切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

五大堂同聚院・・・ 朽ちかけたバラの花が・・・  京都市東山区 2022.8.18

2022-08-24 23:00:47 | 撮影
  

『同聚院

 臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つ である。
 東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(一〇〇六) に、藤原道長が四〇歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。その後も、藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
 本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。像は仏師定朝の父・康尚の作品で、像高二六五センチメートル、 忿怒相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一つである。夢の中で藤原道長が不動 明王より「*十万」の印を授かったことから、古くは土地の守護を表す「土力不動」、十万の眷属を従えて衆生救済をする「十万不動」、十方 遍く不動の力を照らす「十方不動」などと称さ れ、火除をはじめ厄除けの霊験あらたかな不動尊として信仰が深い。年明けに「*十万」の字を書いた「屋守護札」が配布されている。
  京都市』  (駒札より)

  

 『同聚院は、臨済宗大本山東福寺の塔頭にして文安元年(一四四四)に文渓元作禅師(東福第百六十世)がその師琴江令薫禅師(東福第百二十九世)を開山に勧請して創立した寺である。東福寺の地は、延長二年(九二四)の頃、貞信公摂政関白藤原忠平公が創立した法性寺の大伽藍があった処である。その後寛弘三年(一〇〇六)に伽堂関白藤原道長公が、四〇の賀にあたって、丈六の五大明王を安置する雄大壮麗な五大堂を法性寺境内に建立したが、この堂の位置は現在の同聚院の附近であったといわれている。
 十万不動明王はすなわち此の五大堂に安置せられた丈六の五大明王の中尊にして、幾多の災厄をまぬがれ、奇しき因縁をもって今日に伝えられたものである。この尊像は藤原時代前期の多数の彫像中でも、最高のできばえを示す傑作の一つで、作者を藤原時代の名仏師定朝の父に当る康尚とすることは、諸学者が一致して認めるところである。然も、他に康尚の確実な作品が残っていない現在、日本美術史上まことに貴重な遺品であると賞讚されている。
 事実、此の尊像を拝する人は、何人も一見して忿怒相の巨大なる威容に打たれるであろうが、よくよく拝すれば、その比例均衡よろしきを得た優美な作風に、藤原文化の面影をうかがうことが出来るであろう。すなわち、かっと見開いた大きなまなこ、下くちびるをかみしめた口もと、引締った頬、みな力強く生き生きとしており、然もその忿怒相の中にも藤原貴族の趣味が加わり、理想的な仏像を評する最高の言葉として日記の類にしばしば出てくる「優美」「優雅」というものが遺憾なく表現されていて、貞観時代のきびしい面相の不動明王とは違った美しさがあることを知るであろう。現在ほとんど彩色は落ち、また膝前や光背などは後世のものに変ってはいるものの、然もなおこれだけの造形の確かさを持ち続けているということは、並大抵のできばえでないことを物語っているものに外ならないであろう。
 かくの如く、この十万不動明王は、御堂関白藤原道長公を大檀越とし、当代第一流の名仏師康尚が精魂をこめて作り奉った尊像であるから、霊験あらたかにして、古来人々から厚く尊崇され、方不動と尊称されて来た。十万不動と尊称される由来を尋ねると、「土力」または「十万」を一字にしたものといわれている。「土力」即ち上の力とは産土のことで、土地を守る仏という意味である。「*十万」とは此の不動明王は他と異なって、常に十万の眷属を有されるところから、その様に尊称されるともいう。或は又不動明王が夢中に感得せしめられた因縁によるともいう。すなわち数多の悪鬼群集して、これより諸国に横行し、火を放ち水を溢らし、悪病悪疾をおこし、衆生を悩まし、これを見て楽しもうと議している時、不動明王が現われ、大光明を放ち大威神力をもって悪鬼を降伏された。悪鬼どもはここに悪業を改め、一万年の間、明王の神威を助けて一切衆生を守護し、悪事災難を除かんとの誓を立て、「一万」の文字を書いて明王の御前に捧げた。すると明王は直ちに筆をとって竪一画を書き加えて「十万」となされたので、悪鬼どもは皆その知見に伏し、且つ明王の下知を受け礼拝して立去ったという。此の霊夢から十万不動と尊称されるのだといわれている。
 このあらたかな霊験の中でも古来より施与されている屋守護の符は有名である。即ち毎年二月二日に方寸の紙に「*十万」の字を書き、加持して人々に施与されているが、これを屋守護の符と称し、この神符を戴いて門戸に貼れば、その家は諸難厄除し、火災を除き、福徳円満にして子孫繁栄すと古来から喧伝されている。』
 (パンフレットより)
*「十万」と表記しているが、実際には、「十」が上部、「万」が下部に組み合わされた存在しない造字。

   

 東福寺の南大門の前に、芙蓉の花が多く咲いているということで訪れたものの、なんと門の修復工事中で、花のところまで行けない状態。遠くから少し撮影するに終わった。
 仕方なく東福寺境内に入って、重要文化財や国宝の建物を撮影する。そして駐車場のある方向へ帰り始めた。その途中に同聚院がある。
 このお寺には何回か立ち寄っている。最初に訪れた時には、本堂の中に入って国の重要文化財に指定されている「不動明王坐像」を拝見した。特に注意書きもなかったので普通に撮影をしたが、隣にやはり拝見に来られていたお年寄りのご婦人から、撮影禁止ですよ、と教えられた。どこに書いてあるのかと見回してみると、何と端の方に書かれていた。中央しか見ていなかったのですっかり見落としていたのだ。もう4年も前の話だ。

 せっかく芙蓉の花を撮りに来たのに撮影がかなわず、同聚院の壁伝いに咲いていたおそらくバラの花と思われる白い花が、もう朽ちかけていたので、何やら妙な無常観を感じて撮影した。おそらくバラだと思うが、ひょっとしてくちなしの花かもしれない。だとすると季節的に合わないのでやはりバラの花だろうか。
 多分数週間前には綺麗にその花びらを大きく開き、真っ白な色を輝かせていたのだろうが、やはり時とともに生き物は衰えて、最後は土に帰っていく。花に限らず我々人間も全く同じだ。少しずつ年老いてきた我が身を振り返れば、何のためにこの世に生まれたのかと変に湿っぽいことを考えてしまいそうだ。

 朽ちかけたバラの花も、このような姿を写真に撮られていい気はしないだろうが、これも一つの現実。自然とかつてダ・カーポが歌った「花と小父さん」という曲を思い出してしまった。

  
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