
12月22日14時。新東名の御殿場JCT-浜松いなさJCT間145kmの完全6車線化が実現し、最高速度も正式に120km/hに引き上げられたそうです。
11月下旬の旅でしたが、原稿が完成したのは12月の下旬です。
有名な『伊勢物語』の「東下り」では、「昔男」は、もう自分は京の都にはいるまいと考え、仲間数人と東を目指して旅をします。
私は、自宅に居場所がないわけではありませんが、一人でクルマを供に東を目指します。前回の富山行き同様に出発時の天気がよくありません。前夜から雨でした。南から風が吹き込んでいるらしく、11月後半としてはぬるい。8時の出発時で19℃。潤いのある紅葉の景色と気温が合いません。
新東名はアップダウンも少なく、一定の速度で走れるので燃費にも優しいみたいです。このクルマで24.7km/Lってたぶん新記録。
天気予報では西から東へ順に雨が上がっていくらしいのですが、どうやら去り行く前線の下を走っているようで、名神から新東名に入っても、降ったり止んだりの繰り返しです。もう上がるか、もう上がるかと思いながら藤枝岡部ICを降り、国道1号線のバイパスを通って362号、150号線で右手に海辺を見ながら、日本平に着いたのが16時過ぎ。どうにか雨は上がった模様ですが、曇天でもありすでに薄暗い。気温は20℃。
日本平という地名を初めて知ったのは、中学校時代だったと思います。トランシーバーの広告でした。ここまで飛びます、交信できますというものだったと思いますが、それ以降、日本平という単語を忘れていたように思います。「日本」というような大きなネーミングの割に、標高の低い(307m)、都市に近いそれも海辺にあるって不思議な感覚です。
天気が悪い上に夕方。人気(ひとけ)はほとんどありません。どちらかといえば昭和の香りがする観光地のように思いますが、その中で2018年にオープンしたという「日本平夢テラス」を訪れました。入り口で消毒、検温。スタッフの女性が迎えてくれますが、館内にはほんの数人の入場者。八角形、ウッディでルーミーな建物。これは平成色、令和色を感じる建物です。日本平という名を全国に知らしめたのはジャーナリスト徳富蘇峰であるというような展示を経て3階へ。係の方に扉を開けてもらって表の回廊に出ますが、雨は上がっているものの風が強い。
どれどれ日本平からの富士山は?こちらの方角にあることはわかるけれどもまったく見えません。北の静岡市街方面は見えます。三保の松原方面も西の焼津方面もどうにか見えますが、眺望というには今日の空模様では少し寂しい。
その時、ガラス窓の内側からしゃべってきたのがペッパーくん。どうやら胸元のタブレットを使って「羽衣伝説」を読み聞かせをしようとしているらしい…ことはすぐにわかりました。普段なら、適当に切り上げて別の場所に移動していたと思うのですが、他に人もいず、私が聞いてあげないと彼は聞き手を失ったまま最後まで語ることになるだろうと思うこと。そして何よりこの天気具合ではほかに見るところもないだろうと思われることで、話し手一人、聞き手一人でガラス越しにお話しを最後まで聞いたのでありました。富士山上空で舞を舞う天女。その天女が纏う羽衣。今日は見えない景色を想像しながら聞いたのでありました。
それからテレビ塔をぐるっと囲む展望回廊を歩いて、赤い靴の像の横を通って駐車場に戻りました。薄暗闇の中、公衆トイレに入ったら男性用の便器がない!あれっ?と外へ出て確認したら女性用トイレでした。誰もいなくてよかった。変質者扱いをされるところでした。
(つづく)
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