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綺麗ゴト

「綺麗事では済まされない」なんて言うけど、綺麗な物に囲まれて生きてた方がハッピーじゃん。

結婚式の前日

2011-09-24 02:08:06 | Marriage

強烈な写真でスミマセン。
これは、結婚式前夜の花嫁の実態です。
前日は、お互い実家に泊まり、式場へ実家から向かうという主人の意向で別行動になりました。

お盆の時に、主人の親戚の方からいただいたIt's skinのPRESIGE Maspue d'escargot マスクを顔にして、手には、いつもお世話になっているサロンさんからお祝いでいただいたハンドパック(名前をメモし忘れてしまった...)

昼間には、ブライダルエステを3時間受け、夕方からまつ毛エクステで準備万端でした。
それに追い打ちを掛けるようにデビューした初・カタツムリエキスパックにテンション上げ上げの花嫁でございます。。。

エステ後のパックの効果のほどは、絶大でした。トゥルントゥルン

そしてこちらは、2日前に行ったネイル。
雑誌の写メを参考にお願いしました。色は、オリジナルで混ぜ合わせで作っていただいたのですが、結構理想に近い色になりました!感謝です。ストーンの散らばり方がお気に入り☆

結婚式に向けて、人生でこれまでこんなに美容に時間とお金をかけたことがないほど、力を入れてみました。

これでメイクさんにメイクをしていただいて、ドレスを着て美しくならなかったら、女じゃないな!と自分にプレッシャーをかけるほど。と、言ってもダイエットとかしてないんで、甘やかしのビール生活です。

それでも、ドレスとメイクさんの魔法によって、当日は綺麗!とみんなを欺くことができたので、大成功です!

結婚式が終わって、韓国旅行へ行って、あっという間に1週間が過ぎました。
夢の中の出来事の用で、実感がありません。
とてつもないスピードで過ぎ去り、まだ夢心地から解放されぬ日々です。
明日から、仕事が始まり、現実の世界に戻ります。
少しずつですが、皆様から写真データを集めつつ、当日の様子を思い出しながら記事を書いて行けたらなと思っていますので、乞うご期待!ということで。。

手紙

2011-09-16 07:28:19 | Marriage
披露宴の最後に新婦が読む手紙。
本番では、便せん3枚程度の多くの人が聞いても当たり障りのない内容を短めにまとめたものを読ませていただいたけど、そんなんじゃお母さんへの気持ちは足りないと思ったので、それとは別に便せん8枚分の手紙を書いた。

私の手元に原本は残らないから、下書きを残しておいた。

きっと未来の自分が読んだら役に立つだろう。
このブログを昔から読んでいてくれる人なら、分かってくれるだろうと思って公開することにしました。

覚悟のある方は、ご覧下さい。





お母さんへ

本当に27年間、私を育ててくれてありがとう。子育てお疲れさまでした。

お母さんが名付けてくれた『郁江』という名前は、とても気に入っています。結婚してかわるのが名字だけで本当に良かったと思うくらい。だけれど、旧姓で生きてきた27年、いや26年?か、、には本当に人生って色々あるんだなぁと思い知らされるようなことがたくさんあったよ。あと3倍は生きたいと思っているんだけど、人生にはまだまだ色んなことがあって、待ち受けているんだろうなと思うよ。


他の弟妹には悪いけど、両親の愛情を独占して育った5年間の1人っこ時代。
両親だけじゃなくて、戸田のおじいちゃん、おばあちゃん、ひーばぁに所沢のじーちゃん、ばーちゃん。小さな頃の記憶は、たくさん残っている方だと思うけど、写真を見たって愛情たっぷりの幸せな家庭だったんじゃないかな。この頃は、お父さんのことが大好きだったな。そんで、「どうせ大きくなったら嫌いになるんだよ。今のうちだけだよね」と言われていた気がする。まー間違っていなかったね。

弟や妹が産まれてからのお姉ちゃん時代。
2人の面倒を見るのがお姉ちゃんの役目だと思って、第2の母親気分になっていたよ。まだ小さいから分からないのに「なんで分からないの!」と弟や妹に腹を立てていたような気がする。そんな私こそが子供っていうね。この頃からお母さんは、私に何でも話をしていたのかな。ま、話していない苦労もたくさんあったと思うけど。この辺での同居や大家族の経験が今後の嫁修業の役に立ちそうかなと思っているよ。

小学校4年生くらいから、なんだか難しく考えるようになった気がします。これぞ思春期ってやつかな。そこから高校生くだいまでは、迷走期ですよ。なーんかうまく行かないパッとしなかったような気がするな。

高校に入ってやっと自我が芽生えたような気がするな。
真面目だけど、色々やって楽しかった。人生で一番笑っていたような気がするよ。もうこの時期には、早く働いて家を出たいと思っていたから、就職しようと思ったんだけど、仕事で何がやりたいのかと聞かれると、特になかったから、志望動機を考えるのが全く無理だった。それで自分に何をしたいんだ?という問いかけから進学することにした。

この時、うちにお金がないのを知っていたから私は、そこを配慮して一番安く行ける学校を探したんだ。大人になってから、その時に入れなかった学校を卒業した人の話を聞くと、その学校に行っても変わらなかったみたい。この時、お母さんは反対せずに進学させてくれたよね。弟妹の中で、そう決めたのも進学したのも私だけ。

専門学校に入って1年。友達と一緒に生活すると決めて、しかも下見に行った日に契約してきたのに、「あんたが決めたんだから、止めてもしょうがないでしょ」とその時も反対せずに送り出してくれたよね。少ない荷物を乗用車に目一杯詰め込んで、日吉の小さな部屋に運んでくれた。帰りにアパートの下から、細い道を走って、綱島街道に出て行く、お母さんの乗った空っぽになった乗用車の後ろ姿が、今でも目に焼き付いて忘れられない。その後でもらった手紙の中で、お母さんも車の中で前が見えなくなるくらい泣いていたのだということを知った。その手紙と添えられていた5万円は、どんなにお金がなくて困った日吉時代にも手を付けずに今も手紙と一緒に封筒の中に入っている。

あの時、日吉で始まる新生活にウキウキしていて、生まれ育った家に帰れなくなる日が、こんなにも早く訪れるなんて思っていなかった。もっとしみじみと所沢の家を出るべきだったのではないかと今も少しだけ悔いています。

やっと家を出られた開放感で楽になっているハズのお母さんが頼った実家で苦しんでいると知った時、世の中そんなにうまく行かないものなのかと、やりきれない思いを抱えたのと同時に自分だけ友達とシェアして好きなことをやっていていいのか?という気持ちになった。

所沢に行き、お父さんと2人きりになるタイミングで「お父さんが働いて、外に家を借りてみんなで一緒に暮らさないとダメだよ」と泣いて頼んだこともあった。けど、お父さんに届いたんだか、届かなかったんだか。「わかったよぉ。なくなよぉ」と言っただけで、何もしてくれなかった。もっと父親らしくして欲しかった。そしたら、きっとお父さんの今も、お母さんの今も、違ったに違いない。だけど私には、私が家賃を出して、みんなと一緒に暮らすということしかできなかった。

そういえば、お父さんの棺に入れた手紙にも同じようなことを書いたっけな・・・。

あの時、家族のために何もしてくれなかったお父さんが、ほんの少しのお金を持ってやってくる。平気でタバコを吸って白い壁を汚していく。そのうちお金も持ってこなくなり、来れば酒浸り・・・。
許せなかった。

弟も弟で働き始めたと思ったのに辞めてフリーター。今、思えば、まだバイトしていたから、この時の方が、マシなのかなと思うけど、深夜に大学生で暇だった友達を部屋に連れ込んで大音量でゲーム。昼間は、寝ているという生活。それにも腹が立った。私は一生懸命働いて、家賃を払っているのに。実家に暮らしていてもたまらない貯金。

寝られなくなっていた。そのうち病気になった。
あぁ、こんなに熱も出てお腹も気が遠くなるほど痛い。下痢は止まらずで眠れない。こんなに辛いのに命に別状はない。こんなに辛いのに死なないのかー。生殺しだな。しかし人間は、そう簡単には死なないんだなと思った。

なんだか色々辛いけど、やっと元気になってきた。
弟や妹も働きだしたし、また好きに生きようと思った。
家を出て転職した。
今度は、転職先が難だった。フォローがなさすぎる。
でもやりたいことの為にがんばろうと思った。

いよいよ本格的にお父さんの体調がおかしくなってきた。
もうアンモニアが脳に回って正常な判断ができなくなっていた。
自業自得だと思った。
それと同時に人間そんな簡単には死なないはずと思った。
だけど、ガンという病名を聞かされてからは、冗談なしだった。

私はまだ許せていないというお父さんへの気持ちと、フォローなく追いつめられる仕事におかしくなりそうだった。お母さんは、離婚届を渡したはずのお父さんをしっかりとサポートしていた。本当は、嫌いじゃなくて、好きなんだと思った。

2010年8月。プロポーズ。
精神的におかしくなりそうだった私を支えてくれたし、この人で大丈夫だと思った。
もしもあの時、宜範くんがいてくれなかったら、また病状が悪化していたか、違う病気になっていたんじゃないかと思う。

何かタイミングが悪かったのか、良かったのか、色々重なってバタバタしてしまったけれど、最後に家族写真が撮れて良かったと思う。

お父さんの最期の1週間は、人なつこいお父さんが色んな人にお別れをするために、お父さん自身の意思で生きた1週間だったと思う。

どんな親でも自身の死をもって、子供に教えることがあるんだと思った。言葉にはしなかったけど、悪い見本だったかもしれないけど、お父さんから学ぶことは、これから先もまだたくさんあると思う。

今までありがとう、お父さん。

そして、これからのこと。
これから私は嫁で、妻として生きていく。名字が新しくなって、第2の人生が始まったような晴々しい気分で入籍をした。

これから先に、どんなことがあるかなんて、今、わかるわけがない。
今言えることは、今まで通りいつ何が起きて、突然死んでも悔いのないように毎日を過ごす。

お母さんに望むこと。
好きなことを好きなように楽しく生きて下さい。
できれば長めに。
その楽しそうなお母さんの姿がみんなを元気にします。
それだけです。
老後のことは、どうにかなるはず!

ということで、これまでの人生とこれからについてでした。
今までありがとう。これからも宜しくね。お母さん。

2011/9/17 郁江

晴れの日

2011-09-16 07:15:18 | Marriage
明日、結婚式を迎える私。
なんだか、実感ないな。
メイクして、ドレス着てやっと実感が湧くような気がします。

準備には、色々あったけど、結果、楽しめて、これから仲良くできればいい思い出だと思います。結婚式の準備は、2人にとって1つの試練で、これを迎え撃つことから夫婦の仕事が始まるような気がします。全部を楽しく準備できれば最高だけど、なかなかそうも行きません。

とにかく、明日は楽しみます!美味しいお酒をいただきます!!!


和装で前撮り

2011-08-26 01:33:38 | Marriage

結婚式当日は、和装を着ません。だって立っていることすら辛いし・・・。なので、前撮りで白無垢と色打ち掛けを撮影してきました!

この写真は、昔の写真を使用するため、セレクトしていたときに出てきた私の幼い◯ード写真。
子供のころって絶対に裸で写真を撮影してありますよね。なぜか・・・。

で、肝心な前撮りの話ですが、気に入ったヘッドドレスがあって、しかも格安で撮影できるスタジオを選びました。格安ということで、妥協点も多々。対応もそれなりで、融通聞かず、ちょっと・・・なっ。という感じでした。まだ届いていませんが、写真自体は希望通りのカットが撮影されているので良いと思います。

待ち時間も長いし、対応も満足できなかったので、反抗心で待たせられすぎる待ち時間にパシャリ☆(館内は全面的に撮影禁止でした)

撮影はいろんなポーズをしましたが、「撮影してしまい、見せれば欲しくなってしまうもの。1カット1万円です」の誘惑にはひっかかりませんでしたよ。

それで引きで全身の基本ポーズしか購入しなかったので、お気に入りのヘッドドレスを大きめに自分撮り。そんな感じで、前撮りは終了しました。

カメラマンの仕事を探していたときに、ここの求人もあったけれど、ここでは働きたくないなと思いました。

カタツムリ デビュー!!?

2011-08-26 01:05:46 | Marriage

結婚式を9月17日に控え、多少なりとも美容的なものをどうにかしようと思うわけであります。今の自分に投資するなら、通常よりは少なくとも価値があるんじゃないかと。

そこで、化粧水をグレードアップさせてみたり、クリームをぬりぬりしてみたり、ロクシタンでちょっと奮発してみたり。ネイルサロンに行ってみたり。

旦那さんの親戚の方から、お盆に素敵なプレゼントをいただきました。

右:TONYMOLYのインテンスリペア LSクリーム & アイクリーム セット
中:It's skinのPRESIGE Maspue d'escargot マスク
左:NATURE REPUBLIC アクアソリューション マリンハイドロゲル アイパッチ

“Snail”
カタツムリ分泌液を配合したもの。

カタツムリのヌルヌルエキス・・・聞いただけでぞっとしますが、香りもいい感じだし、変な感じもしません。そして何より、その効果絶大でIKKOさんもおすすめだそうで、クリームで整えつつ、パックで最後はとどめを打つ予定です。

普段あまりベタベタするクリームを好まないため、クリームは結構ベトネベとという感じですが、これでピチピチになれるならしばらく我慢!