切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

松尾三宮神社 京都市右京区・・・松尾大社境外末社

2020-12-31 23:28:42 | 撮影


 川勝寺三ノ宮神社とも言う。場所は分かりにくく阪急京都線西京極駅の南東方面になる。目印は西京極中学校。その向かい側にある。
 神社は川勝寺地区の産土神として敬われてきたが、元々は玉依姫命を祭神として奈良時代前の大宝年間に創基されたと言う。ちょうど大和王権により大宝律令が施行された頃の話だ。その後祭神として大山祇神及び酒解神を祀り、この三神を祀ることによって三宮社と名乗るに至った。

   

 これらの祭神は近くにある松尾大社の祭神とも重なり、松尾大社の境外末社との扱いになっている。本来の神は農耕作や様々な産業の守護神であったが、新たに加えられた酒造りの神が一緒になったことで松尾大社との関係ができたということになる。古くから地域の産土神ではあったものの、松尾大社との関係が強いということで境外末社になったのは第二次世界対戦後のことだ。
  神社の横に小さなコインパークがあり、そこから正面の第一鳥居に回る。長い参道の奥に拝殿及び本殿が見える。すぐ隣に幼稚園があり、近所の園児を迎えに来た母親と子供達が数組拝殿のところで楽しげに雑談していた。もちろん子供達は本殿の周りを走り回ったりして楽しそうにしていた。撮影はしにくい状況だが長引きそうだったので、なるべく写り込まないように気をつけたがなかなか難しいものだ。
 本殿は思ってた以上に立派なもので、地域の神社としては堂々たる構えをしている。最近の神社の屋根は銅板葺が多いものの、こちらは茅葺きの屋根を維持しており、非常に神社らしい様相を呈している。
 名前の松尾三宮神社というのは当然、松尾大社との関わりから来るものであり、また別名川勝寺三ノ宮神社というのは、かつて渡来系の秦氏がこの地域を開拓し、農業や様々な産業を開いたということから、秦氏の有力者であった秦川勝の名前に由来するものだと考えられている。千数百年にわたりそのような名前が残されているというのもやはり、考えてみれば歴史的な重みが感じられるものだ。
 また松尾大社の松尾祭りの際には神社が船渡御の御旅所となり、周辺に存在する境外末社と共に大いに賑わうと言う。

     
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