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運動によって無我の境地になるということについて、似たような経験を、『宝島』の作者R.L.スティーブンソンが記している。彼は若いとき、アントワープからパリの北、ポントアァズまで、小さなボートで運河や川を伝って二百キロメートルの旅をした。その記録が旅行記An Inland Voyageである。この中でかれはひたすら櫂をこぐことについて書いている。二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」(吉田健一訳)と言っている。
これは座禅断食に行う数息観(呼吸をひたすら数える)ことと一緒である。
自転車も悟りの道具なのだ。
運動によって無我の境地になるということについて、似たような経験を、『宝島』の作者R.L.スティーブンソンが記している。彼は若いとき、アントワープからパリの北、ポントアァズまで、小さなボートで運河や川を伝って二百キロメートルの旅をした。その記録が旅行記An Inland Voyageである。この中でかれはひたすら櫂をこぐことについて書いている。二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」(吉田健一訳)と言っている。
これは座禅断食に行う数息観(呼吸をひたすら数える)ことと一緒である。
自転車も悟りの道具なのだ。
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