切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

栄久稲荷大明神~導故寺~仲之町大日如来 京都市上京区

2021-05-12 22:31:35 | 撮影
栄久稲荷大明神



 御前通に面する小さな神社。詳細は何一つ分からない。周辺は古くからの住宅街であり、小さな会社の事務所などが並ぶ地域。
 道路沿いに一角を占めており、石柱と小さな祠が鎮座する。祠の額には当社の名称と並んで「弁財天」とあった。名前の「栄久」については、周辺に地名なども含めて関わるものは何もなく、本来の意味としては末永く繁栄するといった意味になる。
 「明神」は 早くから日本の神道に対して、大陸伝来の仏教が結びつき、神仏習合が進む中で現れた神の呼び名ということになる。平安中期には明神の呼び名が成立している。しかし明治になって神仏分離令の中で、明神の称号は仏教のものであり、神社としては使わないところがほとんどとなった。しかし実態としては使用を続けている神社も多いとのことだ。
 一方、「弁財天」についてはインド伝来の仏教の守護神。これが日本では神仏習合によって神道にも弁財天が合わさり、日本独自の形態に変わっていったと言う。
 あくまでも名称から上辺をなぞっていくとこのようになるということであって、この小さな神社そのものの由緒その他についてはやはりわからない。
   


導故寺

    

 導故寺は御前通の東側に位置する。かなり広い境内を有しており、周りは古くからの住宅街に囲まれている。山門への道は細く目立ちにくい。曹洞宗のお寺で、江戸時代の創建。山門を入ると少し長めの参道があり、両側にくろまつが並んで植えられており、上京区の誇りの木に選定されている。
 以上が色々調べてわかった内容の全てだ。境内の広さ、そしてかなり大きな立派な本堂。これを見ると、京都市による由緒書きが立てられていてもおかしくはないかと思うのだが、やはり歴史的に約300年ということで、お寺としてはまだ新しい方の部類に入るのだろう。直接情報を得ることはできなかった。
 しかし参道を通り抜けて目の前に一気に広がる広い境内は、その広大さを意識させる。ただ本堂や社務所へ至る道は石畳で敷かれており、それ以外は 緑が比較的少ない。土石が剥き出しになった部分が多く、この辺りはやや残念なところ。大きな木も少なめであるが、かなり高さのある本堂がいやが応にも目立つ。この広い境内の端にはちょっとした庭園様の場があり、そこにはきれいな花や横に長く枝を伸ばした松の木もあって、見栄えがする。さらに多くの緑があればまた印象も大きく変わるだろうが、そのぶん手入れも大変になるだろう。そういった意味では大きなお寺という印象があるだけに、やや素っ気なさを感じた。
     


仲之町大日如来 

 

 仲之町の御前通沿いにある。名前はこの町名に由来する。道沿いに多く見られるお地蔵さんのような感じだが、大日如来なので、お地蔵さんとは異なる。祠に下げられた提灯を見ると「天道大日如来」とある。
 大日如来というのは、永遠の真理の根本である仏を表している。天道というのは天道念仏の信仰に基づいて、小さな祠に祀られている大日如来を表している。本来上記のように地域のお地蔵さんとは違うものだが、庶民の間ではお地蔵さんと同じように信仰され、夏の地蔵盆等でも同じように扱われているケースが多い。
 このような大日如来というのは、街角のお地蔵さんほどではないにしろ、比較的多く見られるようだ。道路沿いにあるものや、少し広めの敷地を持った中の建物に鎮座しているものも見られる。
 ここの大日如来は、道路沿いの空き地に、極狭いコンクリートの台座が置かれ、その上に小さな祠が建つ。建物やお供え物なども綺麗に整備されており、地域で大事にされていることが分かる。


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