切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

阿弥陀寺~安楽寺 京都府相楽郡精華町・・・地域のお寺

2020-12-30 23:19:19 | 撮影
阿弥陀寺

  

 阿弥陀寺は精華町の新祝園駅から北の方へ予約1 km 余り。山の麓なので少し坂を登ることになる。周りは古くからの住宅街となっている。近鉄京都線及び JR 学研都市線が通じているので非常に便利な場所だ。
 精華町では町内の様々な文化財に対して積極的に紹介しており、ホームページに簡単ながらもその紹介がある。それ以外にも若干の情報があったので合わせて阿弥陀寺について紹介しておく。
 開かれた時期は不明。文書記録に登場するのは江戸時代の終わり頃の火災で焼けた件がある。また境内には「煤谷山功労碑」という石碑が立っていて、これは江戸時代を通して周辺の各村々が境界線を巡って権利争いをした。その後解決したことを記念して立てられたものだという。このようなことは当時日本各地であったと言う。基本的に農業中心の村々であり、肥沃な土地や水脈に恵まれた土地などをめぐって、それぞれの思惑と権利が交錯し争いごとが絶えなかったという。しかし江戸時代も末期になってくると西洋文化が少しずつ導入され、各藩においては奉行或いは庄屋などが中心となり、それぞれの境界線が確定されるように説得しあって、江戸時代の終わりから明治初期頃にはその多くが確定されたようだ。
 境内は非常に綺麗に整備されており、ある程度風化した石造十三重塔が目立つ。また比較的多くの小さめの五輪塔が並んでいた。本堂は比較的新しく見える。この中に安置されている阿弥陀如来坐像は平安時代後期のものだと言われる。とすれば文化財に指定されていてもよさそうなものだが、何らかの理由で無指定である。他にも江戸時代に作られた仏像があり名前の通り、地域に根ざした阿弥陀信仰に基づくお寺となる。法然が唱えた南無阿弥陀仏の精神がそのままお寺の名前にも表れていると言える。
     


安楽寺

 
 同じく精華町にあり上記、阿弥陀寺の少し南側となる。参拝する際には両者ともに寄るのがいいだろう。
 安楽寺については創建の時期が分かっていて、天文5年というから、室町時代の終わり、同時に戦国時代の途中だった。一時衰退するも江戸時代には再興され今に至っている。こちらも地域のお寺として信仰を集めており、境内もよく整備されている。阿弥陀寺と同様石造十三重塔があったが、こちらの方は随分新しい。おそらくずっと昔からあったものが風化その他によって廃棄され、新たに作られたものだと思われる。本堂も非常に綺麗で境内と合わせて典型的なお寺の様式を見せている。この点は阿弥陀寺も同様だ。
 こちらには精華町の指定有形文化財になっている阿弥陀如来坐像があり、これは平安時代の終わり頃に作られたものだと言われる。いわゆる定朝様式であり、そのことも併せて貴重なものとして文化財に指定されたものだろう。本来ならば京都府の指定文化財でも良さそうなものだ。なお定朝様式と言われる「定朝」というのは日本の平安時代の仏師であり、中国韓国から入ってきた仏像を日本の様式に変えていったと言われる人物。彼の作品は後の仏師たちに多大な影響を与えた。その系列から後に快慶及び運慶が登場する。

  (精華町HPより)
 また文化財指定にはなっていないが、鎌倉時代作の阿弥陀如来立像があり、江戸時代初期作の梵鐘があるとのことだ。
 地域のお寺というのはいわゆる観光寺院ではないので、見ず知らずの者が行って自由に御本尊である仏像が見られるわけではない。しかしこのような地方にあるようなお寺の仏像なども時々、特別公開という時期があってそういった時を狙っていくのがいいだろう。

   
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