切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

極楽寺~法伝寺(荼枳尼天)・・・真如堂周辺  京都市左京区   2023.5.8 訪問

2023-05-25 22:36:22 | 撮影
極楽寺(時宗)

 

 左京区吉田山の真正極楽寺近くにある。真正極楽寺は一般に「真如堂」と呼ばれむしろ こちらの方がよく通ずる。その近くの極楽寺ということで、全く別のやや小さめのお寺となる。創建は平安時代の西暦990年。恵心僧都源信による開基。当時は天台宗の寺院だった。場所も一条堀川となる。その後衰退し、鎌倉時代に入ると新興の仏教各派が登場し、その中の一遍によって再興される。同時に時宗に改められる。

 しばらくは安泰だったものの室町や安土桃山時代を通して、移転等があり、足利義満の後ろ盾や、あるいは後年になって豊臣秀吉からの寄進等も受ける。江戸時代に入り、火災などの災禍を受けることになり最終的に、真如堂などとともに今現在の場所に移転する。

 

 本尊は毘沙門天。お寺の規模としてはやや小さめではあるが、その歴史はかなり長くしかもお寺の開基は歴史に名を残す恵心僧都源信だ。平安時代は藤原帰属が実権を握り、政治を取り仕切っていた。しかし藤原氏の上層部は優雅な生活にうつつを抜かしており、下級貴族 ばかりが様々な政治活動に忙しい思いをしていた状態であった。そんな中源信は堕落した上級貴族を批判の意味を込めつつ、仏教の基本的な教義の内容を示しつつ現世の生き方次第で極楽へ行くのか、それとも、地獄へ行くのか。そのような内容を書物「往生要集」に著し、貴族たちを震撼させるに至る。後に彼の世界観は多数の絵師によって描かれることになり、 中でも人間の死というものがいかに悲惨で無残であるかを示し、地獄への元となったこの世界観を表した絵図の中には国宝に指定されているものもある。また源信はこの極楽寺のみならず、あちこちで寺の創建に関わっており、いわゆる鎌倉仏教出現以前の仏教会における大いなる立役者の一人だと言える。

 また足利義満や豊臣秀吉らの関係もあって、非常に由緒のあるお寺として大いにその存在感を発揮している。ちなみに一遍上人というのは「踊り念仏」で有名だ。



法伝寺(荼枳尼天)

 

『由緒
 大文字山を東に、またひときわ高くそびゆる霊峯比叡を仰ぎ、現存する鈴声山真如堂山門直ぐ左手に鎮座されます吒枳尼天尊は、弘法大師の御真作になる御尊像であります。
 その由来を尋ねまするに、吾が国において稲荷大明神ととして信仰される尊天は、皇統四十三代、元明帝の和銅四年(西暦710年)初午の日、はじめて此の土に出現されました次第であります。
 其の後幾星霜を経て皇統第五十代桓武帝の在世、弘法大師出世のみぎり、稲を荷える老と化現し給はって天尊が所依の本誓願をお宣ペになりました。それは「吾が本地吒枳尼天尊の真形を模刻し、あまねく衆生を利益、安楽ならしめよ」と大師に告げ給つた次第であります。
 かくして大師は御自身一刀二礼の作法を以て枳尼天の御尊像を彫刻し給ったのであります。故に世人は日本最初の稲荷大明神と尊称し奉り、古来より多年にわたりあがめ祭られて現在に至って参りました。 
 (以下、略)』 (『京都・山城 寺院神社大事典』平凡社より)

  

 法伝寺は真如堂の山門の前にある。そこには鳥居が目立つように立っておりどう見ても神社があるとの印象だ。しかし実際には神社と共に放伝寺という寺院がある。法伝寺は真如堂の塔頭寺院であり、境内に神社が同居しているように神仏習合のお寺である。神社の祭神は吒枳尼天(だきにてん・仏教の稲荷神)で、仏教においては稲荷神と同じ扱いとなっているようだ。この吒枳尼天は平安時代にインドから中国を経て、空海により伝えられたものと言われる。創建は鎌倉時代初期となる。開基は順徳天皇。

  

 吒枳尼天というのは、インドのヒンズー教の神から来ているものだ。その絵姿はキツネに似た面があり、日本においては後にこれがキツネの稲荷と結びついて稲荷神と同一視されるようになる。神仏習合のお寺と神社の関係において、その神社が稲荷社である場合には、お寺に吒枳尼天の仏像が安置されているケースが多いと言われる。ヒンズー教および日本に空海によってもたらされた吒枳尼天は、かなりおぞましい存在であったとされるが、日本においては時代とともにその雰囲気もかなり穏やかになり、戦国時代においては武将たちがこぞって拝観したと言われるものになっていく。実物の吒枳尼天像はお寺によって秘仏になっているケースも多く、拝見するのもあまり機会がないかもしれないが、昔の絵図にはかなり多くの姿が描かれており、いずれもかなり穏やかな雰囲気の絵になっている。名前もヒンズー教のダーキニーから訛ったものとして「だきにてん」となったと言われる。

  
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