善福寺・如意輪観世音菩薩 (京都市上京区 出水通千本西入尼ケ崎横町)
上京区には善福寺と言う同じ名前のお寺が3箇所ある。そのうちこちらは千本通出水交差点の角にあるお寺だ。境内には街道沿いに如意輪観世音菩薩が納められた小さな祠があり、お寺による説明書きも貼り出してあった。
お寺自体は浄土宗であり本尊は阿弥陀如来。法然の教えを伝える地域の人々に密着したお寺であり、おそらく地域の集まりの場、あるいは信仰を集めているものと思う。ただしこの近辺には多くのお寺が密集しており、その辺りは宗派の違いや開放されたお寺かどうかなどによって、お寺の性格も変わってくるだろう。
如意輪観世音菩薩については、下記の説明書きの通りだ。平安時代の作と言うからかなり貴重なものになる。伝わる伝説についてはどのようなものかはよくわからないが、いずれにしろかなり貴重な菩薩像であることは間違いないようだ。人通りのあるような場所に置かれているのがちょっと心配になるくらいだ。
『如意輪観世音菩薩
安置の如意輪観世音座像は、平安時代の作で寛永五年八月十八日・丹後国与謝(現、京都府宮津市付近)の海中より光を放って出現した、 二体のうちの一体と伝えられ、現存する如意輪観世音菩薩としては、国内五本の指に入る貴重仏様です。
如意輪とは、如意宝珠と輪宝という二つの言葉を合わせたものです。
如意宝珠とは、思いのままに願いがかなう宝の玉のこと、輪宝とは、法輪つまりお釈迦様の教えを象徴するものです。この二つの宝物を持つのが如意輪観音様なのです。如意宝珠で人々に財産を与え、一方ではお釈迦様の教えによって人々の迷いを取り除く。物心両面にわたって救いをもたらすのが如意輪観音様なのです。
醫王山 利済院 善福寺』
(説明書きより)
「如意」「輪」の意味については説明書きにある通りだ。本来は古代インド仏教の信仰対象として出てきたものが日本に伝わってきた。おそらく奈良時代と考えられているが、当初の菩薩像については腕が2本であったものが、平安時代になって6本腕となったようだ。その六本の腕で六道全てに救いの手を述べるという意味合いが持たされていたという。
六道というのは「天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」を示している。この世の中の人たちの生活の場のことを「人道」といい、死後、どの世界に行くのかは生前の行いによって決められると言う。その中でも最も厳しいものが「地獄道」と言われる。そして如意輪観音の六本の腕が、悪行を働いた人たちを救うというものだとされている。
こういった信仰の内容から、後年になって如意輪観音には、知恵、財産、安産、延命などと言ったことにご利益があると信じられるようになった。そういった意味では一般の大衆の間にもその信仰が広がり、ご利益に預かろうとする人たちが多くなったのもある意味当然なんだろうと思われる。
上京区には善福寺と言う同じ名前のお寺が3箇所ある。そのうちこちらは千本通出水交差点の角にあるお寺だ。境内には街道沿いに如意輪観世音菩薩が納められた小さな祠があり、お寺による説明書きも貼り出してあった。
お寺自体は浄土宗であり本尊は阿弥陀如来。法然の教えを伝える地域の人々に密着したお寺であり、おそらく地域の集まりの場、あるいは信仰を集めているものと思う。ただしこの近辺には多くのお寺が密集しており、その辺りは宗派の違いや開放されたお寺かどうかなどによって、お寺の性格も変わってくるだろう。
如意輪観世音菩薩については、下記の説明書きの通りだ。平安時代の作と言うからかなり貴重なものになる。伝わる伝説についてはどのようなものかはよくわからないが、いずれにしろかなり貴重な菩薩像であることは間違いないようだ。人通りのあるような場所に置かれているのがちょっと心配になるくらいだ。
『如意輪観世音菩薩
安置の如意輪観世音座像は、平安時代の作で寛永五年八月十八日・丹後国与謝(現、京都府宮津市付近)の海中より光を放って出現した、 二体のうちの一体と伝えられ、現存する如意輪観世音菩薩としては、国内五本の指に入る貴重仏様です。
如意輪とは、如意宝珠と輪宝という二つの言葉を合わせたものです。
如意宝珠とは、思いのままに願いがかなう宝の玉のこと、輪宝とは、法輪つまりお釈迦様の教えを象徴するものです。この二つの宝物を持つのが如意輪観音様なのです。如意宝珠で人々に財産を与え、一方ではお釈迦様の教えによって人々の迷いを取り除く。物心両面にわたって救いをもたらすのが如意輪観音様なのです。
醫王山 利済院 善福寺』
(説明書きより)
「如意」「輪」の意味については説明書きにある通りだ。本来は古代インド仏教の信仰対象として出てきたものが日本に伝わってきた。おそらく奈良時代と考えられているが、当初の菩薩像については腕が2本であったものが、平安時代になって6本腕となったようだ。その六本の腕で六道全てに救いの手を述べるという意味合いが持たされていたという。
六道というのは「天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」を示している。この世の中の人たちの生活の場のことを「人道」といい、死後、どの世界に行くのかは生前の行いによって決められると言う。その中でも最も厳しいものが「地獄道」と言われる。そして如意輪観音の六本の腕が、悪行を働いた人たちを救うというものだとされている。
こういった信仰の内容から、後年になって如意輪観音には、知恵、財産、安産、延命などと言ったことにご利益があると信じられるようになった。そういった意味では一般の大衆の間にもその信仰が広がり、ご利益に預かろうとする人たちが多くなったのもある意味当然なんだろうと思われる。
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