切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

愛宕山大権現・西京極河原町地蔵尊~八幡宮(西京極東側町)・西京極徳大寺団子田町地蔵尊 京都市西京区・・・愛宕信仰

2021-07-05 23:23:29 | 撮影
愛宕山大権現 (右京区西京極河原町)

 

 この名前の語源は各地にある。今回は阪急京都線西京極駅から南へ約1km のところにある大権現。元々権現の意味は、仏菩薩が一般の人々を救うために、仮の姿をして現れること、あるいは神の呼び名としての意味もある。
 愛宕山は京都市右京区の山間部にあり、戦前は京都市の市街地から鉄道が麓まで引かれ、そこからケーブルカーで頂上近くまで登ることができた。頂上付近には遊具や売店などがありちょっとした観光地となっていた。しかし戦争が激しくなるにつれて、このような観光地は閉鎖され、鉄金属供出が要求されケーブルカーなどのは撤去されることになる。戦後一時復活したがさほどの集客もなく閉鎖された。今現在では愛宕山頂にある愛宕神社に行くには、徒歩で約2時間歩いて登るしかない。
 この愛宕山が全国の愛宕神社、あるいは愛宕権現の大元になったのは奈良時代前に遡る。当時から愛宕山は山岳信仰及び修験道の場として尊ばれ、多くの修行者が山に入っていた。大宝年間に一人の修験者が山中で天狗に遭遇し、その天狗のために神廟を建てたのが始まりだとされている。
 このことをきっかけに天皇からの許可を得て、愛宕山には5ヶ所のお寺が建立された。後年になって山岳信仰の神仏習合の神である化身が「権現」「大権現」と呼ばれるようになる。しばらくの間はこの信仰は山岳信仰という性格もあって、世の中に広く行き渡ることはなかったが、次第に愛宕山における修験道が強く尊ばれるようになり、少しずつ広まっていく。特に江戸時代になると多くの修験者によって愛宕信仰が全国に広められるようになる。神仏習合の神であるということで、これは同時に伊邪那美命であり、勝軍地蔵を本地仏として祀られるようになる。同時に火伏せの神、そして軍神としても信仰され広まっていく。
 現在では愛宕神社を名乗る神社は、全国に約千社。しかしこれとは別に、愛宕権現は数多くある。直接愛宕という名を使用していなくても、かなり多くの神社には、石柱に愛宕信仰などと彫られた物が散見される。今も各地域にある愛宕権現などでは、特に防火の神として崇められ、町内会の祭事の中心になったりしている。
  


西京極河原町地蔵尊

  


八幡宮 (西京極東側町)

    


西京極徳大寺団子田町地蔵尊


  
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