間(2週間)、つぎのルールでレギュラー化を目指すそうだ。
企画工場「なりあがり」のルール
(I)1企画は放送2週(火、水、木× 2週の6回)。打ち切りも延長もなく、6日間の放送で終了する。(翌週からは新企画が始まる)
(II)MCはTBSアナウンサー限定。
以上、2点のみ。

 今夜は、「プライス4(仮)」という企画だった。内容はつぎのとおり。
4月5日~14日
“この4つの値段がすべて同じ!?”と驚いてしまうような4つの品物を紹介し、その値段を当てるニュースタイルのクイズ番組!
制作:ドリマックス・テレビジョン

 なんで見ているかというと、来週から2週間にわたって、「KASETSU(仮)」という企画があって、そこに及川奈央が出るからである。その内容はつぎのとおり。
4月19日~28日
“信長は明智光秀に殺された”といった誰もが信じている定説を、根本から覆す新たな“仮説”を提唱するプレゼンショー。いかに多くの専門家を納得させられるか?
制作:TBSテレビ

 で、奈央姫は出てないけど、「プライス4(仮)」を見ました。驚いたのは、それに出ていた陰陽師のなんとかっていう香具師。こいつ55万円もとって「呪詛返し」をするんだけれど、言っていることが怪しい(心霊とかを信じてない人はそもそも陰陽師自体が怪しいだろうけど)。
 まず、一律55万円っていうのが怪しい。ふつう一律なのは最初の相談料くらいで、あとは相談者との話し合いで値段を決める。だって、呪っている相手次第で、チョロイ香具師もいれば、それこそ命がけで闘わなければならない香具師もいる。短期間で済むものもあれば、長期にわたるものもある。場合によっては、55万円だって安い場合もある。
 あと、自分と同じことができる陰陽師は10人くらいしかいないとか言ってたのが怪しい。陰陽師に限らず、霊能者は、いつ自分が呪詛をかけられるかわからないので、最低限、自分自身の「呪詛返し」くらいできないと、それこそ命にかかわるからだ。
 このへんの事情は「ブックマーク」にあるパラトラパ雅さんのサイト「やほよろづ.com」でも見てください。ところで、こんな香具師に55万円も払った女優って誰?

まさの本

2005年03月18日 21時00分12秒 | 心霊
まさの本が届いた。

半分くらい読んだ。

怖い。

怖すぎる。

何が怖いかというと、

及川奈央は駅でスカウトされたと言っていたが、

霊能者にもあちらの世界からのスカウトがあるそうだ。

そのスカウト、

こちらの世界では「不幸」と呼ばれている。

つぎつぎと「不幸」が重なる。

耐えられず、自殺する者もいるが、

死なせてもらえない。

ついに、霊能者に相談に行く。

それがきっかけで本人も霊能者に…。

怖い。

あと、霊的生活は特別のものではなく、

日常と非日常、通常と超常が同居していること…。

これは私自身の体験とも一致している。

玄関から出たら、真っ黒な影がいたり、

帰ってきた妹の額に、男の顔がプリントされていたり、

台所でズボンの裾を引っ張られたりする。

怖い。

あちらの世界からのスカウトだけは来て欲しくない。

「××トラパまさ」の正体w

2005年03月16日 19時15分20秒 | 心霊
まえに「トラパ(トランスパーソナル心理学)系には遺恨がある」と書いたが、その原因がこいつ。

中村雅彦愛媛大学教授

 こいつ昔「××トラパまさ」(××部分は忘れた!)と称して、自分のサイトに四国でフィールドワークして集めた呪いネタを書いていた。それがあんまりおもしろいんで、某心霊サイトのBBSで紹介したら、「心霊といっしょにされるのは迷惑だ!」と削除依頼してきた。
 まあ、内容が内容なだけに、研究者として、心霊ネタにされるのがイヤだったのだろう(オイラだって、そのへんはちゃんと紹介したのに…)。
 ところが、こいつ、フジテレビの「ほんとにあった怖い話」に、下ヨシ子さんなんかといっしょに霊能者として出てやんの。なにが「いっしょにするな!」だ。オマエの行動は矛盾してるんだよ!吾郎さん。。。w

 まあ、個人的な恨みはこのあたりにして…。w そのときの呪いネタをまとめたのがこの本。
   ↓   ↓
『呪いの研究‐拡張する意識と霊性‐』(トランスビュー、2003年)

 まだ読んでないけど、おもしろいはず。だって、だいたいの内容知ってるんだもん。「目次&本文」で本文も読めます。

 で、こっちが彼の研究室のサイトです。
    ↓   ↓
愛媛大学教育学部中村雅彦研究室

 むかし、ヒドイ目にあったのに、ちゃんと本の紹介してあげるなんて、オイラって、なんて心が広いんだろう。しかも、さっき、この本を注文しちゃったよ。
 さいごに、もう削除依頼するんじゃねぇぞ。まさ!

聖骸布の謎!~イエスは十字架で処刑されず、マグダラのマリアと結婚したw~

2005年03月14日 02時46分12秒 | 心霊
5/12(土)、フジテレビで「超時空ミステリー 世紀の天才ダ・ヴィンチ 最大の謎と秘密の暗号~ダ・ヴィンチ・コードの真実に迫る!~」という番組をやってました。これのなかで、トリノの聖骸布をつくったのが、レオナルド・ダ・ヴィンチであるという話を放送してました。今回はその聖骸布についてのお話です。
 トリノの聖骸布については、リン・ビクネット+クライブ・プリンス著『トリノ聖骸布の謎』(新井雅代・訳、白水社、1995年)にくわしいのですが、上の番組にも著者のひとりクライブ・プリンスが登場してました。
 トリノの聖骸布は、処刑されたキリストの遺体をつつんだ布で、キリスト復活のエネルギーでその姿が焼きついている、と信じられてきたものでした。ところが、1988年に炭素14をつかった時代測定で、布自体が13世紀ごろのものとわかり、偽物ではあるが、どうやってつくったのかは不明とされてきました(いまでもホンモノであると信じている人も多い)。
 ビクネットとプリンスは、聖骸布(の偽物)をつくったのはレオナルド・ダ・ヴィンチであり、彼の生きた15~16世紀でもつくることができた、と立証して見せました。その手法は下のとおり。

 布を切り、卵白とクロム塩の混合液を感光剤として、その布に塗って乾燥させる。


 布を木製の枠に張ってカメラ・オブスキュラ(針穴写真機)にセットし、その前に被写体を置いて、紫外線ランプを照射して6~12時間露光する。レオナルドはイタリアの灼熱の太陽でおこなった。


 木枠から布を外し、水洗いして感光剤を洗い落とし、火であぶる。


 熱湯と洗剤でもういちど洗うと、できあがり。


 このようにしてつくったので、聖骸布にはつぎのような特徴が現れました。


 2人は、レオナルドが「シオン修道会」という異端の秘密結社の総長であり、カトリック教会の権威を失墜させるために聖骸布をつくった、と主張しています。イエスは、十字架で処刑されたのではなく、マグダラのマリアと結婚して子孫を残した。そして、その血統を守るために、シオン修道会が結成されたのであると。

 この番組は、レオナルドの暗号を解く、という番組ですが、その暗号は「最後の晩餐」の中に隠されているんだそうです。イエスの左隣に描かれているのは、従来は聖ヨハネであるとされてきましたが、そうではなく、マグダラのマリアなんだそうです。そして、マリアを脅しているように描かれているのがペトロで、ペトロは初代のローマ教皇とされているので、彼に象徴されるカトリック教会が、マグダラのマリアを不当に貶めている、と告発しているのだそうです。

 マグダラのマリアに対する信仰は南フランスを中心に強いのは事実ですし、フランク王国(フランス・イタリア・ドイツのもととなった国)のメロヴィング朝を開いたクローヴィスは、イエスとマリアの子孫であるといわれていました。

 でも、やっぱ、考えすぎですね。w

イヌの解剖の話

2005年03月10日 20時58分00秒 | 心霊
今日もネタがないので、またまた怖い話でお茶をにごします。w

 ここ数年親しくしているTさんから2003年の10月末に聴いた話です。Tさんは、現在60代ですが、東京下町の某都立高校に在学中、クラブ活動で生物部に属していました。
 文化祭に生物部も何かしなければならなくなり、彼は昆虫採集でもすればいいかと思っていたそうです。が、文化祭が近づいてくると、顧問の先生から「文化祭の目玉として解剖をやろう」と突然いわれました。
 で、何を解剖したかというと、フナでもカエルでもなく、な、なんとイヌ…それも3匹もです。その先生はどこからか、スピッツ(なつかしい)とシェパードともう1匹(覚えていない)をつれてきました。Tさんは、スピッツがあまりにキャンキャンなくのでかわいそうになり、退部届を出してやめてしまったそうです。
 さて、文化祭になり、1日に1匹ずつ、3日間解剖しました。彼はシェパードの解剖を見たのですが、シェパードは、ホルマリンを吸わされて気絶させられ、生きたまま解剖されました。その後、その骨を薬品につけ、骨以外の組織を溶かして、骨格標本にしたそうです。
 解剖したのは3人の生徒だったのですが、それから卒業するまでの間に、3人はつぎつぎと不幸に見舞われました。1人目は落第して退学。でも、これはまだいいほうで、2人目は自殺しているのを発見されました。また、3人目は変死していたそうです(この人も自殺ではないかと言われていました)。Tさん曰く。「ぼくは命拾いしました」。
 卒業後、Tさんは、同窓会で生物部の友人と会い、おどろくべき話を聞かされました。なんと、生物部の顧問は、野犬を捕らえて殺す施設から、「飼主を紹介したい」とウソをついて、3匹のイヌをつれだしたんだそうです。そして、後で解剖したことがばれて、解剖した3人の生徒といっしょに始末書を書かされていたそうです。
 生徒たちのあまりに悲惨な末路は、動物の命をむやみに奪ったからなのでしょうか? その顧問の先生がどうなったかは、Tさんも知らないそうです。

きみは「金霊(かねだま)」を見たか?

2005年03月09日 19時40分33秒 | 心霊
ネタがないので、また怖い話でお茶をにごします。w

 私の母の実家は栃木県南部のN町にあります。この話は母から聴いたのですが、実際に体験したのは母の祖母、つまり私の曾祖母です。この曾祖母は、けっこう裕福な地主の娘で、「ジョウサン」と呼ばれてました。母は、「ジョウ」という名前だとずっと思っていたのですが、本名はタケといい、「ジョウサン」はお嬢さんという意味だったそうです。w
 さて、母の実家のあたりは中規模の農家が点在する地域でした。その中でも、母の実家から見ると西にあたるので、「西の家」といわれていた家は、多くの田畑をもった裕福な家で、「セイゴロウ大尽(だいじん)」と呼ばれていました。ちょうど今くらいになると、梅林に芸者を呼んで、ドンチャン騒ぎをするくらいでした。
 昭和10年代のころだと思うのですが、「ジョウサン」が見ていると、「西の家」から金色に輝く「カネダマ」がふわふわと舞い上がり、そのままどこかに飛んでいってしまったそうです。「ジョウサン」は、祖母や母に、「西の家からカネダマが飛んでいった。西の家は没落するにちがいない」と言っていたそうです。
 この「カネダマ」が飛んだ頃に「西の家」では長男が生まれましたが、彼は悪い仲間たちと女性を強姦するようになりました。あまりに強姦事件が多発するので、母の実家のあたりでは「処女がいない」とまでウワサされるようになりました。結局、彼は、警察に逮捕されましたが、その後も更生することなく、「西の家」の財産をほとんど使い果たし、最後には家もヤクザにとられてしまいました。
 私がよく行っていたころ(30年前)は「西の家」には家の人が住んでいましたが、20年前にはヤクザの関係者が経営するスナックになっていました。

 この話を某心霊サイトにカキコしたところ、さまざまな反響がありました。

>>冥帝さん
 「カネダマ」は「金霊」と書くそうです。どこかで見た名前だなと思って探したところ、ありました。岩井宏實『暮らしの中の妖怪たち』(河出文庫)によると、「ある日突然蔵の戸が開いて、どこからともなくたくさんの金銭が舞い込んでくるというのである」らしいです(類似の妖怪に「銭神」というのがあり、これは薄雲のような形状とのこと)。ということは、出ていけばお金がなくなるというわけですね。納得。

>>まっくんさん
 これらの妖怪は、初めて知りましたが、「金霊」でも「銭神」でもいいから、そんな妖怪なら是非家に来て頂きたいものです・・・。「貧乏神」とは対極の妖怪ですね。貧乏神(神などと呼ぶ必要は無い)は逆に出て行くと家が繁栄しますので。私の家には蔵は有りませんが、物置ではだめですか?。宝くじ等で大金が当たる人には、きっとこれに似た様な何か良い予兆が有るんでしょうね。

>>ハチロクさん
 「かねだま」って『げげげの鬼太郎』で有名な水木しげるの『妖怪百科』という本に絵入りの解説で載ってました。昭和初期まで見かけられていたんですねー。最近は人の心が曇ってしまったせいでしょうか、見えないのは。よく「~だま」というのは聞きますね。典型的な例では「船霊」とかでこちらも出ていくと、船が沈んだり、戦争中だと撃沈されたりしてたみたいですね。やはり、人知を超えた「何か」は存在しているのでしょう。

妹が体験した怖い話~このホテルは出るよw~

2005年02月20日 23時42分25秒 | 心霊
 「ち~さまバブルを歌う」がうまく書けないので、今回は怖い話でお茶をにごします。w すべて妹が2002年の終わりごろに体験した話です。

 妹は、2002年10月末から11月はじめまで文化庁後援のオペラ「う×よ×ざ×」で関東各地をまわったんですが、栃木県S市のあるホテルで不思議な体験をしました。
 ホテルについたとき、謎の「筋」が建物の一角を突き抜けていたんで、「あれっ」と思ったそうです。その「筋」は5階のいっしょに行ったKさんの部屋を抜けていました。妹は、Kさんが何も感じていないようなので、怖がらせるといけないからと、黙っていました。
 Kさんは、ベッドに入ってもなかなか眠れず、うとうとしていたら、目の前を白い足袋をはいた足が、宙に浮いたまま、くるくるまわっているのが見えたそうです。でも、Kさんは、疲れているからだと、そのまま寝てしまいました。
 翌日、Kさんがそんな話をしたので、部屋に行くのはイヤだったんですが、ちょっと覗いてみました。すると、首を吊った人が見えたのです。そうKさんが見たのは首を吊って、ぶらさがった人の足だったんです。

 同じ公演で、Kさんたちは茨城県M市のホテルに泊まりました。このホテル、某有名ホテルと同じ名前ですが、それとはぜんぜん関係ないんだそうです。オペラの公演って、何人かで同じ役をかけもちするんで、妹はこのときは同行しませんでした。こんど体験したのは、Hさんで、妹はKさんからその話を聞きました。
 Hさんがベッドに入ってしばらくすると、金縛りにあいました。あまりの苦しさに目を覚ますと、自分の上に真っ黒なかたまりが乗って来たんだそうです。
 Hさんの体験はそこで終りですが、その話をKさんから聞いた瞬間、妹にもその真っ黒なかたまりが見えたんだそうです。

 つぎも同じ公演での体験談です。千葉県のあるホテルに泊まったら、となりの部屋からイヤ~な感じがしたんだそうです。
 その部屋はAさんの部屋だったんですが、とつぜん扉がしまってしまい、鍵をつかっても開かなくなってしまいました。ホテルの人に言ってマスターキーで開けてもらい、別の階の部屋に換えてもらいました。
 その部屋は空き部屋となり、妹の部屋をはさんで、反対側はYさんの部屋でした。妹がベッドに入ると両方の部屋から音がするんだそうです。片方はYさんがいるんで、音がしてもおかしくありませんが、もう片方は空き部屋のはず…それなのに音がするんです。
 耳を澄ますと、何人かがぼそぼそ話しているだそうです。それを聞いているうちに妹の体のその部屋の側がどんどん冷たくなってきたんで、聞くのをやめたそうです。

 Yさんは、この公演に出る前に、デジカメを買ったんだそうです。でも、Yさんが撮ると変なモノが必ず写るんで、Yさんは怖がっていました。
 千葉県での公演が終わって、アクアラインを通って帰ってきたんですが、途中、「海ほたる」で休憩しました。もう暗くなってしまったんですが、みんなで写真を撮ろうってことになって例のデジカメを使いました。ところが…
 他の人を写した写真はふつうに撮れるのに、Yさんを写した写真だけが、謎の光が写りこんでいるのです。一つはものすごく明るい青い光が写っていて(もちろんそんな光はありません)、別の一つは白い発光体がうねうねってうねっている写真でした。2つとも実物を妹も見たそうです。
 不思議なのは白いうねうねで、シャッターを開けたままにして動かしながら光を撮るとそういう写真が撮れるんですが、その写真、Yさんはしっかり写っていて、そういう写真じゃないそうです。しかも、今さっき撮った写真なんで、パソコン等で細工なんてできません。
 Yさんはそうとうビビっていたそうです。


 映画「呪怨」ビデオにとって見たけど、ぜんぜん怖くなかった。うちの及川(←と身内みたいに言ってみるw)がお世話になったんで文句いいにくけど、清水崇監督のいうジャパニーズ・ホラーって何? ただ単に理不尽なだけ。あと、人死にすぎ。最後、香椰子(←漢字これでいいのかな?)が階段下りてくるシーンで爆笑してしまった。
 ハリウッドで映画化したらしいけど、上記の理由でアメリカ人には受けると思われ。。。

『闇の検証』~書いてあるのはわかってることばかり&現世のことももっと評価してよw~

2005年02月16日 19時09分00秒 | 心霊
 「ほんとにあった怖い話」編集部・編『霊能者・寺尾玲子の新都市伝説 闇の検証』(朝日ソノラマ)というシリーズがあります(1996~2003年)。その内容は、霊能者・寺尾玲子をナビゲーターにして、全国の心霊スポットを霊視するのです。ところが、霊視の対象が、超有名な心霊スポット、歴史上の重要人物ばかりなのです。目次だけ紹介しましょう。
●第1集(1996年)
 ・四谷怪談・お岩さんの謎
 ・祟りの首塚・平将門の謎
 ・怨霊都市・鎌倉の謎
 ・禁断の聖地・皇居の謎
 ・異界ゾーン・赤坂・青山・六本木の謎
 ・地獄の刑場・鈴ヶ森の謎
 ・魔の高層ビル・池袋の謎
 ・花のお江戸の怪伝説・浅草の謎
 ・葬られた聖地・上野の謎
 ・動物霊の神秘・秩父の謎
●第2集(1999年)
 ・日本最大の魔境/青木ヶ原樹海の謎
 ・ミステリアスな伊豆の旅/唐人お吉の謎
 ・勇者と美女の悲恋/怨霊・新田義興の謎
 ・親の因果が子に報い/中野長者の謎
 ・眠れる怨霊/続・平将門の謎
 ・エキゾチック・ゴーストゾーン/横浜の謎
 ・ウワサの真偽を直撃/東京タワーの謎
 ・呪われた覇者/源頼朝の謎
 ・仇討ち劇の真相/忠臣蔵の謎
 ・関所暗話/箱根の謎
●第3集(1999年)
 ・悲劇の英雄/源義経の謎
 ・知られざる東京ゴーストフィールド/表参道の謎
 ・陰陽師/安倍晴明の謎
 ・騒乱の世に散った剣士達/新撰組の謎
 ・薄幸の佳人/お市の方の謎
 ・沈黙の敗将/明智光秀の謎
 ・源平最後の合戦/壇ノ浦の謎
 ・神々の里/出雲の謎
 ・孤独な魔王/崇徳上皇の謎
 ・仕組まれた埋葬/大阪城の謎
●第4集(2001年)
 ・加賀百万石の闇/金沢の謎
 ・静かな超越者/菅原道真の謎
 ・幻の聖童/天草四郎の謎
 ・新旧ゴーストスポット探訪/千葉・下総の謎
 ・徳川の女達/千姫の謎
 ・最後の呪法/武田信玄の謎
 ・龍の通る道/飛鳥の謎(前編)
 ・龍の通る道/飛鳥の謎(後編)
 ・最後の戦国大名/独眼竜政宗の謎
 ・大輪の死に花/真田幸村の謎
●第5集(2003年)
 ・古代最大の内乱/壬申の乱の謎
 ・呪いの墳墓/高松塚古墳の謎
 ・怒れる猛き者/平清盛の謎
 ・無念の闇に迷う/白虎隊の謎
 ・パワーエリアの陰と陽/日光の謎
 ・黒衣の宰相/天海僧正の謎
 ・風水の都/魔界・京都の謎
 ・戦国人物模様/細川ガラシャの謎
 ・信念の求道者/上杉謙信の謎
 ・神秘の山/吉野の謎

 さて、その中からいくつか「つまみ食い」してみます。いちばん最初の「お岩さん」は、前回紹介した永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』(朝日ソノラマ、1996年)との関係で、永久保さんといっしょに行きました(永久保貴一『永久保怪談 恐怖耳袋』朝日ソノラマ、2巻、1998年にある「累ヶ淵」も同様)。意外なのは、お岩さんは怨霊ではなく、いわゆる「成仏」した霊だったことです。あと、最強の心霊スポットといわれる「将門の首塚」には、平将門の霊はいず、むしろ霊的なパワースポットである江戸城本丸=東御苑の影響であると指摘したことです。そして、その場所で「大嘗祭」が行われてたなんて。。。
 「青木ヶ原樹海」では、「オレはダマされたんだ、ダマされたんだ」と恨みがましい台詞を繰り返す霊の言葉に、彼らが永遠に樹海から逃れられない理由がうかがえます。「打越橋」は、ひじょうにバランスの悪い場所にあり、吐き気をもようしたそうです。この場所で自殺者が絶えない原因は、もうひとつ、強制労働によって虐げられた人々の恨みの念だというのです。彼らの「覚えておれよ」という台詞には慄然となります。
 織田信長と明智光秀の霊視でおもしろかったのは、信長が自分を攻めていたのが光秀であることを信じていなかったことです。理由は、自分の目で確かめたわけではないから。異常に信長らしい話です。そして、明智光秀の謀反の動機ですが、最近は「影の黒幕」探しが流行っていますが、彼個人の野心であったことです。
 歴史上の人物としては二流ですが、徳川信康と武田義信、そして2人の母(築山殿と三条殿)の霊視はおもしろいです。徳川家康と武田信玄(晴信)という偉大な父の長男でありながら、気位の高い母に育てられ、ともに殺されてしまう(築山殿も殺される)。ひじょうに似ています。
 「壬申の乱」と「高松塚古墳」では、持統天皇がかけた呪術がテーマになっています。とくに高松塚では、持統のかけた呪いを解き、囚われていた片目の女を解放します。しかし、持統に逆襲され、霊能力を奪われてしまうのです(その後、吉野で回復)。この後だっけ、高松塚の壁画が剥がれたの? まさか呪術を解いちゃったからじゃないよね? 玲子さん。w

 ただ、つまらないのは、わかってることばかりなんだよね。大学院生のとき、「わからないことも本人に聞けばわかるんじゃないの」って友だちと話したことがあったんだけど、わかってる以上のことが出てこないのですヨ。これは思うにスタッフが歴史にくわしくないからなのではないかと。。。ここをもっと調べると新しいことがわかるのに、そこがわからない!w
 今から10年以上前、宜保愛子さんがまだ健在のころ、ロンドン塔を霊視するという企画をテレビで放送しました。このときはイギリス文学者が、コメンテーターで呼ばれていて、宜保さんが見た霊をつぎつぎと解説してくれて、とてもおもしろかったです。霊視した霊は、エドワード5世とヨーク公(おじのリチャード3世に殺された少年王とその弟)、アン・ブーリン(ヘンリー8世の妻でエリザベス1世の母)、ウォルター・ローリー(エリザベス1世の寵臣ではじめてタバコを吸った欧米人。ご主人様が火事だ!と水をかけられた人)などです。とくに、エドワード5世とヨーク公は死体が見つかっていないので、文学者さんはその場所が知りたくてたいへんでした。w

 あと、ムカツクのが、歴史的にはとても重要な仕事をしているのに、いまだに「成仏」できていない人たちの話。源頼朝は、脳溢血で死んじゃったんだけど、そのままウ~ンてなってるんだそうです。800年間も。。。あと、信長は、達成感と無念の気持ちで、ぐちゃぐちゃだそうです。どうも死んだときの精神状態がその後の「成仏」を左右するみたいなんですが、現世でやったことは、人を虐殺したとか、人の恨みをかったというマイナスの評価はあるのに、武家政権をつくったとか、天下統一に貢献したとか、プラスに評価されないのね。orz

永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』~永久保さんの実証がステキw~

2005年02月15日 19時24分00秒 | 心霊
 永久保貴一さんの実録マンガ、これが最終回です。永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』(朝日ソノラマ、1996年)は、「四谷怪談」と「皿屋敷」について検証しています。このうち、今回は「皿屋敷」の検証を紹介します。
 永久保さんは、これ以外にも、前回紹介した『永久保怪談 恐怖耳袋』の2巻で、「累ヶ淵」の検証をしています。「四谷怪談」と「累ヶ淵」については、つぎの記事を見てください。
●「累ヶ淵」
 →「累ヶ淵」補論~羽生村事件の概要~
●「四谷怪談」
 →「四谷雑談」~「四谷怪談」の実録小説
 →「東海道四谷怪談」の概要(はじめに)
 →「東海道四谷怪談」の概要(前半)
 →「東海道四谷怪談」の概要(後半)
 →於岩稲荷に関する考察

 「皿屋敷」の怪談にはさまざまなヴァージョンがあるのですが、永久保さんはまず馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」(1756年)を紹介しています。
 盗賊・向坂甚内(さきさかじんない)の娘・菊は、盗賊改・青山主膳(しゅぜん)に縁坐で母とともに捕らえられました。主膳は、菊が下女になるのを条件に許しますが、母を処刑してしまいます。菊は、そのことを知らず、主膳に迫られたうえ、主膳の妻に嫉妬され、イジメられますが、耐えます。しかし、菊は、家宝の皿を割ったことで、母親が処刑されていることを知らされ、さらに指を1本斬られてしまいます。菊は井戸に身を投げるのですが、主膳は事故で死んだことにしてしまいます。やがて、主膳に子が生まれるのですが、その子には指が1本ありませんでした。さらに、、、



 毎夜あらわれる菊の霊に、奉公人たちはみな逃げ、主膳も狂ってしまい、青山家は取り潰されました。

 この話の舞台は江戸の番町ですが、もともとは牛込での話らしいのです。じつは「皿屋敷」の怪談は全国にあり、菊が水で死ぬ話も多く存在します。その中でも特徴的なのが、菊が、針のために殺され、怨霊となる話です。そのひとつが、新井白石の「白石先生紳書」(1719年)にあります。
 加賀藩の小幡播磨という人が、飯の中に針が入っていたことを理由に、菊という女中を殺しました。その際、菊は、身に覚えのないことで殺されるのはとても恨めしい、小幡ゆかりの者たちに思い知らせてやりたい、と言いました。その後、小幡の家は死に絶え、縁続きの者も多く亡くなったのです。そして、有賀平三郎という者がいたのですが、その兄弟もみな死んでしまいました。彼は、江戸の上屋敷で病に倒れ、どんどん悪化していきます。そんなある日、屋敷内に馬士が現れ、女を乗せてきたので、駄賃が欲しいというのです。役人は、ここには女などいないし、どうやって屋敷の中に入ったのだ、と問いつめます。ところが、、、



 それから数日後に平三郎は死んでしまいました。

 姫路にも「播州皿屋敷」という話があります。小寺則職(こでらのりこと)が姫路城主だった戦国時代、家老の青山鉄山が主家横領を企てました。忠臣・衣笠靭負之助(きぬがさゆきえのすけ)の愛人・菊が下女となって陰謀をあばこうとします。しかし、青山は主家の横領に成功し、家来の町ノ坪(ちょうのつぼ)弾四郎は、菊をモノにしようと、重宝の皿を隠します。弾四郎は、菊に責任を問うが、思いどおりにならないので、責め殺してしまいます。その後、菊の霊が現れ、青山は失脚し、小寺則職は城をとりもどすのです。
 この話の元ネタが「竹叟夜話(ちくそうやわ)」にあります。姫路市西郊の青山に住んでいた太田垣小殿佐(おおたがきこどののすけ)には花野という愛人がいました。



 永久保さんは、「針で殺される菊」の話と「花野とアワビ貝」の話が、姫路で融合したのではないかと考えます。

 ところで、「針で殺される菊」の話は、祐川法幢(すけかわほうどう)の「幽霊・妖怪考」によると、戦国時代に群馬県西部の甘楽郡を支配していた小幡氏に関係するのです。小幡氏、そう白石の話に出てきた小幡氏です。甘楽町の曹洞宗宝積寺には菊の墓があり、つぎのような話が伝わっています。
 小幡信貞は菊という美しく聡明な腰元を寵愛していました。しかし、奥方は、それを快く思わず、信貞の留守のとき、陰謀をめぐらします。奥方は、菊に給仕を命ずるのですが、、、




 菊は1586年9月19日に殺されました。それから、4年後の1590年、小幡氏は、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北条氏についたため、没落してしまいます。
 小幡信実は、旧友の真田氏を頼り、信州上田に移動しました。さらに、真田氏が松代に移封されたので、それに同行しました。その際、カゴがひとつ余計について来たといいます。運賃を請われ、中を見ると、誰も乗っていませんでした。どんな者が乗っていたのかと聞かれた人足は、21か22のたいそうやつれた女の方が乗っておりました、と答えたそうです。信実は、息子を家康に仕えさせ、その子孫が旗本になりました。その一族の墓が牛込にありました。これが最初に紹介した話のもとになったようです。
 小幡の一族・彦三郎は、本隊が小田原にろう城した際、留守を守っていました。前田利家に攻められたのですが、彦三郎はあっさり降伏し、そのまま前田家に仕え、重臣となりました。これが白石の「馬士」の話につながるのです。
 滋賀県の彦根や埼玉県の行田にも「皿屋敷」の話があります。彦根の初代藩主・井伊直政は、小田原の戦いの後、小幡領を支配し、多くの家臣を新たに取り立てました。その後、彼が彦根に移ると、菊の怨霊の話が彦根に伝わったのです。さらに、彦根藩の重臣で小幡氏に仕えていた岡本半介が、徳川家康の孫・松平忠明(下総守)に小幡氏の人間を推挙しました。この松平家(下総守)が姫路に移封され、菊の怨霊の話が姫路に伝わったのです。さらに、松平家は埼玉県の忍(行田市)に移ると、ここにも菊の怨霊の話が伝わりました。
 このようして、全国に「皿屋敷」の話が伝わったのです。

 しかし、永久保さんは「皿屋敷」の起源はこれ以前にもさかのぼれると考えています。民俗学者・折口信夫は、菊のモデルは菊理姫(くくりひめ)ではないか、と指摘しているのです。菊理姫は、日本書紀でイザナギとイザナミが泉平坂(よもつひらさか)で争ったときに登場するのですが、謎の多い神です。白山神社の祭神ですが、それとは別に処刑にたずさわったから崇拝されていました。永久保さんは、菊理姫が関係するものとして、水(菊は水で死ぬ)、ヘビ(ヘビ責めにあう菊、ヘビは、脱皮するので「死と再生」を意味し、農耕神でもある)、針(磔[はりつけ]と関係する?)、バンという音(番町、播州、彦根の番場町など、ばんという音と関係がある?)からこう結論づけます。



 う~ん、飛躍しすぎ、、、かな? 最後の結論はともかく、なかなかおもしろいマンガです。ていうか、マンガの領域をすでに超えていて、とても読みごたえがあります。

永久保貴一『恐怖耳袋』~永久保怪談は2巻までw~

2005年02月13日 21時00分03秒 | 心霊
 永久保貴一さんのマンガを載せるとアクセス数が高い! というわけではないんですが、今回も永久保さんのマンガを紹介しましょう。『永久保怪談 恐怖耳袋』(朝日ソノラマ、1~2巻、1998年)、例によってまた2巻までしか出ていません。w
 構成はつぎのとおり。"~"から後は私が適当に題名をつけました。
「永久保怪談 恐怖耳袋」1巻
・「生き人形」~稲川淳二さんの体験談
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第1話~「生き人形」後日談
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第2話~憑きものすじの家(オサキギツネ&イヌガミ)

「永久保怪談 恐怖耳袋」2巻
・「実録 怪談・累ヶ淵」~霊能者・寺尾玲子さんも登場
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第3話~医療関係者の体験(病院長&看護士長)
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第4話~ホタル水路
・「永久保怪談 恐怖耳袋」第5話~納戸の黄色い煙(アシスタントの体験)

 この中から、ホタル水路の話を紹介します。

 ホタル水路は八丈島(東京都)にある観光スポットです。この話は、永久保さんのファンの松山さおりさん(仮名)が当時つきあっていたホテルマンの松沢くん(仮名)の体験談です。
 このホテルは、夏の間だけバイトを雇うのですが、そのバイトくんたちの慰労ため、ドライブをします。松沢くんは、それに付き添って、ホタル水路に行ったのですが。。。



 翌日、松沢くんは、同僚の広田くんに請われて、ホタル水路に行き、そこで写真を撮りました。しかし、その帰り道、2人の乗った車にトラックが突っ込み、広田くんは頭蓋骨骨折の重体となって東京の病院にヘリで搬送されてしまいました。
 数日後、フロントにいた松沢くんに2人の女性が近寄ってきました。彼女たちは、ホタル水路に行き、そこで少年の霊を目撃しました。しかも、その少年が彼女たちの部屋までついて来てしまいました。あまりに怖いので部屋に戻れず、ロビーにいたと言うのです。




 この藤巻くんもこの後バイクで事故にあい、松沢くんのお父さんも交通事故を起こしてしまいます。おまけに、突っ込まれたトラックの運転手にごねられ、松沢くんは精神的にまいってしまい、同僚に殴りかかりそうになったのを上司に止められました。
 松沢くんはこの話を恋人の松山さんにしたのですが、その直後、記憶を失い、気がついたら、海岸にひとりでいたそうです。
 あまりに恐ろしいので、埼玉県の神社に行ってお祓いをしてもらいました。その結果、怪異はやんだのですが、不思議なことに、事故で壊れたはずのカメラも直りました。その写真を現像すると、恐ろしいものがたくさん写っていたそうです。

 この話では犠牲者こそ出ませんでしたが、第2話の憑きものすじの家の話では、調査にいった大学生のうち、1人が変死、1人が行方不明になったそうです。
 このマンガを描いている間、永久保さんも体を壊してしまいました。う~ん、怖い、怖すぎるよ、永久保さん。

永久保貴一『生き人形』~稲川淳二の怖い話~

2005年02月11日 21時31分40秒 | 心霊
 夏になると、どこかのテレビ局で稲川淳二さんの怖い話が放送されます。その稲川さんもあまりの怖さに封印してしまったのが「生き人形」の話です。実際に死人が出ているんで。。。永久保貴一さんのマンガ『生き人形』(朝日ソノラマ、1985年)でこの話を紹介します。

高速道路の女
 稲川さんは、1977~78年頃の6月、オールナイトニッポンの放送を終えて、ディレクターと送迎車に乗って帰りました。中央自動車道の三鷹を過ぎたあたりで、道路を斜めに遮断するように灰色の霧が立ちこめていました。それを抜け、何気なく道路脇の標識を眺めていると、遠くに黒い着物を着た黒髪の女性が立っているのに気づきました。近づくにしたがって、顔だけが見えるようになり、さらに身体全体が透けているのに気づきました。そして、すぐ手前まで来た時に、いきなり首だけが宙を舞い、フロントガラスを突き抜けて、稲川さんとディレクターの間を通り抜けていったのです。



 稲川さんは、国立の自宅へ帰りましたが、寝つけないので妻のいる2階の寝室から出て、1階のソファで横になっていました。すると、朝の5時頃、妻が起きてきて「友人はどうしたのか」と尋ねてきました。稲川さんの後ろから入ってきて、部屋をグルグルと回っていた人がいるというのです。
 翌日、一緒に帰ったディレクターから電話が入り、「誰かと一緒に車から降りなかったか」と聞かれました。ディレクターによると、自分と稲川さんと運転手以外に誰かが乗っていたような気がしたというのです。そしてその日の内に、有名な人形使いである前野(マンガでは松岡)さんから連絡が入り、「呪女十夜」という人形芝居に出演することとなりました。
 稲川淳二がオールナイトニッポンのパーソナリティーをつとめていたのは、1976年4月~9月(水曜2部)と1976年10月~77年9月(月曜2部)である。

芝居前夜
 京王線の幡ヶ谷で人形芝居の打ち合わせがありました。メインになる人形は2体、少女と少年でした。人形はできていませんでしたが、その完成図を見たとき、稲川さんは驚きました。少女の人形が、先日、中央自動車道で遭遇した女とまったく一緒だったからです。
 完成直後の人形を見ると、右手と右足がなぜかねじれてつけられていました。人形作成者に連絡をしましたが、まったく音信不通状態になっていました。
 台本作家の自宅が全焼し、台本が焼失してしまいました。「呪女十夜」の台本ができた直後に、その台本がおいてあった書斎から出火したのです。
 練習中、前野さんが気になって父の家へ連絡を入れると、父の世話をしてくれていた従兄弟が部屋の中で変死していました。
 慰労のために稲川さん宅で飲み会をやったのですが、翌日、タンスを開けると、芝居用の衣装の棚だけが水をかぶっていました。そして、泊まったメンバーの鞄の中に水が溜まっていました。また、スタッフの多くが、右手・右足に怪我をしていました。

呪女十夜
 公演初日、昼の舞台直前に出演者の多くが原因不明の金縛り状態になり、動けなくなりました。そのため、夜の部に観客をひとまとめにして初日とすることになりました。夜の部までの間に神社からお札をもらいました。
 出演者が、人形操演のための黒子は7人のはずなのに、8人いるというのです。稲川さんが舞台のそでに立っていると、そばに一人の黒子がいるのがわかった。舞台監督だろうと思ってやり過ごしましたが、彼は別の場所にいました。稲川さんも黒子が一人多いことに気づきました。
 舞台上で突然人形が涙を流しはじめました。そして、いきなり右手が吹き飛んだのです。
 人形を棺桶に入れる場面で、いきなり桶の底が抜け落ち人形がバラバラになってしまいました(人形の重さは8kg)。しかも、設定にないにもかかわらず、ドライアイスのような煙が立ちこめ、観客が大勢入っているにもかかわらず、場内が寒くなっていきました。


 声優の杉山加寿子さんが老婆に扮して、白いかつらをかぶり、頭に蝋燭を立てて舞台に出てきた瞬間、かつらに火が引火して危うく大惨事になるところでした。練習でも一度もそのようなアクシデントになったことはありません。
 このような怪異が立て続けに起こったため、早く終えたかったのにもかかわらず、次の公演を行う劇団の都合によって公演を2日延長して欲しいと言われました。全員が反対する中で、人形使いの前野さんだけが延長を主張しました。そして、その日の晩に前野さんの父親が亡くなりました。

3時にあいましょう
 公演の怪異を聞いて、TBSの「3時にあいましょう」という番組で人形の特集をすることになりました。当日、なぜか前野さんが人形に執着して手放さないのです。よく見ると、おかっぱ頭の人形の髪が耳あたりの長さだったのが、肩あたりにまで伸びていました。
 リハーサルをはじめた瞬間、そのスタジオだけ停電、セットも倒れてしまいました。そしてつり下げてあった照明が落ちるというアクシデントも起こったのです。
 生本番で、司会者が話題を振ってカメラが人形にズームインした瞬間、後ろにつり下げてあった黒幕が落ちて、人形にかぶさってしまいました。幕はいくつもの紐によって吊られており、それが一度に切れるということはありえません。それからしばらくして、スタッフの一人が急死したというのです。

東京12チャンネル
 TBSの話を聞いて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)も特集を組むことになりました。そこで、行方不明だった人形の製作者を捜し出しました。彼は京都比叡山あたりの山奥で仏像を彫っていました。ところが、彼はそのような人形を作った覚えがないと断言しました。
 京都ロケでは、小松方正さんとスタッフが京都で会うことになっていましたが、買った切符が全部時間がちがっていたりして、結局、小松さんと会うことができなくなりました。後日、製作者へインタビューをしましたが、同時刻にディレクターの妻が原因不明の発疹が顔にでき、切符を手配した人の子どもは交通事故、構成作家の飼っていた犬は原因不明の病気になりました。
 スタジオ撮りを開始すると、立て続けにカメラが3台壊れました。最後には、撮影本番中にもかかわらずスタジオの扉が何者かによってガンガン叩かれました。しかし、扉を開けてみましたが、外には誰もいなかったのです(このフロアには人間が隠れることができるような死角はない)。このような怪異が続いたため、2週間もかけて制作された番組はボツとなりました。

霊視
 稲川さんは人形を持って霊媒師・久慈(マンガでは久郷)さんのところへ相談しに行きましたが、強く拒否されました。無理にお願いして、布を巻いたまま人形を霊視してもらったところ、この人形には多くの霊が取り憑いており、中でも一番強烈な霊は、戦前に赤坂にあった「青柳」という料亭の7才になる娘で、空襲によって右手・右足を吹き飛ばされて亡くなったといいます。また、この人形には対の人形(少年)があり、こちらも何かが取り憑こうとしていると言いました。
 久慈さんはこの人形の霊視をした当日に倒れ、そのまま意識を回復することなく、3日後に亡くなっています(マンガでは久慈さんの死についてふれていない)。

記念撮影
 人形を寺に納めることにしたので、人形を愛する前野さんのために記念撮影をすることにしました。そして、立木義浩さんのスタジオで写真を撮って現像すると、人形は目を大きく見開き、口を開けて笑い、胸が大きくふくらんでいました。この変異にもかかわらず、前野さんは人形を所持し続け、人前に出さないぐらい偏愛するようになりました。

プラスα
 一連の事件から3年後の1982年夏に、大阪朝日放送の「プラスα」という番組から人形の話をして欲しいとの依頼がありました。ゲストは稲川さんと人形を持ってきた前野さんと地元の霊媒師です。ところが、出演予定だった霊媒師は、当日放送スタジオの前まできて交通事故に巻き込まれ、急遽、代役が立てられました。
 当日、スタジオに着くと、異様な音が鳴り響いていました。スタジオにいた誰もがその音を聞き、効果音のように思っていましたが、音声担当者は音を流していなかったのです。
 本番前、大道具係が人形を載せた台を取り囲むついたての中を覗くと、一人の少年が中に座っていました。フロアスタッフと一緒に確かめると、少年は「この人形、どうやって操るの」と尋ねてきました。ディレクターが観客をおどかそうとして、人形を動かす子役を起用したのだと思っていました。
 稲川さんの後ろの暗幕が奥へ引っ張られるように動き出しました。代わりの霊媒師が到着すると、その幕のあたりに男の子がいるといいます。さらに、観客席の主婦にどくように言うと、いきなりその頭上にあった照明器具を取り付けたバーが大きく揺れだしました。さらに、他の吊り下げ看板が揺れ、セットが倒れ出します。
 生本番スタート後に、女子社員がスタジオに駆け込んできて「モニターで見たら、稲川さんの肩の上と人形の上に同じ男の子が映り込んでいる」といいます。さらに「テレビに男の子が映っている」という電話が殺到しました。その男の子は本番前に大道具係が見た男の子でした。結局、番組はパニック状態のまま終了しました。



 ある心霊サイト(すでに閉鎖)のBBSで知り合った人が、この放送を見ていたそうです。彼によると、混乱していて、何がなんだかわからないうちに終わってしまったそうです。彼はこの放送が「生き人形」がらみの放送だと知らなかったので、「しまった。ちゃんと見ておけばよかった」とカキコしていました。

民宿
 「プラスα」終了直後、事務所スタッフの一人の親元が経営する伊豆の民宿へ行くことにしました。前野さんも人形を持って行くことにしました。新幹線で大阪から三島へは3時間程度で着くはずなのに、どこをどう行ったのかわからないのですが、三島駅に到着したのは終電時刻だったのです。
 民宿から車の迎えが来て向かったところ、山道の前方を白い影が走っていくのに気がつきました。よく見ると、それらは軍服を着た兵隊の集団でした。そして、宙を飛ぶようにこちらへ向かって飛んできたのです。
 民宿へ到着した途端、前野さんは人形をくるんでいた布を取り外しました。すると、人形の顔はどす黒く変色し、目を見開き、口元が大きくゆがんでいました。大騒ぎしていると、民宿のお母さんが人形の供養のために着物を作ってあげようと言ってくれました。

「呪女十夜」の再演
 「プラスα」の事件があった年(1982年)の秋に「呪女十夜」の再演がありました。前野さんは、さすがに怖かったので、別の人形を使用して舞台に立ちましたが、その公演の打ち上げパーティーから失踪してしまいます。約2ヶ月後、ひょっこり稲川さん宅を訪れたときには、前野さんはやせこけて髪も真っ白に変貌していました。そして、大きな目玉のポスターを貼ったり、意味不明なことを喋ったりして、精神的にも変調をきたしていました。

 永久保さんのマンガはここで終わりですが、「生き人形」の怪異はその後もつづきました。ここから先はネットなどで集めた話です。

ルックルックこんにちは
 1986年、日本テレビでも人形の話をして欲しいとの依頼があり、今度はビデオで収録することになりました。撮影は8畳の間でおこなわれ、全員で6人の人間が入ったにもかかわらず、クーラーなしでも寒さを感じるほどでした。そして、照明の加減であり得ないはずなのに、マネージャーのそばに影ができていました。しかも、マネージャーが動いていないのに、その影は動いてしまったのです。
 話が最高潮になったとき、稲川さんの腕時計がいきなり破裂しました。しかし、腕時計本体だけが破裂しただけで、他には何も異常がなかったのです。
 この録画が放送された「ルックルックこんにちは」の生本番中に「11時の方向へ…カメラを回せ」という声が流れ出し、そのまま放映されてしまいました(ただしこれは別のコーナーでの話だそうです)。

カセットテープ
 稲川さんは、1987年に『秋の夜長のこわ~い話』というテープを発売し、「あやつり人形の怪」のタイトルで、生き人形にまつわる怪異を発表しました。しかし、このテープを再生すると、白い煙が出たという噂が流れました。

人形使いの死
 カセットテープ発売後のあるとき、深夜に前野さんから稲川さんへ電話がありました。翌日からヨーロッパへ人形芝居の公演へ行くというのです。しかし、翌日の新聞に前野さんの自宅が全焼し、前野さんも焼死したという記事が載りました。それによると、稲川さんが電話を受けていた同時刻には、火災は起こっていたのです。
 あの人形も自宅の全焼で焼けてしまったと思っていましたが、後になって、製作者の元にあることがわかりました。前野さんが前日に、公演旅行へ行くので預かって欲しいと言って、初めて手放していたのです。

お姉ちゃん
 親元が例の民宿を経営していたスタッフが結婚して子どもが生まれました。ところが、子どもが3才頃になると、夜に誰かと喋っているのです。聞いてみると“お姉ちゃん”が来ているといいます。その“お姉ちゃん”は小さくて、おかっぱ頭の着物姿で、お母さんを捜しているというのです。そのお母さんとは“着物を作ってくれた人”であるといいます。
 人形を預かっている製作者のところへ人形の所在を確認すると、人形は着物ごとなくなってしまっていると報告を受けます。時期から考えて、子どものところへ“お姉ちゃん”が現れはじめた頃から見当たらなくなったようなのです。

稲川事務所
 事務所の者から、おかっぱ頭の少女がときどきドアの影から事務所内を覗いていると報告を受けました。しかし、稲川さんの事務所はビルの9階にあり、偶然のぞき込んだとは考えられない状況でした。
 稲川さんが仕事の関係でこの事務所に泊まったとき、自分以外の誰かが廊下をひたひたと歩いている音が聞こえてきました。そのあと、歩いていたと思われる場所へ行くと、なぜか水溜まりができていました。そして、9階なのに、窓の外から女の子がこちらを見ているような気に襲われたのです。

1枚の写真
 稲川さんは“お姉ちゃん”と会っていた少女と再会しました。少女は小学生になっていました。そして、少女は1枚の写真を見せてくれました。それは、稲川さんと前野さんの弟子と人形が一緒に写っているのですが、このような写真を撮る機会はなかったはずなのです。しかも、その写真は例の民宿のお母さんのタンスから出てきたというのです。そして、そこに写っている人形をさして、少女は「これが“お姉ちゃん”」と言ったのです。
 この頃までに少女は、右腕に2回も縫合手術が必要なほどの大ケガをしていました。ただし、大きなケガはそれだけです。

再びテレビ東京
 あるとき、テレビ東京から「倉庫から人形の胴体が出てきたので取りに来て欲しい」との連絡がありました(この人形は、早変わりのため、胴体が二つ作られていた)。マネージャーが行ったのですが、テレビ東京にはそのような倉庫もなく、電話した人間もいなかったのです。しかも、よく考えると、胴体だけであの人形であるとわかるはずがないのです。

1999年
 稲川さんは例の少女と再会しました。中学生になっていた少女は「いつかあの人形と会える。人形は待っている」と言いました。そして、このような家の中で待っている、と言って、家のスケッチを描いて見せました。その家の造りを見てスタッフは驚愕しました。それは、8月13日の舞台で使うセットと全く同じだったのです。

『永久保貴一の極めて怖い話~F/E/A/R 2~』~このマンガ怖すぎます~

2005年02月07日 22時08分10秒 | 心霊
 恐怖マンガ家の中で誰がいちばん怖いか?というと、やっぱり永久保貴一さんでしょう。とくに彼の実録モノはホントに怖いです。だって、あまりに怖いんで、連載が2巻までしか続かないんだもん。長久保さん本人だけでなく、スタッフや編集者までがひどいめにあうんだから。。。
 そんな長久保さんの『永久保貴一の極めて怖い話~F/E/A/R2~』(白泉社、2002年)を紹介しましょう。ここでとりあげられているのは、岐阜県加茂郡富加町の町営住宅でおきた幽霊騒動です。
 1999年に建設された町営住宅での最初の怪異は奇妙な音でした。おかしな音が毎夜響きわたり、子どもの走りまわる音、赤ん坊の泣き声、天井を走りまわる音がしました。つづいて、家電製品の異常です。テレビのチャンネルが勝手に変わり、替えたばかりの蛍光灯がすぐ切れ、コンセントの入っていないドライヤーの音がしたりしました。さらに、勝手にモノが動きました。トイレのカギが内側からかかり、カーテンが開き、シャワーから水が勝手に出、ガビョウが飛び、食器が目の前で飛びました。そして、幽霊が出現します。ベランダから外を見たら空中に人の生首が浮いていたり、階段で女性の幽霊が見られたり、子どもが誰もいないのに「おばちゃん、バイバイ」と言ったりしました。
 2000年9月、あまりの怖さに自治会が祈祷師を呼び、お払いをしてもらいました。その代金を町に請求したため、それがニュースになり、10月には、マスコミ、やじ馬、霊能者が押し寄せ、大騒動になったのです。公式には、11月に有名な霊能者下ヨシ子さんがこの騒動を鎮めたことになっていますが、どうやら事実はちがうようです(だからといって、下さんがインチキだというわけではありません。念のため)。それをあつかったのがこの作品です。
 長久保さんはこの話の前に『F/E/A/R~恐怖という名のコミック~』(白泉社、2001年)で、有名な心霊スポット・オイラン淵をあつかいました。そのときは、白泉社の門野くんという新人編集者が女性の霊につきまとわれ、たいへんな恐怖体験をしてしまいました。そのため、門野くんに代わって、新しい担当編集者の藤原くんが永久保さんとともに富加町営住宅に行きました。













 藤原くんに憑いた神様は、いったん離れるのですが、古墳を調査し、問題の神社についたとき、ふたたび憑いてしまいます。そして、神様は藤原くんに憑いて来てしまい、東京の白水社の『ヤングアニマル』編集室で大暴れすることになります。








 神様を見てマジびびりしているのが、前回の犠牲者・門野くんです。この神様は幽霊を呼んでしまうらしく、白泉社のあるビルでは神様のいる間じゅう、幽霊が目撃されたようです。そして、『ヤングアニマル』にこの作品が発表されると、神様は戻っていったらしく、怪異はやんだそうです。
 下ヨシ子さんが富加町営住宅にきたのはこの騒動の間だったようで、下さんは残っていた幽霊を抑えただけのようです。じつは、その下さんですが、どうやら神様の相手をしなければならなくなったらしく、この番組でたいへん苦労していました。
 藤原くんは、この取材がきっかけで十二指腸潰瘍になってしまい、その後も、肝機能障害、さらに医療ミスで死にかけたそうです。前回のオイラン淵で、門野くんは、女性の幽霊に追いまわされて、車で事故を起こしました。長久保さんも、前回の作品執筆中にお父さんが亡くなり、本人も腱鞘炎で苦しんだそうです。
 というわけで、この作品、つぎが出ません。もう誰も担当をしたくないからなんでしょうね。w

「東海道四谷怪談」の概要(はじめに)

2005年01月23日 17時32分01秒 | 心霊
 以前、「東海道四谷怪談」(以後、「四谷怪談」)のもととなった「四谷雑談(よつやぞうたん)」を紹介しました。しかし、「四谷怪談」については、説明しませんでした。「四谷怪談」は四世・鶴屋南北によって書かれ、1824年に上演された歌舞伎の演目です。ここでは、『お岩と伊右衛門~「四谷怪談」の深層』(高田衛・著)を用いて、その概要を紹介します。長いので2つに分けて掲載します。
 「四谷怪談」の初演は、1702(元禄15)年の赤穂事件*1を題材とした「仮名手本忠臣蔵」(以後、「忠臣蔵」)*2とともに、2日がかりで演じられました。ストーリーがわかりにくかったので、再演からは1日上演になりました。ストーリーがわかりにくいにもかかわらず、そのようにしたのは、「忠臣蔵」が義士の話であるのに対して、「四谷怪談」は不義士の話として、裏表の関係にあるからです。
*1 赤穂事件【あこうじけん】
 播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(「忠臣蔵」では"塩冶判官[えんやほうがん]")切腹の原因をつくったとして、旧藩士のうち47人が1702(元禄15)年12月14日、江戸幕府高家・吉良上野介義央(同じく"高野師直[こうのもろなお]")邸を襲撃した事件。元家老・大石内蔵助良雄(同じく"大星由良之介")ら襲撃浪士は、翌年2月4日、幕府から切腹を命ぜられた。

*2 仮名手本忠臣蔵【かなでほんちゅうしんぐら】
 浄瑠璃。11段。時代物。2世竹田出雲・三好松洛・並木千柳(宗輔)合作。1748(寛延1)年8月14日より11月中旬まで大坂竹本座初演。赤穂義士の仇討事件を太平記の世界に移して脚色、先行の義士物を集大成した。全段を四季に配し、時代と世話が調和し趣向に富み、人物の配置と造型が秀逸で、忠義と恋と金銭の葛藤、人情・世態風俗の描写に優れ、浅野家臣に対する世間の共感を得て、上演回数は極めて多い。興行中、人形遣い吉田文三郎と竹本此太夫が対立して、此太夫が豊竹座へ移り、竹本・豊竹両座の芸風が混淆した。同年12月歌舞伎でも初演。以後小説・実録類の一系譜となった。

「東海道四谷怪談」の概要(前半)

2005年01月23日 17時30分57秒 | 心霊
●序幕(初日序幕)
(一)浅草境内の場
 江戸町人の信仰を集める浅草観音の境内は今日も賑わっている。とある茶見世では、参詣客の通人やら商人やら、風態のわるい地廻りまでが、茶を飲みながら、あれだこれだと勝手な事を言っている。ここで目立つのは、上手(右手)の楊子店で楊子を売っているお袖(お岩の妹、塩冶浪人・四谷左門の娘)の美貌であった。しぜんにその娘の話題になるが、茶見世の「かか」の話では、その娘も人に隠れて売春をしているという。騒然となるところヘ、参詣帰りらしき、供を連れた身分の高い老武士の一行がやってくる。供の医師・尾扇(びせん)との会話で、彼が当時権勢筆頭の、高野師直の家老で、伊藤喜兵衛といい、声高に塩冶の家の失脚をそしり、おのれの栄華を誇っているが、孫娘のお梅がある待にぞっこん惚れて、何が何でも、たとえ妻子ある人であっても、その人が忘れられずに、気鬱の病となっていること、伊藤喜兵衛がその孫娘のためなら、「たとえ金に飽かしても(その男を)聟に取る」という気でいることがわかる。
 折しも、そこへ藤八五文(とうはちごもん)の二人の薬売りが来かかる。一人は帰ったが、残る直助は、実は元塩冶藩の奥田家に仕える中間であったが、四谷家娘のお袖に片思いして、今は楊子店で売子をしているお袖に盛んに言い寄る。しかしお袖には、まったくその気はなく、にべもない応答。
 伊藤喜兵衛が、お袖の店から楊子を買おうとすると、先程の塩冶家への侮蔑のことばを聞いたお袖は、はねつける。伊藤はさては塩冶のゆかりかと悟り、言いがかりになり、直助が止める。
 その時、反対側で騒ぎが起きる。見ると四、五人の乞食が、彼らの縄張のなかで、ことわりなしに物乞いをした老武士を捕えて、その老武士こそ、塩冶浪人・四谷左門だが、貧に迫られて乞食をしたのだった。詫びを入れてもきかず、踏んだり蹴ったりの乱暴。その騒ぎのなかヘ、人だかりを押し分けて、一人の浪人姿ながら、りりしい男が仲に入る。金を乞食らに渡して、四谷左門を救い出し、その上で、丁寧に妻と復縁させてくれと頼む。この水ぎわだったいい男こそが民谷伊右衛門で、四谷の娘お岩と好き合って結婚したのだが、親の左門によって仲をさかれ、お岩を取り返された男であった。
 伊藤の孫娘は、その伊右衛門をただうっとりと見惚れており、「これは」と悟った喜兵衛は伊右衛門の挙動をじっと見ている。
 さて、四谷左門は伊右衛門の頼みをすげなく拒絶する。その理由は、伊右衛門が、塩冶家の資金を横領した不義士だからである。伊右衛門は否認するが、左門は証拠まであげる。ここまでくると、伊右衛門は開き直って、左門の無礼を怒り罵倒する。
「もう頼まねえよ。とにかく舅だと思うからことばを尽し手を下げて、丁寧に話してあやまりもしたんだぜ。それにつけ上って何だ。手前は往来の人に物乞いをして、食うこともならねえ癖に、心が違うとか気に入らぬとか、やせ我慢の貧乏を助けてやろうと思うたのに、身のほど知らぬ老いぼれめが」
 左門は無視して去って行くが、自己の旧悪まで知られた以上は(生かしておけぬと)伊右衛門は見えかくれにその跡を追う。
 ここまで伊右衛門のしぐさを見ていた伊藤喜兵衛は、「これは」と思う。どうやら孫のお梅が恋うている、あの男(伊右衛門)は、塩冶に敵対する強力な味方になりそうだ。「それならあの男を、身うちにしてもいいのではないか」と思うとき、乞食に扮した塩冶浪人奥田庄三郎が、物乞いとして近づき、屋敷の移転を聞き出す。「さては、此奴は塩冶か」と喜兵衛は気づく。庄三郎の持つ廻文状が手に入って、「しめた」と思うが、そこを通りかかった小間物屋、実は佐藤与茂七が、廻文状をとり返す。その与茂七は、お袖の許婚者だが、この浅草境内で評判の楊子屋のお袖(おもんと称している)が、夜は地獄(売春宿)に出ると聞いて興味を持つ。先の直助も茶見世の「かか」から、お袖は隠れ売春をしていると聞いて、それはと喜び、出かけてゆく。

(二)薮の内地獄宿の場
 按摩の宅悦が経営している表向きは灸点所に見せかけた地獄宿が、お袖が、親姉にかくれて売春する家である。そこへ茶見世の「かか」に案内されて、直助がやってくる。直助の注文はもちろんお袖。やがてお袖がやって来て、客が直助と知って驚く。じつは客に呼ばれても、帯紐とかず、親の困窮、姉の病気とわけを話し、少しの志をいただくのがわたしの仕事と、お袖は打ちあける。そんならなおのこと、昔と違って商人になった自分には稼ぎがあるゆえ、世話をしたいと直助はくどくが、お袖は従わない。直助は金の入った胴巻をわたし、形だけでも共寝しようとお袖を寝所へ連れこむ。
 そこへ、今度は佐藤与茂七が女買いに来た。お袖は直助の部屋から呼び出され、喜んで与茂七の部屋へ来る。暗くしてあるので二人はお互いが分らない。お袖は、「これこれしかじかの仔細あって、恥しながら身は売らず、お客様のお気持だけの喜捨をいただきたい」と訴える。与茂七は、親のためなら吉原へ身を売るがよいと、お袖をなじる。屏風が倒れて明るくなり、「お袖ではないか」、「あれ、与茂七どの」と二人は驚き、お袖は恥ずかしがる。与茂七は許婚者(女房)の身売りを怒るが、お袖は逆に、そういう貴方はなぜこんな所で女買いをしているのかとなじる。痴話喧嘩じみた言い合いの後、それでも好いた同士、久しぶりの二人は抱きあう。
 直助は隣室で聞いていて、たまらず「泥棒め」と大声たてて騒ぐ。宅悦が出ると、「女の二重売りだ」と言う。与茂七、お袖も、見れば昔の下郎・直助ゆえ、叱りつけるが、直助はお袖に金を渡したのに、俺とは寝ずに、亭主といちゃつく。これが泥棒でなくて何か。なんならお袖を俺にちゃんと抱かせるかと、開きなおる。金の入った胴巻を、お袖から取り返した上、さんざんに二人を侮辱する直助の憎々しさ。
 そこへ藤八(薬売りで直助の相棒)が来て、直助の金を取り上げ、着物までまきあげて退場。宅悦も迷惑がり、与茂七もこのざまを嘲笑して、提灯を下げてお袖とともに退場。あとに残った直助は何かを決意して、与茂七の後をつける。

(三)浅草裏田甫の場(一)
 浅草裏田甫は乞食たちの溜り場である。乞食たちが、今日の出来事(伊右衛門からの貰い金)を喜んでいる。そこへ浪人・秋山長兵衛が登場し、酒屋の若い者にいいがかりをつけて、連行しようとしているが、中間・伴助と出会う。や若い者が消えた後、伴助は、民谷の日雇い仲間の小仏小平が、主家の名薬ソウキセイを盗んで逃げたという話をする。それはけしからぬ、探し出さねばと、二人は退場する。
 姿の奥田庄三郎が、先の佐藤与茂七と出会う。与茂七は、庄三郎が伊藤喜兵衛に突っかかり、廻文状を取られたような無用心を戒め、自分は今からすぐにこれを山科に知らせるために旅に出る、と言う。「では用心のため、自分のなり(姿)に変るとよい」と庄三郎は言い、その場で二人は、衣服を交換する。持っていた提灯も、与茂七から庄三郎に―。
 この二人が去ったところヘ、四谷左門が通りかかる。伊右衛門のごとき不義士には、娘お岩を渡せないと、ひとり言。ところが、その生垣から伊右衛門が出て、地蔵を蹴倒し、左門がつまずく所を、ばっさりと斬る。左門が立ち上るのを、蹴倒し、刀を振りあげる。

(四)浅草裏田甫の場(二)
 富士浅間神社の賽銭箱の見える浅草裏田宙の別な場所。
 直助が頬かぶりして、小間物屋・与茂七の衣裳を着た庄三郎を、出刃包丁で刺し殺している。
「与茂七め、宵の遺恨を思いしったか」と言いつつ、「そうだ人に分らぬように、面の度をはいでおこう」と、顔面の皮をくるくると包丁で巻きとる。包丁はかくす。
 そこへ左門がよろめき出る。伊右衛門が追ってきて立ちまわり、斬り殺してとどめをさす。
「老いぼれが、刀の錆となって自業自得だわえ、ざまあ見ろ」という。
 その声に直助が気がつき、二人は顔を見合わせ、お互いの人殺しを認めあう。そこへ人が来る様子で、二人はかくれる。
 お岩が登場する。手拭いを冠り、安下駄をはき、ござを持ち、その姿は夜鷹(よたか=街娼)である。父を心配する台辞がある。もう一人、今度は提灯を持ったお袖である。おたがいに気づき、姉の姿に、一言いうお袖。それに対してお岩も、お袖の「地獄」勤めの噂を言う。だが、二人はともに父のための、しがなく、わびしい勤めであることを、嘆きあわずにはいられない。
 やがて倒れている男二人の死骸に気づく二人。提灯の明りで見れば、一人は父の四谷左門、一人は衣類からどうやら佐藤与茂七。姉妹は思わず死骸にすがりついて、泣く。
「夜陰に何やら女の泣き声」と言いつつ、伊右衛門登場、左門、与茂七の死骸に大げさに驚くふり。そこへ直助も登場し、大げさに驚くふり。そして二人の女の前で、やにわに腹を切ろうとする。
「中間の身分で、お袖様を争って、先に喧嘩をした自分。きっと佐藤様殺しの疑いをかけられるであろう。死んでその疑いを晴らすしかない」と言うのである。
 伊右衛門はこれをなだめ、「二人を殺した程の相手は、さぞかし腕の立つ奴。とても女では敵討はできぬ。お前にその気持があるのなら、お袖の後ろだてとなって、敵討の助勢をするがいい」と言う。
 お岩は、目でお袖に合図しつつ(直助があやしいと知らせつつ)、お袖に直助と仮の夫婦になって、与茂七殺しの犯人を探せという。また伊右衛門は、四谷左門の敵を討つためにも、お岩と元通りの夫婦になろうと言う。それを、複雑な気持で、「嬉しうござんす」と答えるお岩なのである。伊右衛門、直助は、(にったりと)顔を見合せて幕。


●第二幕(初日中幕)
雑司ヶ谷四谷町の場
(五)伊右衛門浪宅の場
 貧しい伊右衛門の浪宅では、妻のお岩は初産が済んだばかり。伊右衛門は傘張りの内職をさておいて、仏孫兵衛(小仏小平の父)と、口入れ屋の宅悦を呼びつけ、家宝の妙薬ソウキセイを盗んで逃げた小平を探し出せと叱っている。ソウキセイは足腰の萎えに著効のある妙薬とか、とすればあの正直者の小平が、その薬を盗んだのは、前主人の塩冶浪人・小塩田又之丞が腰膝の疾病で臥っている、それを助けるためかと、孫兵衛は思案しながら帰る。しかし隣人の秋山長兵衛が、深川のあたりで小平を発見し、関口官蔵らと、小平を縛りあげて連れてくる。薬は無事に伊右衛門の手にもどる。だが盗人をただでは許せぬ、指を全部折ってしまえと、宅悦の制止をふりきって、泣きわめく小平に猿ぐつわをして、三人がかりでさんざんに小平をいたぶる。そこへ、隣家の伊藤家から乳母のお槙が沢山の見舞の品を持って、訪ねてくる。伊右衛門らは、とりあえず小平を押入に隠す。お横は、お岩の出産の祝いを丁寧に述べ、数多くの進物や酒肴を持ちこむ。その上、産婦にと、伊藤家伝来の血の道の妙薬を、伊右衛門に渡す。
 別室の戸をあけると、お岩が赤子を抱いている。お横はそのまま帰り、お岩や秋山らのすすめもあって、伊右衛門は高野師直の重臣とは知れていて、気のすすまぬ伊藤の家へ、それでも礼を申しに、秋山らと共に出向くことになり、宅悦には飯をたくように命じ、お岩には伊藤の家からの血の道の妙薬だと、薬袋を渡して出かける。
 その後、身体具合のわるいお岩は、日頃にまして冷たい伊右衛門を嘆きながら、伊藤の薬を呑む。すると突如として、猛烈な顔面の激痛におそわれる。宅悦があわてて介抱をするのだが、お岩の苦痛は止まない。そのまま、次の場面に舞台はかわる。

(六)伊藤屋敷の場
 伊藤の家、美々しい座敷で、伊右衛門、秋山、関口らが、伊藤後家・お弓や乳母お槙らに接待されて酒宴である。二人の若侍が持ってきた吸物椀の中には小粒銀がたっぷり。伊藤喜兵衛は、これ見よがしに小判を盥(たらい)で洗っていたが、折を見て、秋山、関口を別の部屋へ去らせ、民谷伊右衛門に向って、多額の小判を贈ろうとする。これは何ゆえかと驚く伊右衛門に向って、「実は」と、喜兵衛は隣室の襖をあける。
 振袖姿のお梅がいる。喜兵衛も、母のお弓も、お梅に今はすべてを話せと言う。喜兵衛、お弓、お梅のこもごもの話では、お梅は過日伊右衛門を見て恋をし、寝てもさめても忘れられず、やがて転宅して伊右衛門の隣家となって、彼が妻のいる侍と知った後も、この恋を捨てられず、せめて水仕女になっても貴方様の側において欲しいとの願い。
 喜兵衛もお弓も、妻がいるのは承知の上、孫娘のためには、伊藤の家のすべてをはたいても、伊右衛門にお梅の聟となってほしいと願う。
 聞きとった伊右衛門は、「いくら何でも妻のいる身が、その儀はお受けできない」と答えると、お梅は悲しみ、「あきらめます」と剃刀をとり出して、自害しようとする。それは短慮なと、一同で止めるものの、立ち聞きした秋山が、ここに入って、病弱な妻のお岩にこだわらず、この際伊藤の家に入ったらどうかと薦める始末。「世間の手前というものがある。今さらお岩を捨てることはできない」と、伊右衛門は拒む。
 と、何を思ったか、伊藤喜兵衛は、「そういう事なら、私を殺して下さい」という。それはなぜか。喜兵衛は続けて、実はお岩に呑ませた血の道の薬というのは、それを呑めばすぐにも面態が醜く崩れる毒薬であるという。生命に別状はないけれども、お岩が醜い姿となれば、伊右衛門の気持も変るだろうと、ただ孫娘の不憫さに、鬼となって、お岩殿に毒薬を盛ったのはこの私、「さあ殺して下さい」と迫るのである。お梅もまた「死にたい」と言う。
 あまりの話に驚きながら、考えこんでいた伊右衛門は、ついに「承知しました。お岩を去っても、娘御を貰い受けよう」と答える。「その代りに、高野へ推挙を」、喜兵衛はそれはもちろんのことと喜び、秋山は「それでは、わしが仲人に」と、ここで事態は大きく変って、場面転換。

(七)元の伊右衛門浪宅の場
 薄暗くなった室内にお岩が倒れている。宅悦が行燈に灯を入れて、その明りで見ると、お岩の顔貌は一変している。宅悦は腰を抜かすばかり驚くが、あえて口にせず、「油を買いに行く」と言って外へ出る。
 入れ替わりに伊右衛門、「喜兵衛はああ言ったが、お岩の顔はどうなったか」と独言しつつ帰る。お岩を見ると、すさまじい顔。伊右衛門もあきれるが、お岩が心細く、「わたしはいずれ死ぬでしょうが、そのあとよもや」と言いかけると、わざと非情に、「持ってみせるわ。新しい妻をの」と言う。お岩は「敵討の約束は」と言うと、「今どき古風な敵討、俺はいやだ」と突っぱねる。お岩が、「お前さんは新しい女に、わが子を見替えるのか」と言うと、「見替えないでどうするものか」。いやなら出て行け。お前が他の男と不義をしたから、俺も見替えると、とにかくお岩を追い出すための無理難題を言う。お岩は否定するが、伊右衛門はお岩の相手はあの宅悦だと言い、女の為に金が要るのだと、お岩の母の形見の櫛、着ていた衣類、それに赤子を寝かしていた蚊帳まで奪って家を出る。しかも途中で油を買ってきた宅悦に出会い、お岩と不義をしなければ斬るぞと、脅して―。
 宅悦はやむを得ず、戻ってきた後にお岩の側へ寄り、お岩の手をにぎりながら口説く。お岩はきっとなって、「慮外者め」と、あたりにあった小平の脇差を振りまわす。
 宅悦は逃げまわって、「嘘でございます。何を好んでお前のような悪女と不義をするものか」と、懐中鏡を渡して、お岩に自分の顔を見ろと促す。
 それまでお岩は自分の顔が、かくも無残にただれ崩れて妖怪めいた変貌をとげているのを知らなかった。今、鏡を突きつけられ、どうにも信じられないが、二度見て、三度見て、自分が伊右衛門と伊藤の悪計のために、ここまで醜く変貌させられたのかと、口惜しがる。
 宅悦は、伊藤喜兵衛の悪計、伊右衛門が伊藤の孫娘お梅に入聟するため、今やお岩を追い出しにかかっていることなど、全部をお岩に話してしまう。「間男せねば斬り殺すと脅されても、今のお前と不義などできるものか」と宅悦。
 だまされ、踏みにじられ、毒を呑まされた口惜しさ、怒り、お岩はここで変ってしまう。「もうこの上は気をもみ死に、息ある内に伊藤喜兵衛めを」と、よろめきながら出かけようとする。しかし、あまりにひどい自分の姿、「せめて女の身だしなみ」と、宅悦が止めるのを退けて、鉄漿(おはぐろ)道具を取り寄せ、髪を梳(す)き、口を染める。以下は台本の引用。
 お岩 髪もおどろのこの姿、せめて女の身だしなみ、鉄漿(かね)など付けて髪梳き上げ、喜兵衛親子に詞(ことば)の礼を
ト思ひ入れあり
 お岩 コレ、鉄漿(おはぐろ)道具拵(こしら)へてこゝヘ
 宅悦 産婦のおまへが鉄漿付けても
 お岩 大事ない。サ、早う
 宅悦 スリヤどうあつても
 お岩 エヽ、持たぬかいの
トじれて云ふ。宅悦、びつくりして
 宅悦 ハイ
ト思ひ入れ。これより、独吟(どくきん)になり、宅悦、鉄漿付けの道具をはこぶ事。蚊いぶし火鉢へ鉄漿をかけ、山水(さんすい)なる半挿(はんざや)、粗末なる小道具よろしく、鉄漿付けあつて、件の赤子泣くを、宅悦、かけ寄り、いぶりつける。この内、唄(うた)一ぱいに切れる。お岩、件の櫛を取つて、思ひ入れあり、
 お岩 母の形見のこの櫛も、わしが死んだらどうぞ妹へ。アヽ、さはさりながら、お形見のせめて櫛の歯を通し、もつれし髪を、オヽ、さうぢや
トまた唄になり、件の櫛にて髪を梳く事。赤子泣く、宅悦、いぶりつける。お岩は梳き上げし落ち毛、前へ山のごとくたまるを見て、櫛も一ツに持つて
 お岩 今をも知れぬこの岩が、死なば正しくその娘、祝言さするはコレ眼前、たヾ恨めしき伊右衛門殿、喜兵衛一家の者どもも、なに安穏におくべきや。思へば[思へば]、エ、恨めしい
ト持つたる落ち毛、櫛もろともに一ツにつかみ、きつとねぢ切る。髪の内より、血、たら[たら]と落ちて、前なる倒れし白地の衝立へその血かゝるを、宅悦、見て
 宅悦 ヤヽヽヽヽ。あの落ち毛からしたたる生血は
トふるへ出す、
 お岩 一念とほさでおくべきか
トよろ[よろ]と立ち上り、向ふを見つめて、立ちながら息引き取る思ひ入れ。宅悦、子を抱き、かけ寄って
 宅悦 コレお岩様[お岩様]、モシ[モシ]
ト思はずお岩の立ち身へ手をかけてゆすると、その体、よろ[よろ]として、上の屋外へばつたり倒るゝ。そのはずみに、最前投げたる白刃、程よきやうに立ちかゝりゐて、お岩の喉のあたりをつらぬきし体にて、顔へ血のはねかへりし体にて、よろ[よろ]と屏風の前をよろめき出て、よきところに倒れ、うめいて落ち入る。宅悦、うろたヘ、すかし見て
 宅悦 ヤア[ヤア]、あの小平めが白刃があつて、思はず止めもコリヤ同前。サア[サア]、大変。
トうろたへる。この内、すごき合方、捨鐘(すてがね)。この時、誂(あつらへ)の猫一疋出て、幕明きの切溜(きりだめ)の肴(さかな)へかゝる。宅悦見て、
 宅悦 この畜生め。死人に猫は禁物だハ。シイ[シイシイ]
ト追ひ廻す。猫逃げて障子の内へかけこむ。宅悦、追うて行く。この時、簿ドロ[ドロ]にて、障子べたら[たら]と血かゝる。とたんに欄間よきあたりヘ、猫の大きさなる鼠一疋、件の猫をくはへて走り出る。猫は死んで落ちる。宅悦、ふるヘ[ふるへ]見る事。この時、鼠はドロ[ドロ]にて心火となつて消える
 宅悦 コリヤ この内にはゐられぬ
ト袍子(だきご)を捨て、向ふへ逃げ行く。

 逃げ出した宅悦は伊右衛門と出会う。伊右衛門、内へ入ってお岩を探すが、見つからない。大きな鼠がぞろぞろと出て、赤子の衣類をくわえて引きずってゆく。伊右衛門は赤子を抱き、お岩の死骸を見つけ、小平の脇差が咽喉に立つのを見て、あわてて押入をあける。小平は最前のまま、猿ぐつわに手足は縛られている。
 猿ぐつわを外すと、小平は、「且那様、エエあなたという人は、ひどい人だ」と抗議する。伊藤と腹を合せ、お岩の面体を崩す薬を呑ませ、自分は伊藤の孫娘と祝言して、それが侍のすることか、と言うのである。
 伊右衛門の悪知恵は、とっさの機転で此の小平をお岩殺しの犯人に仕立て、「お岩の敵だ、くたばれ」と、ずたずたに斬り殺す。秋山、関口が出てきて、伊右衛門はお岩・小平は不義の成敗によって、斬ったと言う。
「それでは両人の死体を戸板に打ちつけ、姿見の川へ流そう」と秋山、関口が、死骸を戸板に打つと、死んだ小平の両手の指が、蛇になってうごめく。
 中間の伴助が、伊藤の一行の到着を知らせるので、秋山らは死体を奥へ運び、喜兵衛は紋服・衿、花嫁衣装のお梅の手を引いて登場する。
 喜兵衛・伊右衛門は、いまお岩が死んだ此の家で、内祝言をあげたお梅との、初夜をすませようというのである。さすがに、お梅と乳母のお槙は気にするが、大事ない、大事ないと言うのは喜兵衛、そして伊右衛門。母を失って泣く赤子の乳母代りだと称して、喜兵衛もこの家に泊りこむ。
 お槙も供の者も、皆々を返し、伊右衛門はひとりになる。屏風のかげにはお梅が待っている。外から秋山らが、「戸板の二人は川へ流して始末はついた」の声。
「ハテ、ものごとはこうもうまくゆくものか」と、伊右衛門は屏風をひらき、お梅に近づく。
「恥しがらずに、今こそ我が夫(つま)と言ってくれるか」と声をかけると、「アイ」と答えて綿帽子をぬいだお梅は、お岩の顔である。伊右衛門を恨めしげに見て、ケラケラと笑う。
「うわっ」と伊右衛門は刀を抜いて、ポンと斬ると転り落ちた首はお梅。鼠がたかる。
「ヤヽヽ、これはお梅か、早まったか」
 と伊右衛門は、喜兵衛に、「これ、舅殿、えらい事になった」と声をかける。ふり向いた喜兵衛の顔は小平の顔で、赤子を喰って口のまわりは血だらけである。
「おのれ、小平め」
 と、伊右衛門が刀を振うと、首は落ちたが、よく見ると、それは喜兵衛の首であった。
「ヤ、斬ったのはやはり舅か。こんな所にうかうかとは居れぬ」
 と、伊右衛門、出口へ行き、戸をあける。戸はぴしゃりと、ひとりで閉まる。伊右衛門びっくりし、たじたじと後にさがる。ドロドロと幽霊の音のうち、心火が燃え上がる。伊右衛門、ぎょっとして、「はて、執念の」と、どさりと坐る。「なまいだ、なまいだ」と手を合せて拝むうちに幕。