切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉2019 城陽市・水度神社~宇治市・皇大神宮社・・・意外にもまだまだ鑑賞できる

2019-12-29 22:40:06 | 撮影


 12月もそろそろ中旬。まだ紅葉が残っているところがあるかもしれない、ということで比較的近所の2ヶ所を回る。
 城陽市の水度神社
 すでにこのブログでも以前に紹介している。ここでは駒札等の説明書きを載せておく。
 本殿は国の重要文化財。 今年の春頃に行った時には本殿の改修中で撮影は諦めた。10月に改修工事が終わったとネット記事にあったので、行ってみることにした。入り口の鳥居の近くに駐車場があり、その時点でやや色あせてはいるものの、大量の紅葉が見られる。同じもみじの木でも、色々と種類があるんだろうか。とっくに落葉している紅葉もあれば、このようにまだ色を残してしっかりくっついているものもある。
 長い参道をゆっくり上がりながら撮影していく。水度神社は相当な歴史と由緒のある神社で、敷地も非常に広い。市民にとっても憩いの場となる落ち着いた場所だ。近くに府立城陽高校があるが、ここで高校生を見たことがない。皆さん鳥居の前を歩いて通学はしているが、年齢的には神社に興味ある人っていうのはいないんだろう。通常の時にも三々五々参拝者が比較的多いが、この日も何人もの人が来ていた。
 境内に到着。ひょっとしてプロカメラマンかと思われるような2人組がいて、三脚にキャノン一眼レフ。巨大な白レンズ。多分あのレンズだけで優に50~60万はするだろう。こちらはあくまでも素人。
 すっかり改修されて綺麗になった本殿を参拝した後、あちこちの角度から撮影していく。さすがに重要文化財だけあって見事の一言。何時もうっとりと見惚れてしまう。 境内の周囲にも残り少なかったが、紅葉が見られ拝殿や本殿をバックに紅葉を撮っていく。極めて満足感の高い撮影となった。

 続いて家に戻る途中の宇治市大久保に、皇大神宮社がありそこに寄る。
 京都近鉄大久保駅の東側にあたり、JR奈良線の新田駅の西側となる。幹線道路が交錯しており車や人の往来が多く、渋滞の名所でもある。駐車は少し離れたコインパークに入れる。
 もちろんずっと以前からここに神社があるのは知っていたが、鳥居だけが見えていて本殿らしきものは外からはなかなか見えていなかった。極めて小さな無名に近い神社かと思っていた。やはり地元の宇治ということで、ブログでも紹介しておくべきだとの思いで撮影することにした。おまけに神社の横に沿って紅葉がまだそこそこ残っている。鳥居の前に来ると由緒書きが掲示されていた。下に載せておく。
  名前の皇大神宮は元々伊勢神宮の内社であり、江戸時代初期にこの地域が広野新田村として開発された時に、近くのお寺及び地域の鎮守社として創建されたものだ。境内には伊勢神宮への遥拝所がある。
 鳥居前の細い通りは秀吉によって通された大和街道であり、その西側にはずっと以前からある奈良街道が平行する。このあたり一帯では今の伏見区淀にある淀城に、京都や大阪の防衛及び諸大名の反乱等を防ぐために永井尚政が藩主として着任した。彼の指示により淀から南側のこの辺り一帯も大きく開かれ、広野新田と呼ばれた。
 そういった意味では神社としての歴史は比較的新しいが、歴史上の重要人物が関わっており大事な役目を果たした神社でもあったわけだ。
 紅葉の方は境内そのものには特に見られず、脇道のところに小さいながらも赤い色のもみじの葉が連なっていた。幹線道路を走っている時など、車窓からよく見える。小さな神社ではあるものの、意外な程の歴史を持っていて感心した。

水度神社



『水度神社
 ご祭神
 天照皇大神
 高皇産霊神
 和多都美豊玉姫命

神社の由来記
創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれは清和天皇の貞観元年正月(八五九)従五位下の神位を授かり、延喜の制には小社に列せられる。明治六年村社仝一五年郷社に、仝四十年府杜に昇格。現在は社格廃止され、神社本庁に属す宗教法人水度神社と称す。
旧社地は境内領東にある住古、鴻が巣を結んだという鴻の巣山の、その峰つづきにあたる太神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の支永五年(一二六八)旧地より遷し奉り今日に及ぶ。由来、寺由郷の産土神として氏子の信奉篤く、近年近隣よりの参詣者もその数を増す。
本殿は正面一間、側面二間の変化に富んだ流造破風様式(千鳥正面破風)で簡素にして優美な建築である。
社伝棟札によれば室町時代の文安五年 ( 一四四八)の建立になる。その後、桧皮葺替えの修理を重ねて今日に至る。現在は重要文化財に指定されている。
神社の大祭
九月三十日 例祭 十月二日 大祭
小宮十社
天満宮社 日吉神社
太神宮社 加茂神社
八幡神社 嚴島神社
松尾神社 稲荷神社
春日神社 竜王神社 』


『水度神社本殿(重要文化財)
 水度神社

 鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神・高御産霊神・少童豊玉姫命です。「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祇社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。平安時代前期に成立した『延喜式』には、「水度神社三座」と記されています。
 重要文化財の本殿は一間社流造で、文安五年(一四四八年)に造営された市内に現存する最古の建物です。屋根は檜皮葺で、正面に大きな千鳥破風があります。また庇の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。
 水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。「おかげ踊り図絵馬」は、文政十三年( 一八三〇年)十一月一日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。
「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文から応永三十二年(一四二五年)
に作られたことがわかります。
「大般若経」は、鎌倉時代前期に本 さかのぼる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。
城陽市教育委員会 』





























皇大神宮社



『皇大神宮社の歴史
 淀藩第二代藩主、永井信濃守尚政公が、慶安二年(一六四九年)広野新田村を創設した時に、円蔵院の鎮守として、天照大神を奉祀した。
その後広野神社と称されたが、いつの頃からか今の社名になっている。
明治維新の神仏分離令により、円蔵院から離され村方三役が、この神社を引請けることとなり、民衆の信仰の対象となる。
 昭和三十六年(一九六一年)第二室戸台風により、本殿他社殿が倒壊したが氏子中の熱意により昭和三十八年十二月現社殿が滞りなく復興竣工した。

祭 神、天 照 大 神

末社、(豊受神宮、住吉社、春日社、天満宮、稲荷大神、瀧長明神)
主な祭事、元旦祭(一月一日)    節分祭(二月三日)
     春季祭(三月中旬日曜日) 秋季祭(十月九日)
     除夜祭(十二月三十一日) 』
  (説明書きより)






















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