切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

心光院~長福寺~永福寺 京都市西京区

2021-07-04 21:54:08 | 撮影


心光院



 住所としては大原野灰方であり、大原野小学校の南側にある。周囲は住宅が密集している地域だ。西山浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。心光院に関する情報は特に何もなかった。
 門を入ると一面芝が敷かれた境内が広がる。決して広くはないが緑の芝が非常に美しく、それだけで好感が持てる。本堂や社務所への通路が黒っぽい色なので、そのコントラストがくっきりと目立つ。建物も含め全体が非常に綺麗に整備されており、雰囲気がいい。ゆっくり眺めていると心が落ち着くようだ。
     


長福寺 (西京区下津林楠町)

 

 阪急電鉄京都線桂駅から南東の方向へ約1km。 住宅街の中に長福寺がある。
 由緒書き等何もないので詳しいことはわからない。様々な資料によると創建年代は不明ではあるが、神仏習合が進められた平安時代寺の基盤ができた可能性が高いと思われる。お寺そのものは浄土宗西山禅林寺派に属し、本尊は阿弥陀如来。
 札所がありその本尊は十一面千手観世音菩薩。これは「縁結びの観音」と呼ばれ、また子授けの信仰もあるという。15世紀の応仁の乱の際には、本尊を守るためにすぐ東側にある五社神社境内の中に、新たに堂宇を建設し、そこに仏像を移した。これが永福寺の始まりとされている。
 明治になってからこの永福寺は長福寺と合併している。今現在も五社神社の境内には、永福寺時代の小さな山門や観音堂が残されている。地図上でも栄福寺と記載されている。
 訪れた日は残念ながら、長福寺の門は閉門となっており、開いていた扉から身を乗り出して撮影するにとどめた。
  


永福寺



 長福寺の所でも記したように、永福寺は応仁の乱の際に長福寺の本尊などを守るために、五社神社の境内に堂宇が建設された。後に明治時代になって長福寺と合併という形になったが、実質上は廃寺と言える。今現在でも五社神社の境内には、当時の面影を残す小さな山門と観音堂が残されている。
 何の予備知識もなく五社神社を訪れると、五社神社の素晴らしさの方に目が移って、元永福寺であった建物へは全く注意が向かず、見逃してしまいやすい。なお建物が残されているという意味では、長福寺と合併したものであり、長福寺の管理下にある。

  
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